− 第53回 −
第四章 光の河II 27
 妙なニオイがタケルの鼻をくすぐった。そこはキッチンだった。タケルは靴を脱いで上がってみた。テーブルには食べ物のカスが散乱していた。インスタント物やお菓子ばかり食べ散らかされている。ドリンクのボトルも何本か飲み捨てられている。それらから立ち昇る臭気だったのだ。
 食器はほとんどが床に落ちて割れている。博士は自炊する人だが、鍋やフライパン、炊飯器などもひっくり返っている。包丁はなんとダーツのように壁に突き立っていた。
 足の裏がザラッとした。床は泥まみれだった。しかたがないのでタケルは戻って靴を履き、ごめんなさいと呟(つぶや)きながら上がり直した。
 博士の研究所は今どき珍しい平屋だ。何度も遊びに来ていたタケルは当然すべての間取りが頭に入っている。タケルは順番に部屋を巡った。メインの研究室は破壊の限りを尽くされており、資料ファイルは棚ごと引き倒されていた。コンピュータは丸ごと無くなっている。図書室も散乱した本のせいで床が見えず、入ることすらできなかった。風呂にも洗面所にも博士の姿はなかった。猿などの動物たちは檻ごと消えていた。
 これは猿たちのやったことだろうか? 博士の飼っていた猿たちが檻から逃げ出して……。しかし猿の仕業にしてはひどすぎる。
 この家には二階がない代わりに地下室がある。その入口は──。
 ヴヴヴヴヴヴ……。携帯のバイヴが鳴った。ズボンの尻ポケットから取り出して表示を見ると、《祖父ちゃん》と出ていた。
「もしもし」
『おお、タ、タケル! ゴホゴホッ』
「祖父ちゃん、落ち着いて」
『用事を早よ済まして帰ってきたわい──今し方な、新出博士から電話がかかってきたんや』
「そうなの? 今どこに──」
『わしの話を聞きなさい。博士が言うに、前回の電話でちゃんと通じたかどうか心配やったて言わはるんじゃ。何のことやぁて訊いたら、《研究所には近づくな》じゃと』
 近づくな……?
『博士には、タケルはそろそろお宅に到着する頃ですよて言うたんや。そしたら《イカン!》ちゅうて、あわてて電話切られてしもたんや』
 イカン……?
 雷に打たれたようにタケルは突然悟った。あの日、博士の携帯から聞こえた耳慣れない乱暴な声。ガラスの割れる音!
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