− 第82回 −
第五章 溝の帯III 18
「父さん!」
 まぎれもなく、それは父さんだった。
 父さんは光り輝いていた。
 父さんはぼくにこう呼びかけた。
 ──タケル、ついて来い!
 そして力強く駆けていく。
 ぼくは膝から力が抜けて倒れそうになった。これはやっぱり夢の世界なのか。
 ──タケル、何してる! こっちだ!
 父さんは元気よく走りながらぼくを呼んでいる。
 その声は揺るぎない自信と愛情にあふれていた。
 ぼくは、懐かしさと安心感に包まれた。
 父さんがこっちと言ったのは、右の洞穴だった。
 父さんの足音が穴の中に反響している。
 こうなったら夢でも夢でなくてもいい。
 ぼくは後ろにいるキョウスケたちに向かって「こっちだぞ」と合図した。
 そして父さんを追って右の洞穴に突入した。
 光はすでに届かない距離だったが、父さんの顔が暗闇を照らすランプになった。
 ぼくは父さんに遅れまいと必死で駆け下りた。

 どのくらい走ったろうか。洞穴は行き止まりになることもなく、ぼくたちを導いた。ときどき見失いそうになると父さんはぼくが追いついてくるのを待って、再び走り出す。地震は絶え間なく洞内を揺らしていた。太鼓橋の落下が眠っていた地殻を揺り起こしたのかもしれない。だったら、なおさらゆっくりしてられないぞ。

 急ぐ場合は四つ足で走ったほうが速い。その手足が痺れるほど疲れ、息が上がり、頭がもうろうとしてきた頃、広い空間に躍り出た。
 そこは薄緑の光に浮かび上がった鍾乳洞だった。
 突然現れた鍾乳石の列を見て、軍隊の待ち伏せと錯覚したぼくは思わずのけぞり、派手に転んだ。そこに後続が次々とやってきたもんだから、猿人のピラミッドができてしまった。
 林立する鍾乳石のたもとには、水をなんなんと湛えた地底湖が横たわっている。湖面に近づいたぼくは顔を首まで突っ込んで、冷たい水をゴクゴクと飲んだ。空きっ腹に染みる。
 ──美味しい?
 姉が横にやってきて尋ねた。ぼくはうなずいた。
 湖の底がぼうっと光ってる。それが天井や鍾乳石に反射して、あたり一帯を幻想的な舞台に仕立て上げている。声も出ない美しさだ。
 ──光りゴケなのよ。
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