− 第87回 −
第五章 溝の帯III 23
「姉さんはここで待ってて!」
 言い置いてぼくはサユリの後を追った。
 ありがたくもらった光りゴケをむりやり鼻の中に突っ込んだ。くしゃみが出そうだ。
 地底世界へつづく穴のそばには、非情にもうち捨てられた重傷の猿人たちが数人倒れていた。巨大花の威力を見せつけられる思いだ。
 穴はマンホールのようにきれいな円形をしている。そこに天井から水滴がポタリと落ちた。おそらく自然の力が気が遠くなるような年月をかけて、この穴を開けたんだろう。
 3メートルほど下に底がみえる。その先は見えないが、ヒューッと風の通る音がする。
 まずサユリが飛び込んだ。ぼくは後ろ向きで壁を伝って降りたが、手がかりも何もない。わっと声をあげたら尻からドシンと落下していた。
 帰りはどうしよう……。
 底には予想どおり、横穴が開いていた。サユリとぼくの眼に、遠ざかっていく猿人たちの後ろ姿が映った。サユリは一足飛びに最後尾のひとりに近づくや、横っ面をグーで張り飛ばした。
 なんて乱暴な!
 でもそうするより他に方法がないことをすぐに理解した。彼らを説得してUターンさせるのは無理なのだ。サユリはふらふら歩いていたもうひとりを殴り倒すや、両脇に抱え上げて来た道をとって返した。そして井戸の底から交互にふたりを穴の上めがけて放り投げた。
 荒っぽいにもほどがある。人間のレスキュー隊員には絶対できない芸当だ。
 ふたたび彼は走り戻っていく。目顔で「おまえもやれ」と言っている。
 悩んでるひまはない。サユリは次々と殴り倒してはてきぱきと運んでいくのだ。そして放りあげる。まるで流れ作業のように。
 取っ組み合いのケンカなんて一度もしたことのないぼくが人を殴る? 彼らを救うためには殴るしかないのか。
 究極の選択だ。
 ひとりの猿人のまえに立った。彼は魂の抜けたような顔でぼくをながめ、興味なさそうに脇をすり抜けようとする。ぼくは眼をとじて、彼の頬めがけてパンチを出した。
 ぺちっ。拳の先はたしかに当たったぞ。殴ったぞ。おずおずと眼を開ける。彼は頬をさすりながらボーっと立っている。まったく効いてない!
 その彼が横壁にすっ飛んだ。サユリがけとばしたのだ。見てらんねえぜという顔をしてる。
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