− 第23回 −
第三章 溝の帯II 8
 見渡しただけでも、十体以上の死骸があるだろう。みな、岩に押し潰されたり身体の一部をはさまれたりしてそのまま息絶えたようだ。岩の下にはさらにこの何倍もの猿人がいることだろう。
 背中を刺す太陽光線が熱い。なのに体の震えがとまらない。こんなにたくさんの死骸を見たのはもちろん初めてだ。ぼくはすがる思いで姉の方を見た。姉は少し離れて、岩の前にかがみこんでいる。ぼくが近寄っていくと彼女は身体を引いて一体の白骨を示した。
 ──母よ。
 え? 母親ならちゃんと生きてるじゃないか。
 ──あれは新しい母親。これがあなたとわたしの本当の母なの。
 ぼくは吸い寄せられるようにひざまずき、怖々ながら白骨を観察した。もはや男女の区別もわからない。わずかに残る長い毛が女性を連想させるというのはあまりに現代風の考え方だろうか。
「ここで何があったの?」
 姉はしばらく母の頭蓋骨をなでていたが、やがて何かを決心したように腰を上げ、そばの平たい岩にぼくを誘った。それはベンチのような岩だった。もしかすると、姉はよくここにひとりで来ては、この岩に腰掛け、在りし日の母を偲(しの)んでいたのかもしれない。
 仲良く並んで座ったぼくに姉が手を伸ばしてきた。その手がぼくの左手に重なったとたん、まるで雷に打たれたように体中を電流が駆け抜けた。
と同時に、あふれんばかりの映像が頭の中に流れ込んできた。ぼくは息を飲んだ。

 森林が見える。その向こうは曇り空だ。ところどころ赤く輝いているのは何だろう。肌に心地よい風を感じる。風はほの甘い香りを含んでいて、その中に身を沈めていたい気持ちにさせられる。
 映像は森林のアップになった。大勢のベージュ族がいる。彼らはめいめい地面に落ちた木の実を拾ったり、木の枝につかまりながら、もぎ取った実を直接口に入れたりしている。目を転じると、子供にお乳をやっている母親たちがいる。とても平和な光景に思えた。いやじっさい平和なんだ。
ここにはサイやトラのような猛獣はいない。
 頭上に広がる雲の一端がスーッと動いた。青空がのぞけるかと待っていると、代わりにゴツゴツした岩肌が見えた。かなり距離があるが間違いようがない。空一面が岩肌に覆(おお)われているんだ。
 ──ここは、地底世界なの。
 姉の思いは、強烈な懐かしさを伴(ともな)っていた。
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