![]() − 第30回 − 第四章 光の河II 4 |
タケルは呆気にとられたまま、家来のように車掌さんを従えたおばさんの消えた扉を見つめていた。どうやら気分を悪くさせてしまったらしい。それは理解できたが、あんなに顔の形相が変わるものだろうかと驚いたままだった。まるで水が魔法で一瞬のうちにお湯に変わったような。今は、知らない人と気軽に会話する気分じゃなかったので丁重に断ったつもりなのに…。 タケルにとっておばさんが気に入らなかった点がひとつだけあった。それはタケルを「ボク」と呼んだことだ。タケルの身長は同年齢の平均よりかなり低い。顔つきも幼く見られがちだ。これまで「ボク」と声をかけられたことは何度もある。でも好きじゃないのだ。うまく説明できないけれど、なんとなく幼い子供のように扱われてる気分になるから。 新出博士は違った。忍び込んだ研究室で見つかったとき、博士の第一声は「君は名前を何という?」だった。そう「キミ」なのだ。その時タケルは博士を“同類”だと感じた。そしてふたりは年齢の離れた親友になった。タケルは気づいていないが、父のいないタケルにとって、博士は父親であり兄貴のような存在なのかもしれない。 そんな博士が行方不明、音信不通──。なんとか無事でいてほしい──タケルは強く念じた。 窓の外を流れていく小さな町の風景が、タケルに、米沢に住んでいた頃を思い出させた。 タケルの家があったのは米沢市でも端っこのほう、田舎というほどではないが、古い町だった。 タケルの父、武彦(たけひこ)は銀行員だった。職業柄、転勤が多く、若い頃はどちらかというと旅行気分で、自ら進んで転勤を楽しんでいたとタケルに話したことがある。そして京都の支店に着任したとき、母、由里子と出会ったのである。ふたりはすぐに恋に落ちた。そしてまもなく武彦が転勤することになったとき、由里子(ゆりこ)は迷わず武彦に付いていくことにした。ふたりは急遽、結婚式を挙げた。媒酌人は入社以来、武彦に目を掛けていた神奈川の支店長、波多野守(はたの・まもる)だった。ふたりが新居を構えたのは、武彦の転勤先である米沢だった。武彦は課長に昇進した。それは同じ支店に移ってきた波多野の計らいによるものであり、彼は、将来を見込んだ武彦を手元に引き寄せたのだった。 米沢は波多野の故郷だった。彼の家は代々この地方の名士であり実力者だった。波多野御殿といえば町のどこからでも見える“城”であり、その威容はつねに周囲の家々を睥睨(へいげい)していた。 |
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