− 第71回 −
第五章 溝の帯III 7
 猿人たちは崖の裂け目を、途切れることなく逃げてくる。後から後から転ぶようにして。
 ──私たちも“溝の帯”に逃げ込まなければ、ああなったでしょうね。
 姉が目を伏せてつぶやいた。でもぼくらだってまだまだ安全だとは言えない。この先どうなるのか……。
 崖に亀裂が走った。
 それは瞬(またた)く間に拡がった。ワンテンポ遅れて音がぼくたちの耳に達した。泳ぐのに夢中で気づいてなかった仲間たちも顔を上げた。
 崖は、上の方から屏風を倒すように落ちてきた。ブラウン族の猿人やライオンを天辺(てっぺん)に乗せたまま。その様子はまるでスローモーション映像のようにゆっくりとした動きだった。
 なんという光景だろう。
 切り取られた崖が、谷底つまりぼくたちのいる“溝の帯”に落下した衝撃は大きかった。それは砂まじりの突風としてぼくたちに届いた。
 やがて埃が晴れた。しかしブラウン族の悲劇が他人事ではないことに気づいたのはまさにその時だった。崩れた崖の先端がいくつも湖に落ちたのだ。それによって津波が引き起こされ、ぐんぐんとぼくたちの方へ押し寄せてくる!
 全員が悲鳴を上げた。
「急げ!」ぼくは叫んだ。
 疲れ切った体に鞭打って、みんな必死に水を掻いた。掻いて掻いて掻きまくった。
 津波は刻々と迫ってくる。水を飲んで激しく咳き込みながら横目で見上げると、波の高さは絶望的だった。あんなのにやられたら……。
 津波の先駆けに、山のようなうねりがぼくたちの船を襲った。ひっくり返ることはなかったものの、高々と持ち上げられたベージュ号の乗組員は生きた心地がしなかった。
 しかしうねりに乗せられたことが逆に良かったのだ。ぼくたちは泳ぐよりも速く対岸へと運ばれた。
「もう少しだ!」
 ようやく先頭の大男さんが岸辺に上がった。彼は倒れ込む間もなく、巨木船を引っ張った。しかし砂にのめり込んでなかなか動かない。
「紐を切るんだ!」
 ぼくの叫びに呼応するように大男さんは怪我人を固定していた蔓草に噛みついた。ぼくも父の体を解いて背負った。全員岸辺を高台に向かって駆け上った。「走れ、走れ!」
 津波の先端が岸辺に到達した。悲鳴があがった。
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