![]() − 第69回 − 第五章 溝の帯III 5 |
この前NHKスペシャルの世界遺産特集で見たどこかの湖よりも、この風景は遙かに美しく迫力がある。ぼくはしばらくの間、見とれてしまい、姉がすぐそばに登って来たのにも気づかなかった。 ──どうする? 言われてぼくは考え込んだ。湖を迂回するとなればサイズが大きいだけに、左と右のどちら方向に回ってもかなりの遠回りになる。 木の上に腰掛けたまま、真下の水辺を覗き込んだ。できたてホヤホヤの湖は、注ぎ込む川が持ってきた泥土のせいでミルクコーヒー色をしていた。ぼくはエイッと枝を蹴って、爪先から湖にダイビングした。後ろで姉が驚きの声をあげた。 ドボンッ。水深は結構ある。浮かび上がったぼくは仲間たちが見てる前で、平泳ぎをやってみた。大男さん始め全員が目を丸くして見ている。温泉に浸かる猿なら分かるが、泳ぐ猿人は珍しいのだろう。幼少の頃に米沢の川や池で泳いだのが役に立った。しかしここでクロールやバタフライなんか披露したらみんな引いてしまうだろうな。 岸に上がると、呆気にとられたままの彼らに向かって対岸を指さした。泳いでいくぞ! と。 準備が始まった。元気な者は見よう見真似で泳げばいい。しかし問題は怪我人だった。道具もなしに船を造ることはできない……。 湖をバックにしばらく考え込んでいたぼくは、これしかない、と大男さんを呼んだ。 「ずっと前に倒れた、大きな木を探して下さい」 大男さんは、そんなものどうする、と尋ねることもなく何人かの元気な仲間を連れて、森の中に入っていった。森と言ってもこのあたりの樹木は昨日の大地震でほとんどが薙ぎ倒され、大小さまざまな岩石の混じった“ごった煮”状態だ。 ぼくは姉といっしょに蔓草(つるくさ)を探した。できるだけ長くて、紐の代わりに使えそうなものを。 やがて大男さんらが巨木を引きずって戻った。ぼくはそれを湖に入れた。大丈夫だ沈まない。十分に乾いているようだ。ぼくは怪我人の体を巨木の上に乗せて蔓草で縛りつけた。“紐を結ぶ”作業もぼくにしかできないので随分と時間がかかった。最後に父を幹にかぶさるように乗せて固定したところで完成だ。 「元気な者は木に掴まって泳いで行って下さい」 ぼくらは湖に体を入れた。そして木を押しながら静かに泳ぎ始めた。心配はどうやら取り越し苦労だったようだ。自然の筏(いかだ)ベージュ号は予想以上にうまく湖面を進んでいった。 |
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