− 第16回 −
第三章 溝の帯II 1
 暑い。空が青い。青すぎて落ち着かない。
 視界いっぱいに広がる青。そこに突然黒いものが侵入してきた。何だろうと思っていると、いきなり頬を打たれた。ぼくは鋭い痛みを感じ、もんどり打って倒れた。同時にゾッとするような遠吠えが耳をつんざいた。
 何だよいったい! それでなくても今日はヤなことばかり続いてるっていうのに! いらだたしい気持ちが体の底からわき上がってくる。ぼくは頬を押さえながら相手を見すえた。
 猿──。また猿だ。
 そいつは、あ然としているぼくに対して、しゃにむに乗っかかってきた。イテッ。噛みつかれたぞ。ぼくは仰向けに転んだまま、つかんだ相手を右足で思いっきり蹴り上げた。巴投げだ。
 ギャッ。そいつは見事に宙を飛んで、斜面をごろごろと転がり落ちていった。…やったぞ。どうだ、小学生だからってバカにするんじゃないぞ。逆上がりはできないけど。本ばかり読んでないで表で遊びなさいって叱られたりするけど…。
 呼吸が落ち着いてきたら、急に周囲の音が聞こえだした。ギャギャッ。キキーッ。
 ぐるりを見回した。あちこちで何十匹という猿たちが争っている。相手を組み敷いたり、木の上と下で吠え合っていたり、中には噛まれたのか、ひどく血を流してるのもいる。まるで戦争だ。
 いやこれは本当の戦争なんだ。毛並みがそれを物語っている。一方が濃い茶褐色の猿たち、対するのがベージュの猿たち。違う種族間の戦いなんだ! ぼくは戦場のど真ん中にいるんだ!
 待てよ。左手を挙げてみた。ぼくの手の甲から腕にかけてびっしり生えているのはベージュの毛だ。そうだ、ぼくはベージュの種族だった。うっかり忘れていた。何が小学生だ。ん?
 別の猿が腰に飛びついてきた。ぼくは右足をしっかり踏ん張ると、払い腰で投げ飛ばした。どうだ、柔道だぞ。日本人を甘く見るんじゃない。ほかに二三匹、隙をうかがってるのがいたが、にらみつけると、すくんでしまったようだ。
 そのとき、崖っぷちの一群が目に入った。茶褐色の猿たちの輪の中に、おびえたベージュ猿が見える。その足下には血まみれの老いた猿が倒れている。
 あぁ──あれは姉さんだ。倒れてるのは…父さん! 
 ぼくは近くにあった太い枝を拾い上げ、茶褐色の猿たちの中へと駆け込んでいった。こちらに敵猿の注意が向くよう、大声を上げながら。
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