− 第10回 −
第二章 光の河 6
 タケルが読書好きになったのも、博士の膨大な蔵書のおかげだ。初めは博士に紹介されるままに閲覧していたが、博士が学会などで不在のときには、動物たちの世話をする約束で研究所の鍵を預かり、好きな本を日がな一日読みふけった。
 博士と出会ってからの数ヶ月は、タケルの中で宝石のように光り輝く思い出だった。

 関西に引っ越してからも、タケルは週に一度は博士と電話で話した。掛けるたび、つい長電話になってしまうが、IP電話を使っているのでお金の心配はいらない。
「博士、今日はぼく、すごい夢を見たんです」とタケルは早速本題に入った。
「ほう。聞かせてもらおうか」
 タケルは就寝時間の早い家族に気遣って、声が大きくならないよう注意しながら、受話器を持ちかえて、ベッドに腰掛けた。
「ぼくね、大きな地震に遭(あ)ったんです」という出だしで話し始め、老木の根が作る空洞に避難したこと、激しい揺れと共に目の前の地面がパックリ割れたこと、逃げまどう人々がそこに吸い込まれるように落ちたことまで、一気呵成(いっきかせい)に話した。
 地割れの件(くだり)では耳に残る悲鳴がよみがえってきて、思わず身震いしてしまった。
「その様子を見たとき、心の中で“ざまあみろ”って叫んでしまったんです」
「そうか」
 タケルは博士と話すとき、一切隠し事をしない。躊躇(ちゅうちょ)する気持ちがないではなかったが、博士に話したことを後悔するようなことは、今まで一度もなかった。
 タケルは話を続けた。
 地割れに落ちそうな人を助けてしまったこと、それが小猿であったこと。
「猿ぅ?」と、博士は意表を突かれたのだろう、声が裏返っていた。
「そうなんです、博士が飼ってたチンパンジーぐらいの大きさで」
「いやぁーこれは面白い」とワクワクしている。
「でしょう? それで地震がおさまるのを一緒に待っていたら、今度は母親が登場したんです。それがね、猿じゃなくて猿人(えんじん)だったんです」
 霊長類研究家の博士は呻(うめ)き声を上げた。自分もその夢を見たい!と思ったのだろう。でもこの時点でタケルはわざと話す順序を変えていたのだ。
 そして、その時がきた。
「でね、じつはぼく自身も猿人だったんですよ」
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