− 第21回 −
第三章 溝の帯II 6
 泣きながら眠ってしまったらしい。目覚めると洞穴の入口には朝陽が差していた。
 姉の姿は見えない。眠りに落ちる前、姉に膝枕してもらってたことを思い出した。父の様子をうかがうと、すやすやと寝息を立てている。容態は安定してるようだ。母も弟たちといっしょに横になっている。
 外へ出てみた。陽光はまぶしいけれど溝の帯がはっきりと見える。なんて雄大なんだ。世界遺産に登録もOKって感じだ。
 声がするので洞穴の下をのぞいてみると姉がいた。ふらふらしてる。驚いた。姉は二本の足で歩く練習をしていた。昨日までは他の猿人たちのように四本足で歩いてたのに。
 そうか、ぼくの真似をしてるんだ。二本足で歩くことの便利さに気づいた姉は、自分もやってみようと。ぼくはうれしくなって、岩場を伝って姉のそばに降りていった。気づいて振り向いた姉にぼくは手を挙げて「おはよう」とあいさつした。もちろん言葉なんか出ない。「アァ」という鳴き声程度だ。姉も真似して手を挙げる動作をした。うんいいぞ。猿人さんたちにはできるだけ良い影響を与えたいものだ、なんてね。
 昨夜はこの姉がぼくを慰めてくれた。そのお礼を伝えたいと思ったけど、方法がない。照れくさくなってぼくは溝の帯に目をやった。
 ──あそこに興味があるのね。
 ギクリとした。言葉じゃない。昨日と同じように頭の中へ直接聞こえてくる。
 ──あそこは聖なる地。決して足を踏み入れてはいけない場所。
 ぼくも調子を合わせるように心の中で言葉を思い浮かべてみた。「わかってるよ。山のカタチが毎日変わるくらい危ないところだからね」
 ずっと立ってるのはしんどかろう。姉をうながして岩の上に仲良く腰かけた。
 ──ちがう。そうじゃないの。
 え?「ちがうって、どういうこと?」意外な返事に、姉の顔を振り返った。
 ──あなたは小さかったから覚えてないのね。
 すっと姉は腰を上げた。
 ──付いてきてごらん。
 姉はバッと地面を蹴(け)った。と、みるみる斜面を上手に滑り降りていった。ぼくは言われるまま、付いていった。途中、倒れた木々の間をくぐり、形が変わってしまった湖からあふれる水でできた川を飛び越え、ひたすら進む。
 姉の向かう方向は、溝の帯の中心だった。
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