蔵王堂が目的のひとつであるが、ここはゆっくりしたいところで、正確な創建時期は不明であるが、開基は役小角(えんのおづぬ)と伝える。その後、一時途絶えていたが、平安時代に聖宝が再興して、吉野山には多数の寺院宝塔が建てられ、神社なども修験 道の修行場として、神仏習合が行われていた。明治の神仏分離で多数の寺院が取り壊され、修行場となっていた神社は金峯山寺 より独立した。

 「吉野山」とは、1つの峰を指す名称ではなく、これらの社寺が点在する山地の広域地名である。また、吉野山の二十数キロ南 方、天川村の山上ヶ岳(1,719メートル)の山頂近くには大峯山寺がある。吉野山の金峯山寺と山上ヶ岳の大峯山寺とは、近代以降 は分離して別個の寺院になっているが、近世までは前者を「山下(さんげ)の蔵王堂」、後者を山上の蔵王堂と呼び、両者は不可分のものであった。「金峯山寺」とは本来、山上山下の2つの蔵王堂と関連の子院などを含めた総称であった。

 金峯山寺の本尊は3体の蔵王権現で、像は火焔を背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて忿怒の相を表し、片足を高く上げて虚空を踏むものである。日本独自の尊像であり、密教彫像などの影響を受けて、日本で独自に創造されたものと考えられる。修験道の伝承では、蔵王権現は役行者が金峯山での修行の際に祈りによって出現させたものとされている。(中は撮 影禁止なので写真はない)

 蔵王堂本堂横を通って仁王門から境内を出る。本来のお参りからは帰りなので逆になってしまった。 仁王門前の階段は急で、しかも下は道で車が通るので仁王門全体を撮ることができないのだ。仁王門は国宝で、本堂(蔵王堂)の北側に位置する入母屋造りで、本瓦葺きの二重門になっている。二重門とは2階建て門で、1階と2階の境目にも屋根が出ているつくりをいうらしい。3間1戸の楼門で、桁行12.3m、梁間6.9m、棟の高さ20.3m。軒先に吊 るしていた風鐸(ふうたく)の銘から室町時代の康正2年(1456)の再興とわかるという。本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北を正面とし、互いに背を向けるように建っている。これは、熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したためという。

  この後は、ケーブル山上前で小休止して、七曲坂を下り、途中濡れている道は滑りやすくて注意を要したが、無事に降りて、ケーブル乗り場前を通過して吉野駅に到着、ちょうど電車の発車時間が迫ったいたので土産屋のおばちゃんから声をかけていただきながら、寄ることもできずに帰途についた。天候に恵まれてよき一日だったのだ。



 
 

  



 

 食事後は、上千本バス停の横を上の道にあがる。この通りは左右に寺院・宿坊が多く並んでいる。吉野寺院・寺宝めぐりの立て札が表に置いてあるところが目立つ。いくつあるのか知らないが、結構あるしそれを見て歩くのが、今回の目的でもないので目についた2か所のみ表だけだが写真に収めた。

  竹林院は、聖徳太子の創建と伝わる寺院で、格調高い宿坊としても有名だ。以前にも訪れたことがある。護摩堂に安置されて いる聖徳太子坐像は南北朝時代の作で、庭園の群芳園は千利休が作庭し、細川幽斎が改修したといわれている。吉野山西側をのぞむ池泉回遊式の借景庭園で大和三庭園のひとつ、桜の季節にはぜひとも歩いて見たい場所です。 

 桜本坊も竹林院の道の反対側にあります。明治時代初めに、密乗院跡に再興された修験道のひとつで、もとは金峯山寺屈指の塔頭寺院だった。大海人皇子(のちの天武天皇)が吉野離宮で修養していたとき、冬の日に桜が咲き誇っている夢を見、その後皇位に就けたことからその桜の木の下に寺院を建立、桜本坊となったとある。
やはり桜の季節にくるといいようだ。

 勝手神社のところで来た時には左に行ったが、右にいった時の道から合流することになるが、その手間は帰りは急な下り坂になる。しかも細い道でトラックがくると店先に飛び込んで避けることになる。その合流手前に豆腐の製造販売店があった。林豆腐店といって、国産大豆、水、塩、製法にこだわっているという。店の前で呼び込んでいたおばちゃんに誘われて、できたての豆乳を飲む、少し甘くて大豆の香りがいい。ここで、ガンモドキとアゲを買う。今回は土産なしのつもりながら地元の商品はいいものだ。

  合流地点から坂を下っていくと、帰りに寄ろうと考えていた吉水神社への下り坂が右にある。ここを降りて、すぐに上って神社になる。ここの境内から見る吉野山の桜は、「一目千本」と書いた看板のあるように絶景であるとされる。今はは紅葉にも早いしアン バランスな色合いながら、山の景色に心が洗われる思いがする。吉水神社は、金峯山寺の僧坊・吉水院だったが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となった。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。源義経が弁慶らと身を隠したこと、後醍醐天皇の行宮であったこと、豊臣秀吉が花見の本陣とした等の歴史的逸話で知られている。ここも以前に中に入っているので外からお参りをした。
吉野紅葉狩り散策 (下)