‖参日目‖



「やだなあ・・・もうこんな時間だよ」

 腕時計を見ながら、私は帰り道を急いでいた。
 いくら最近は陽が落ちるのが遅くなったとはいえ、こんな時間まで部活仲間と喋っていたとばれたらまた母に大目玉を食らってしまう。
 ああ、今になって悔やまれる、他愛も無い部室での仲間と交わしたお菓子の話や気に入らない教師の話。
 本当にどうでもいい事だった。母に怒られてまで話すようなものではなかった。
 特に積極的に話すわけでもなく、私は適当にあわせていただけだったのだから、本当に無駄な時間だったのだ。
 後悔先に立たずとは、よくいったもんである。
 だからといって、私は興味が無いから、と帰ることも出来ない。
 こういう年頃の子は仲間意識が強いから、少しでも自分達と違う行動起こせば即非難されてしまう。
 おまけに入ったばっかりの高校での部活、なるべく仲間との間にそういう荒波立てたくないじゃない―――
 テニスラケットの入ったカバンを抱えなおして、とにかく急ぐ。
 ああもう、自転車通学ならもっと楽なのにさ。中学は自転車通学だったんだけど、この高校は徒歩でないといけない。
 ぼやいたところで自転車が出てくるわけでもないんだけど。

 よく野良犬があさっているゴミ箱を横切って、赤い車が止まっている家の前を走り抜けて、大きな砂場がある公園を通り過ぎ―――ようとして、足を止めた。
 別に、童心に帰ってちょっと遊んでいこう、とか、思ったわけじゃ、けして無い。
 只今、六時半。真っ暗というわけではないけれど、それでも遊ぶにはちょっと遅すぎる。

 ―――だというのに。

 公園の砂場に、大きな砂山を作って遊んでいる子供がひとり。
 見たところまだ十歳前後。夜遊びというには、ちょおっと年齢が幼すぎやしないだろうか。・・・いや、どっちにしろ夜遊びはあんまりよくないけどさ。

 ―――どうしようかな。
 別に放っておいたって、私には関係ない。
 少年が非行に走ろうが、遅くなって母親に怒られようが、これっぽっちも関係ないのだ。
 いや、むしろ自分とて帰りが遅くなっている身である。これ以上寄り道するのは得策ではない。無いのだが。
 けれど、ほら、何ていうのですか。
 非行に走りそうな青少年がいたら、ちょっと待ったとストップかけてやるのが、大人の私のつとめというものではないのでしょうか―――?
 ―――大人って言っても、たった十六年しか生きてない、まだまだ若輩者ですが。
 そうと決めたら方向転換。
 もう既に六時半、あと少し遅くなった所で母に怒られるだろうという事実に変わりはないんだし、なんて開き直りもあったりする。
 鞄を抱えなおして、向かう先は子供がしゃがみこんでいる砂山。
 私が近くによっても、少年は俯いて砂山を作るのに夢中で、こっちに気付く様子もない。
 そんなに夢中になって作る砂山とはどんなものかと、私はひょいと身を乗り出して眺める。
 おお!?よく見たらただの砂山じゃなくて、砂のお城じゃないですか。
 しかも(多分)十歳児にしては偉く精巧なつくり。一見危なげに見えるのにそこは見事なバランスでしっかりと地面に立っている。ちょっとやそっとの振動では倒れそうにもない。
 いやーこの子、ひょっとしたら将来有名な建築家になるかもしれませんね。
 ・・・って、そんなことはどうでもよくて。
 何グルメテレビの評論みたいなことやってんのよ私。

「ねえ、君」
 声をかけると、少年はやっと顔を上げた。顔のあちこちが泥で汚れている。
 相当長い間集中してこの砂のお城を作っていたんだろうか。だとしたら、別に夜遊びとかじゃなくて今が何時か気付いていないだけかもしれない。
「もう六時半だけど、帰らなくていいの?」
 そう言うと、少年は大きい目をさらに大きく見開いて、え、と小さく声を漏らした。
 がばっと立ち上がって公園に設置されている時計を見やると、少年はうわあ、とかなり驚いた声を出した。
「気付かなかった・・・もうこんな時間・・・」
 そんなにここに居た覚えは無いのにな、と呟く。
 あ、よかった。やっぱり、非行に走ったわけじゃなくて、時間に気付いてなかっただけみたい。
 日暮れだということがわかったのだから、それじゃあこのまま少年は家に帰るよね、と、一安心して家に帰ろうと踏み出した足は。
「―――ま、いいか、別に」
 ・・・などという、少年の一言によってたたらを踏んだ。
「いいかって・・・早く帰らないと、お母さん心配するでしょう?」
 そう言うと、少年は少し首を傾げて。「お母さん、居ないから」と、特に表情に蔭りを見せることなくさらりと言ってのけた。
「―――居ないって・・・」
「いない。お父さんもね」
 えらくあっけらかんとした物言いに、こちらの頭が白くなる。
 ・・・ということは、この子ひょっとして、孤児?
 もしかして私、物凄く無神経なこと尋いた?
 何も言えずに呆然としていると、少年ははっと何かに気付いて、ぶんぶんとこちらに向かって手を横に振った。
「違う違うっ!変な意味じゃないよ、親はちゃんといる」
 何だかその慌てっぷりが妙におかしい。て、笑う場所じゃないんだけど。
 てか、私、小学生に気を使ってもらっているって・・・
 いや、まあそんなことで落ち込んでいたってしょうがない。何も言えずに呆然としていたことは事実だし、少年の方からフォローを入れてくれたことに、助かったのも事実なのだ。
「勘違いさせるような事言ってごめん。うん、親は。親はね、ちゃんと居るんだよ」
 けど、と少年はそこでいったん言葉を切った。
「家に居ないんだ」
「―――そうなの?」
「うん」
 何だ、じゃあこの子は孤児院とかが厭で抜け出してきたとかじゃないんだ。
 ひとつ気がかりが解消されて・・・だけど今度は、別の疑問が浮かび上がる。
 ―――・・・・・親が家に居ないって、どういうことだろう。こんな小さな子供ほったらかして、家に帰ってこないって事?それって―――・・・
「うん、でもまあ、お姉さんが心配しちゃうみたいだし、僕帰るよ」
 私が何も言えずにいると、少年はぴょこんと砂場から抜け出して、私の隣に立った。
 やっぱり私のほうが大きいから、少年が見上げる形になる。
「じゃあね、ばいばい、お姉さん」
 そう言って公園の出口に向かって走り出した。
 あわてて振り返ったけれど、まるで消えたように少年の影も形も無く―――

 ―――・・・随分足の速い子供だこと。



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20040411

もうひとりの主人公、登場。