![]() − 第3回 − 第一章 溝の帯 3 |
なんで猿なんだ? チンパンジーなんだ? ぼくは尻餅をついたまま、助けたばかりの小猿から後ずさりした。はあはあ。息の乱れが治まらない。 ぼくはぎゅっと目を閉じて深呼吸をした。ゆっくりと十数えて、おそるおそる目を開いた。やっぱりいる。そこには怯(おび)えた顔できょろきょろしている小猿が確かにいた。いま流行(はやり)の家庭用ロボットじゃない、正真正銘の生き物だ。 動物園から逃げてきたんだろうか。地震で檻(おり)が壊れたので逃げ出したってことも十分考えられる。 小猿は、きぃっと鳴いて、ぼくの左腕にしがみついてきた。一瞬逃げようかと思ったけど、なんだか怯えてる姿がいじらしく見えたし、伝わってくる体温が妙にぼくの気持ちを落ち着かせる。こんなふうに誰かに抱きつかれるのって、長いことなかったな。 ぼくは右手で小猿の頭をなでてやろうとした。 そのときになってやっと気がついた。今度こそ最大の驚きだ。 どうしてぼくの手は毛むくじゃらなんだ? あわてて手のひらを裏返しにしたり表にしたりしてみた。それから肘(ひじ)を、肩を、両足を。 どこもかしこも薄茶色の毛で覆われている。ぼ、ぼくは猿の着ぐるみを着ていたのか? しがみついてる小猿にかまわず、左手で右腕をつまんでみた。うぐっ。着ぐるみじゃないぞ。間違いなくぼくの皮膚だ。そんな馬鹿な。 どれぐらい時間が経ったろう。ぼくはずっとへたり込んだままだった。あちこちでまだ岩の転がる音がしている。 遠くからききぃーっと高い声が響いてきた。とたんに肩に乗っかってた小猿は声に呼ばれたように飛び降り、声のほうへ走っていった。 そこには声の主だろう、母親らしい大人の猿がいた。猿…いや猿というには、どこか違う気がする。全身が毛で覆われてはいるけれど、そんなに濃くはない。母親は小猿を抱きしめた。その表情にはどこか人間っぽさを感じる。“母猿”と呼ぶのは失礼に当たるような、そんな雰囲気がある。 母親はぼくのほうに顔を向けた。表情には我が子を守ってくれたのかという感謝と、そして明らかに困っている様子が見て取れた。 そう、思い出した。ぼくは嫌われていた。 みんなはぼくを嫌いだし、ぼくもみんなが嫌いだったんだ。 |
|