− 第92回 −
第五章 溝の帯III 28
 そこは真っ黒な闇がつづいており、深さをうかがい知ることができない。二、三歩も入るとどちらが上だか下だか分からなくなった。おまけに両手をひろげなくても左右の壁に届くほどのせまさで、見た目にはなんの手がかりもない。
 それでもわずかに期待をもたせるのは、風だ。極端なせまさのためか、ヒュルルルという音を反響させながら吹き抜けてる。どこかへ通じてることはたしかだが、また地底世界へつながってたりしたら今度こそ気力が消し飛んでしまうだろう。
 ぼくは明るい入口をふりかえった。そこには黄金塊がデンと座ってる。こちらから見ると父の顔と似ても似つかない。ごつごつしたふつうの塊だ。でもこのままここに置いていく気にはなれないな。そう思って手を伸ばしたときだ。
 ンモロゴロゴゴゴゴゴゴ……。
 複雑に混じり合った音が遠くから聞こえてきた。それはぼくがこの世界で初めて聞いた地響きを思い出させた。眼の前の世界が奇妙にゆがんだ。ぼくは吐き気におそわれて、壁にもたれるとそのまま座り込んだ。
 いくつもの太鼓が重なり合ったような音が頭の中で鳴りやまない。猿人たちがわあわあ騒いでいるのが遠い津波のように聞こえてくる。
 この世界に初めてやってきたときと同じだ。頭の中がチカチカして鼻を刺すにおいが漂ってくる。
『この世界にいられるのは、もうそれほど長くはない』
 そんな考えが浮かんだ。本当だろうか。だとすればぼくはこのまま地の底で死んでしまうのだろうか。姉や猿人たちとともに地上の太陽を見ることなく、ここで朽ち果てるんだろうか。
 ンモロモロモロモロモロモロ……。
 音はじょじょに遠ざかっていった。幾本かの鍾乳石がポキンと折れて落ち、その横で猿人たちがかばっていた頭から手を離すのが見えた。
 この洞穴はパスするか……。そう思って立ち上がった眼に信じられないものが映った。さっきまで闇で塗り固められていた洞穴の奥に一条の光が差し込んでいるのだ。
 眼を疑ったが、体は正直に反応してぼくはその光の落ちるところまで飛ぶように駆けていた。
 コロコロと落ちてくる石を注意深く避けながら見上げると、その光はとても低い角度ながら、まぎれもなく太陽の光だった。
 やったぞ、ついに地上に戻れるんだ。
 思わずガッツポーズで喜びをかみしめるぼくの耳に、喜びとはちがう悲鳴が背後から聞こえた。
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