![]() − 第31回 − 第四章 光の河II 5 |
タケルの生まれた米沢の小さな町は、山や川や池など自然があふれていた。幼少の頃からタケルはその中を駆けめぐって遊んだ。ちょっとした崖から転げ落ち、手足を擦りむくことは日常茶飯事だったし、魚を追いかけて深みにはまり、濡れねずみになったことも二度や三度ではなかった。そんなとき、困った顔をする実の親以上に取り乱すのが友達の親で、なぜ危ないところに連れて行ったかと自分の子の頭を小突いて叱るのだった。タケルが、ぼくが誘ったのだと説明しても友達の親たちはペコペコ頭を下げて笑うばかりだった。「タケルさんとこのおかげでワシら生活できとるんやぞ」と聞こえよがしに言う親もいた。当時はその言葉の意味が理解できなかった。 タケルの家は大きかった。見晴らしのよい高台にあり、土地は周囲の家の六軒分はあったろう。部屋の数も三人の家族が住むだけにしては多すぎた。後にタケルは知ったのだが、土地は父の武彦の上司、波多野支店長の一族所有であったのを、家は波多野の息のかかった建築事務所が設計したものを、父の転勤祝いと称して波多野が贈ったのだった。しかし父はそれを潔(いさぎよ)しとせず、月々返済する約束を取り付けて購入した。直属の上司ゆえ身分不相応であると無下に断ることもできなかった。「本当はもっと可愛い家がよかったねえ」とこぼすのをタケルはよく耳にした。返済のため、栄転したとはいえ家計は苦しく、タケルが乳離れするのを待って、母の由里子も父の銀行に事務員として働きに出ることになったのだった。 タケルはひとりぼっちになった。幼なじみ達は長じるにつれて媚(こ)びた目を向けるようになり、それがたまらなく嫌だったので一緒に遊ぶこともなくなった。父は県のさまざまな開発計画に携わっているらしく、毎日東へ西へと飛び回り、帰宅は午前零時を回ることも少なくなかった。母は母で「もっと稼いどかなくちゃね」と残業を重ねた。だからタケルの食事は通いの家政婦が作って、ひとりで食べた。タケルの生活からは遊び相手がいなくなり、畢竟(ひっきょう)、家に閉じこもることが増えた。 そんなときタケルを慰めたのは本だった。それは文章のたぐいではなく、父の書斎にある画集や写真集であった。武彦は旅行が好きだったし、転勤先でもその土地の景色を撮っては自ら写真集などを拵(こしら)えていた。タケルは学校から帰ると書斎に直行し、それらを飽きずに眺めた。土日も接待で家にいない父、毎日の疲れでダウンしている母はどこへ連れて行ってもくれず、タケルはただ写真を見ながら、空想の中で遊ぶしかなかった。 |
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