− 第80回 −
第五章 溝の帯III 16
 最初のひとりが太鼓橋に取りつくと、後は堰(せき)を切ったように渡り始めた。中には肩に子供を乗せた者や、首から怪我人をぶら下げた者までいる。危ないことったらない。
 見る見る、太鼓橋の上は猿人で鈴なりになった。
 洞内が揺らぐたびに動きが止まる。治まると、また移動を始める。ロープでもあれば楽なのだが。じれったいけど見守るしかない。
 姉の姿が見えた。開き直ったようにスイスイと渡ってくる。しかし前がつかえてるので、なかなか思うように進めないようだ。
 先頭がやっとこちら側に到着した。次々と降りてくる人たちは、緊張から解放されたことで、地面に転がって息を整えてる。
 姉を含めて最後の一人が渡り終わるまで、大きな揺れが来なかったのはラッキーだった。

 じつは密かに、姉がこちらに着いたら、すぐふたりで逃げ出そうと考えていた。ブラウン族は疲れ切ってるからチャンスだと。でも猿人キョウスケは抜け目なくぼくたちを見張っていた。残念ながらあきらめるほかなかった。
 気がつくと、誰も皆、対岸を見つめている。何を悠長に構えてるんだ。先を急ぐべきなのに。
 彼らの視線を追うと、太鼓橋の向こう側にひと塊りになった人々が見える。え? まだ渡ってない人がいた?
 ──彼らは残ったの。
 え? どうして? 姉の顔を振り返った。
 ──重い傷を受けた人たちは、自分たちが重荷になることを恐れたのよ。
 そんな……。
 こちら側のブラウン族が見つめていたのは残してきた人々だった。名残を惜しんでいたのだ。
 ふいに眼に涙が溢れた。猿人としては初めて流す涙が──。姉が不思議そうに見つめてる。
 ……ぼくはなぜか、ブラウン族の人々を残して逃げる気がしなくなった。助かるなら彼らもいっしょでなきゃいけない。見捨てることはできない。
「姉さん、またいつ地震が来るか分からないよ。先を急ぐよう、伝えてほしい」
 姉は理解して、キョウスケに“告げた”。キョウスケは姉とぼくを睨みつけたが、すぐ全員に立ち上がるよう号令をかけた。
 姉はサユリに抑えられ、ぼくは再び先頭を歩かされることになった。
 全員が後ろ髪を引かれながら、前進を始めた。残された者たちの想いを無駄にしないように。
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