如意輪寺から降りて、元来た道を戻れば良かったのだが、合流してところで上の方向へ行くことにした。また車道に出ると思ったのだ、簡単なマップは持っているが略図あり詳しくはどこを歩いているか分からなくなる。途中で下へ降りる道があったようだが、急 坂を降りるようで心許なくて車道にでた。

  ここからが迷いの元で、上の方へ行くと奥になるようなので下方向に歩くが、どんどん上りになってくる。その分は景色もよくなっ て、桜の木がたくさん色づき始めたいるところもあり、まあここが一番いい場所だったのかもし知れないのだ。そして、道端にコウヤマキの群落の看板を見つける。詳しくは看板の説明に譲って、こんなところにあるのは土地の人以外には知 らないのではと思う。それにしても異様な形になっている。中に入っていくと気持ちが悪くなるのはと思い止めた。

 道は大きくカーブになって上っている、この先まで行けば何とか判ると期待してやや疲れた顔で歩く、たぶん他人が見たら悲壮感 が見えたかもと後で思うが、青空の下であり足は大丈夫で昼飯さえとれば元気ではあたったのだ。お陰で先よりも更にいい景色を 見ることができた、上の方に開けて見えるのは上千本の一帯のなるものか、紅葉になったらもっと見事な景色になるのではと思う のだ。

  大きく道が曲がった先にトンネルが見えた。ここは以前にバスで通ったことがあったと思いだす。この先にバスの駐車場がある のだが、トンネルが狭くてここで行きかう車で大渋滞になる場所なのだ。だからこの道もバスで通ったことがあったのだが、判って いなかった。トンネルの反対側、左がトンネルでここで分岐道になっていて手前が帰る方向で、先は奥の方へと続くのだ。ここまでくれば、もう地図なしでも判るので、近くの見晴のいい場所に上って弁当にした。もう、この後は帰るのみになるのだ。




 
 

 

  





 
 如意輪寺は浄土宗の寺で,山号は塔尾山という。本尊は如意輪観音が祀ってある。また、本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓がある。正平2年(1346年)12月、楠木正成の長男・楠木正行が四 條畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数 に入る名をぞとどむる」を詠んだという。正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も 寺に伝わる。
  左の方、如意輪寺に向かうことにしたが、工事中で車は通れないようだ。歩くには支障もないので、左の道を下る。山道になり急坂もある。五郎平園地経由で如意輪寺に向かうことにする。これが、ぐるぐる回る道で間違ったかと思うくらいに歩くことになる。誰も通る人もないのだ。しかし、間違っていなくて五郎平園地に出る、中千本の中心になるところらしい。

 園地から、更に狭くなった道というか、あぜ道を降りていくと大きく曲がるところに小さい地蔵さんが立っている。由来のあるもの か判らないが、ひっそりと静かに見守っているのだ。やがて、如意輪寺へ上る案内看板があって急坂を歩く、途中から墓地が点々 と見えてくる。誰も通らないのでやや不安でもある。そしてやがて上から降りてくる道と合流して、如意輪寺への階段を上る方向へ 行く。

吉野紅葉狩り散策 (中)