− 第29回 −
第四章 光の河II 3
 初めてのひとり旅。決行当日の朝は風に揺れる雨戸の音で目が覚めた。午前五時。家の中は静かだ。タケルはリュックを背負って足音をたてずに階段を下り、家の外へ出た。雨はひどくない。タケルは頭からすっぽりレインコートをかぶると、自転車にまたがった。
 駅前の駐輪場に自転車を預けて、切符を買う。ここは私鉄の駅だからまずは京都までだ。始発の乗客は少ない。こんなガラ空きは初めてだな。
 京都駅に到着し、行き先表示を見ながら、どうにかJR駅に着いた。新幹線切符の買い方については素直に、教えてくださいと駅員に尋ねた。駅員は微笑みながら「みどりの窓口」を教えてくれた。「特急料金」の意味も説明してくれた。

 無事に『のぞみ一○四号』に乗れたタケルは、雨に濡れる扉の窓を眺めながら、ホッと息をついた。なんだ、新幹線に乗るのって簡単だ。
 タケルは切符に書かれた番号を照らしながら、自分の座席を探した。帰省ラッシュが始まったせいか、車内は少なくない乗客がいた。それでも指定した席は窓側だったので安心した。
 座席につくと眠気がやってきた。さすがに朝が早過ぎたんだ。タケルはウトウトし始めた。
「ここだわ、ここここ」
 ニワトリが近づいてきたのかと思った。目を上げると祖母ちゃんぐらいの年齢の女性が満面の笑みでタケルの視界に入ってきた。
「ああぁ、乗れてよかったわぁ。走って汗かいちゃった。ボクぅ、おとなりにお邪魔するわね」
 そう言うなりドスンと腰を落とした。タケルの体が数センチ浮いた。おばさんはハンドバッグから扇子を取り出してバタバタとあおぎ始めた。
「クーラーが効いてて助かるわぁ。こんな早い時間に乗るってのに、うちの家族ったら全然協力してくれないんだから、やんなっちゃう」
 どうやらタケルに話しかけているらしい。
「あぁ暑い暑い。ねぇボクぅおひとり? こんな朝早くひとりで東京へ? 偉いわねえ。お母さんはご一緒しなかったの? お父さ──」
「すみません」タケルは頭を下げた。「静かに置いといてもらえませんか?」
 その瞬間、タケルの目は信じられないものを見た。笑いじわの顔が一転、鬼と化したのだ。おばさんは検札に来た車掌の前に立ちふさがった。
「他の席に換えてちょうだい。いますぐ!」
 金切り声をあげたおばさんは車掌さんを摘むように押しながら、隣の車両へと消えていった。
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