− 第78回 −
第五章 溝の帯III 14
 ぼくは人が死ぬところを見たことがなかった。父さん方の祖父母は、とうの昔に亡くなってるし、親戚の数が少ないのでお葬式に出た経験もない。
 数年前、幼児連続殺傷事件が起き、十代の若者が犯人というケースが増えた頃、学校で「命の大切さを教える」授業があった。ぼくにはピンと来なかった。誰がどう悲しんだとか、どんなにつらいかとか、そんな話を聞かされても、小説や映画と同じ絵空事にしか思えなかった。
 それはたぶん見ず知らずの人の死だったからだ。ここにたどり着くまでに死んだ仲間たちも、よくは知らない者ばかりだったから耐えられたんだ。いや、やっぱり絵空事なんだ。
 死んでしまった猿人ムネオ。人間のムネオには研究所で拉致されそうになり、ひどい仕打ちを受けた。猿人ムネオにも良い感情は持てなかった。それでも、多少関わった者が恐怖で顔をひきつらせて落ちていく一部始終を見てしまったんだ。溶岩に消える直前の表情まで。
 良い人悪い人を問わず、自分の知る人が死に行く様子を眺めるのが、こんなにイヤなものだとは……。死者の想いを託されたような気がする。いつまでも消えないような強烈さで。
 もしかしたら、これが「命の大切さを知る」ことなのかも知れない。身近な人の死……。
 父さん。
 ぼくは父さんの死に目に会えなかった。
 ぼくと母さんの元に帰ってきたとき、父さんはもう灰になってた。だからぼくの中では、父さんの死がすっぽりと抜け落ちてる。実感できてない。
 父さんの思いを受け止めそこねたんだ。
 最後の瞬間、父さんはぼくを思い出してくれたろうか。きっと思い出してくれたはず……。

 ぼくと猿人サユリは無言で長いことそこに腰掛けていた。風が肩先を吹きすぎていく。カラコロと火山岩の落ちていく音が洞内に響いてる。その斜面を無意識に見上げると──。
 えっ。
 道ができてる。どうして?
 サユリも気づいて立ち上がった。
 さっきまで急斜面の崖だったところに、斜めに道が走ってる。
 かろうじて人ひとりが歩けるほどの幅の道が。
 地震が作ったんだ! 地面を揺らしたパワーが、断層に沿って斜面を割り、それが道になったんだ。
 道の先は倒れた岩盤へと続いてる。岩盤は溶岩流の上に、まるで橋のように横たわっていた。
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