![]() − 第75回 − 第五章 溝の帯III 11 |
父さんの蔵書に野戦病院の様子を撮った写真集があった。いくつも並んだベッドに臥せた兵士たち。手足がない人もいた。 今ここに横たわっている猿人たちにも血の滲んでない者はひとりもいない。人間の場合より悲惨なのは薬も包帯もないことだ。おそらく瀕死の重傷を負った者は、途中で打ち捨てられたろう。 ウウウ。猿人キョウスケがもう我慢の限界というように牙を見せて脅した。ぼくはキイと一声叫んで、洞穴のひとつをアゴで指した。 最も風音の強い穴を選んだのだ。 キョウスケは疑わしげな眼でぼくと洞穴を交互に見つめていたが、やがてムネオの尻を叩いた。ぼくを連れて調べてこいと言ってるらしい。姉はサユリに見張られている。人質だ。 ぼくはキョウスケに、姉に手を出したら承知しないぞと、ひと睨み利かせてから洞穴に入った。ムネオが後からついてきた。 洞穴はやや下りだ。黄金の塊がいくつも頭を見せているが、やがて光が届かなくなると何も見えなくなった。足元はところどころがパックリと口を開けていて危険だ。手探りで進むしかない。 時間にして五分ほど進んだろうか、周囲が明るくなってきた。かすかに音がする。さらに進むとドドドという地響きを感じ始めた。 最後の曲がり角を折れると、視界が開けた。 なんという光景だろう。 音の正体は滝、溶岩の滝だった。ぐつぐつと燃える流れが、左上から滝のように落ち、眼下を強烈な熱を発しながらゆっくりと移動して、右の谷底へと消えている。 まるで地球の血管だ。ぼくたちは地球の体内に侵入した病原菌のようなものだ。あんな煮え立った中に落ちたら、白血球に襲われた細菌のように、ひとたまりもないぞ。 熱い光に当てられ、のぼせたように溶岩を見つめていた。後ろからムネオが突(つつ)いた。「どうするんだよ」とでも言いたげに。 左右を見渡しても、どこにも道はない。ここで行き止まりだ。風はどこか先へと抜けてるのだろう。確かめる方法もない。溶岩流の向こうには荒削りの地肌が見える。ここから何百メートルという距離だ。とても越えるのは無理だ。 振り向いてムネオに「あきらめろ」と言おうとした瞬間、グラリと揺れた。大きな船がローリングするように、ゆら〜りといった感じだった。ぼくはあわてて手近の岩に掴まったが、ムネオは悲鳴を残して溶岩流へ落ちていった。 |
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