− 第93回 −
第五章 溝の帯III 29
 なにを騒いでるんだ、ぼくたちは助かるんだぞ。早くそのことを伝えてやろう。そう思って戻ってみると、まるで風呂場に足を踏み入れたような熱気があたりに充満していた。なんだこれは?
 なんと、さっきの地震でできたと思われる新たな壁の裂け目から、溶岩が勢いよく噴き出しているのだ。やってきた洞穴ばかり警戒していた猿人たちは突然のことにパニックにおちいり、右往左往していた。
 ぼくは足元の黄金塊を脇にどけて大声で吠えた。
できるだけ全員がこの穴に注目するよう、のども裂けんばかりの甲高い声で叫んだ。
 猿人たちを介抱していた、あの母親と子供がいち早くこちらに顔を向けた。子供が無邪気に駆け寄ってきた。ぼくは抱き上げて母親の手をとり、あの洞穴に行けと指さした。彼女は夫であるサユリに眼を落とした。彼はぼくがつる草を巻いて止血した足を伸ばしたまま、噴出する溶岩を見ていた。ぼくは姉の真似をして彼の腕に手を触れると「みんなを連れて行ってくれ」と心で語りかけた。通じたのか、彼はまじまじとぼくの顔を見上げるや、三本足でおもむろに立ち上がり、みんなに行くぞと号令をかけた。
 ぼくは各所に散らばっていた猿人たちに声をかけて走り回った。噴き出る溶岩の量も速さもはんぱじゃない。ぼくは彼らを急がせた。
 鍾乳洞はみるみるうちに熱いじゅうたんに覆われていった。流れの先端は光りゴケの湖水へも達し、じゅうううと大きな音をたてて蒸気をあげた。
 長くもたない。ぼくも猿人たちのあとを追おうと向きをかえたとき、鬼のような形相をした姉が逃げもせず、煙の中にたたずんでいるのが見えた。
 溶岩の流れは鍾乳洞の中央に達しようとしていた。ぼくはそれを大きく迂回して彼女のそばに駆け寄った。接近する僕に気づいた彼女はもたれていた大きな岩から体を離した。
「だめだよ! 早く逃げなきゃ!」
 ぼくは姉の腕をつかんで引っ張っていこうとしたが、彼女はそれを足を突っ張らせて抵抗した。
 ──この岩を動かさないと。
「どうして!?」
 ──あそこ。
 岩の先に、地底世界への穴があった。
 ──この岩でフタをするの。
 ウソだろ? 危険がすぐそこに迫ってるというのに。姉はぼくに背を向けて岩を押し始めた。
「無理だよ。こんな大きな岩」
 ぼくは顔をしかめたが、姉は気にしていない。
←次回  トップ  前回→