川 村 二 郎委員長講演51年号)16演題概要  51年担当【H・Y】 P10

 

 

                      十月・神嘗祭祝祭  一月号・511号

戦前の今日、十月十七日は国家の祝祭日でして諸官庁、学校は勿論のこと電車、バス等に至るまで国旗を掲げ、全国民は家毎に国旗を掲揚して奉祝したのですが、戦後はそのような風景はどこにも見受けられなくなりました。これでよろしいのでしょうか。

大神はもと伊勢の天照大御神の相殿の神として、すべてのお祭りは天皇のご親祭を相嘗に聞召しておられたのですが、聖武天皇の勅命によって (僧空海の献策によるともいわれています) 京都の藤の尾の霊地にお遷り遊ばされて以来、千数百年の間、神嘗祭のみならず正式なお祭は、一切お享けになっていませんでした。まことに恐れ多いことです。

 

神 人 感 合 の 力  【一部現代文で掲載】B型式            十一月・秋季大祭  一月号・511号

  大神のご神告と氏子の信仰について「惟神の大道、四魂具足の信条を信仰の信条とした教えを心得て実行する者の少ないこと…」のご忠告を大神より頂く。又 平田先生よりも「氏神も神界にて集合の都度、氏子たちの不心得千万なることについてご評議があって実に困るなど、従って神人感合は四魂具足を実行することにより得られる。常に反省と懺悔する処に氏神は直ちに感応される」。

  なお続いて岸先生は、会員の中に会の信条と神掟について充分に心得ていない人もあるゆえ、ここに重ねてご神告の次第を説明することにします。と おっしゃって次のご説明なされました。

  「大神のご神告と氏子の信仰」、「惟神会の信条、信仰の信条」、「四魂具足と信条」、「四魂具足と神人感合」、「氏之祖ノ神と氏子の信仰」、「信仰の厳しさとその妙域」、「苦労に堪えよ、必ず成る」。

 「神の道を人の道になさんとする事に努力せよ。必ず成る時至るべし、その間の苦労に堪えよ」は大神のご神示です。神の保証される結果は努力にあります。

 

年末に当たり信仰の点検を              ?     十二月・月次祭  二月号・512号

 過ぎ行く一ヵ年を振りかえつて、自分、家庭、会員としての活動は、果たして如何であったか。

  「ご神業は絶対服従にて、神の御心と合致した時、ご守護下さるものと決めてよろしい」のご神示の通りを素直に実行することが、何より神への感合を得ることができます。

  「信仰は凡て実行にあり」の一言に尽きる。この年の終りに、至らなかった点、不都合な点、悪かった点等をお詫びし改める事を誓い、来る年へ更なる努力をして真の信仰人としての心でお迎え下さい。

 

報 賽 に つ い て   【原文で掲載】A型式              一月・月次祭  三月号・513号

  われわれに真の氏神を斎き祀らせていただいたのは、八意思兼大神の大稜威の賜であるということを心に銘じて、大神への感謝の誠を捧げなければならない

  この感謝の意を表わすためには、本部の祭典には必らず参拝または遥拝をして、自家の氏神のご神徳を称えてご挨拶を怠らないようにしなければいけない。ご挨拶の表れとして、大神に必らず報賽、ならびに各種のご神業に奉仕することも実行しなければならない。

  わが惟神会では、神さまに氏子たちが感謝の心で捧げる報賽を次の四つに区分しています。

 即ち ? 報賽、? 奉賛費、? 玉串料、? 祭儀謝礼、? 酒や海山川野にできた品々の奉納。

  本日はこの ?〜? について少し詳しく説明します。

 

八意思兼大神奉斎記念祭所感               二月・大神奉斎記念祭  四月号・514号

  大神は天平9年(西暦737年)迄 天照大御神の相殿の神として居られた真神霊でおられましたが、時の帝のご命令で京都山城国 藤之尾にお遷り遊ばされて以来、昭和三年二月四日迄、千二百有余年の永きに亘り、伏見稲荷の神域の一遇にご遷座されたあと、公の御祭りをお享けになられずにおられたのです。

  私はその藤之尾の近くに住む者として感慨一入深いものがあり、土地の古老からきいたこの霊地にまつわる話しをみなさまに聞いて頂き、かつ書き残して置きたいと思うのです。

以下は、私が土地の古老から聞いた実話です。

  古老曰く……藤森神社はずっと昔は今の稲荷神社のご領域にあって …… 弘法大師は広範囲の土地を騙し取って稲荷神社を造営したので … … それ以来、藤森神社の祭典にはみこしを担いだ人たちが稲荷神社にむかって「土地かえせ、土地かえせ」と騒ぐことになった。 伝説 実話として面白いではありませんか。

 

祓と霊界について                        二月・月次祭  四月号・514号

  日本の霊界には四つの世界があり、それと人間界(現界)との中間に幽界があります。

人間が死ねば誰もがこの幽界に入らねばならない。十日間過ぎると各自の生前の信仰などによる所属の霊界に入るのです。

一、真霊界 我国最上位の神々のまします世界で、四魂具足の神々によって形成されている霊界です。

      大和民族で真の敬神崇祖・四魂具足を実践している人は、死後に必ず入り得る霊界です。

二、神仙界 大国主命が統率されている世界で、三魂あるいはそれ以下の神々の支配する霊界です。

 三、仏霊界 仏教の伝来により 天平時代に形成された世界で、幽界の妖魅霊と関係を持つ、?霊界であることに注意を要する。

四、妖魅界 霊界における動物霊の入る世界であり、現界と特殊関係の霊は幽界に留まる事もあります

 仏教が入り動物霊を祀ることによる変則的な邪道が、今日なお盛んに行われ、人間界を汚してます。

先祖や氏子達がこれらの霊に祈願したり縁を結んだりしたことがあれば、霊界の法則により、氏神といえども氏子をして守り切れず、この事情を真剣に反省して祓を執行しなければ縁は切れません。

  氏神に詫びて、先の信仰対象の神に丁重なるお礼お詫びを申す祓の祭事をしなければなりません。

但し、祓いは飽くまでも氏子達の心からの懺悔によらなければその効果はないのです。

反省なき祓いは神に対し、無礼となります。

祓により信仰はいや増しに深くなるので、広大なご神恩にこたえ奉らなくてはなりません。

 

氏之祖ノ神奉斎記念祭所感                  三月・氏神奉斎記念祭・五月号・515号

  昭和三年三月一日 大神の神謀りによって、氏之祖ノ神五柱を初めて、惟神会(当時、明道会)において奉斎された日です。氏神を奉斎することは国家が建て替えられる重要なことです。

次に、信仰の反省について、少し変わった方面から考察をして見ます。

人間が物を見る、知る、思う、考える、見分ける、わきまえる、認める、悟る、理解するなど、物事を判別する力、判断する力、思慮分別の力、即ち、精神、心と云うものは本霊(第二霊)が第三霊の協力によって生じるものと惟神科学によって教えられてます。

この協力者である第三霊の良し悪しで、人格者であるか、その反対なる人格であるかが決まります。

第三霊の如何で、この信仰の教えが素直に受け取れない。ご奉仕も億劫(おっくう)(気が進まない)。参拝も理由がついてしまい感謝が少ない。理屈はつける。とかく信仰に反抗的になる等など、この様な心は第三霊の仕業と考え、自分をたえず点検し、反省し、不信仰になる心を乗り越えるようつとめる処に氏神と祖霊の力が加わるので、信仰向上にとっては大切なことです。

 

間接感合と直接感合                     ?   三月・月次祭  五月号・515号

  岸先生より

神人感合は、神のご意志のまにまに、神の(みょう)(じょ)(神仏の助力)を受け、本人限り之を自覚することである。神人感合は信仰に依り得られるもので、此の感合には間接の場合と、直接の場合があることを能く理解せねばならぬ」と 教えていただいてます。

 一、間接の神人感合

    真の敬神崇祖に醒めて、真神霊を奉祀したことで現れたご神徳である。その家中が氏神のご稜威によって清められたり、前の信仰との絶縁により邪神が退散しご神徳を得ることをいう。

二、直接の神人感合

    氏子たちが、真の信仰を理解し、神さまのいわれたとおりを素直に実行し、励みに励むならば、神さまは氏之祖ノ神として八意思兼大神の命令どおり、氏子が願わなくても、教え、導き、助け、守って幸福を与えて下さるのです。これを直接の感合というのです。

  これが得られない時、神の守護を妨げるもののあることに気付き、それらを取り除くことをしなければ、大神よりの天線が氏神から祖霊を通して氏子へととどかないのです。

この信仰は実行あるのみです。

 

ご神意かしこし心たぎる                ?      四月・春季大祭  六月号・516号

  本会の創始者岸先生の講演「明道会(本会の前身)創立前後の苦心国教10号の抜粋

 、 「誠に恐れ多いことでありますが、政治の神様であらせられる大神は、此の日本の行詰まりの現状を如何にご覧になりますか。何とか之を救う方法があるなら教えて頂けませんでしようか

 、 「今の天皇陛下の御代と崇仁天皇の御代とを比べてみよ。今自分が日本の政治を守護しょうとしても、自分の手足となって働く神は一柱もないではないか」と 仰せられた。氏神の外にないと思い、 

 、 「氏神の奉斎ということを開始しては如何でしょうか」と お尋ね申し上げた処、

  「それでよろしい」と 仰せられたそうである。

  みなさん、氏神奉斎をすることが、国家を立て替えることになるのです。

 

信 仰 と 忍 耐                    ?      五月・月次祭  六月号・516号

  大神のご神意は、この日本国を真の神国としての改革と四魂具足という信仰を広く日本人に述べるという、神と人の一大神業であり、このことはたゆまぬ努力と辛抱、我慢を必要とします。

神の御心に叶うには、すべて神掟の実行にあり、みなさん、大神さまは

神の道を人の道となさんとする事に努力せよ、必ず成るの時至るべし、その間の苦労に堪えよ」と仰せられ、又、神界では「人の克己心を認める。克己心と信仰とは比例する」との ご神示を以って信仰には克己心、勇気、そうして苦労に堪える忍耐などが、信仰向上の根元であり、秘訣であると(さと)(説諭)されています。

 

惟神会創立四十八周年記念祭所感       ?       五月・創立記念祭  七月号・517号

  「記念祭は追憶と反省の日とするがよい」との 岸一太先生の教えに従って、氏神奉斎を始められた

昭和三年頃のことを追憶することにします。前ページの先月の秋季大祭の講演ご神意かしこし心たぎるで紹介しました

神人交通の問答 【氏神奉斎の経緯】の後日談、「氏神奉斎を開始… …それでよろしい」というご返事があり、その後で、岸先生が明道さん(無形、有声の霊)に様子を聞かれると、大神さまは平田先生に向かって、モウ、大丈夫である。岸の心に氏神奉斎をすれば、日本は立て替わるという気が起こってたきから心配はない」と仰せられ、更にまた真の氏神は神が教える」とのお言葉で、霊界から大神によって氏之祖ノ神を知らされ、五月十九日には早くも百柱に達し、その時、霊界からのこの惟神の大道を広めるため一つの団体を作れ、そうして目標達成を少しでも早める運動をせよ」との御教示をもとに、神人一体の明道会が誕生したのです。

 

朝 夕 の 奉 仕                         六月・月次祭  8月号・518号

  氏之祖ノ神は、大和民族の大祖神であらせられ、四魂円満具足の大神霊であらせられる天照大御神の御孫ニニギの命の御子神でありす。理由なくして個人の家庭にお迎え出来る神ではないのです。

この神の仕事は大和民族であるわれわれがこの世に生まれる瞬間に本霊と呼ぶ魂を授けることです。

人としての生涯を終えた時その魂を引き取られて浄化の道の修行を指導し、浄化したら再び人間の本霊として再生させたり、人の第三霊として生後数ヶ月の赤子に憑依させて人のよき相談者となることが出来る民族魂の同化をしております。この理解が惟神会の信仰にとって大切なことなのです。

  氏神はわれわれ惟神会員の氏神としてご鎮座の時、

 「これが神の氏子である。今日から氏神として、氏子を守護し、福禄(幸福)を与えよ」との命を受けて、各家にお鎮まりになられてます。この幸せな境遇を感謝の形で現わすために朝夕の心からのご奉仕を捧げることも大切です。この感謝気持ちが敬となるので、この心の働き場所は会員同志の座談会、祭儀の研修などで大神の手足になれるよう心がけることです

本 部 祭 典 参 拝                        八月・月次祭  八月号・518号

  本部に鎮まります大神のご神意は、平和裡に真の大和民族に直すための民族同化が目標です。

このご神業遂行には八意思兼大神、氏之祖ノ神、祖霊の三者一体の霊界での結束と、そのご神業推進に理解のある現界での協力者、すなわち惟神会員の増強が必須条件です。顕幽一貫の協力体勢が樹立されなければ、ご神業の完全な遂行は不可能です。

大神を中心に集う氏之祖ノ神の御心をよく理解して、会員は「敬」と「感謝」の気持ちを込めて、更に強い「信念」でその「決意」を「誓って」、神人一体となる覚悟を持って、この信仰の大切さを考えて、本部の祭典にはこぞって参拝をし、氏神のご稜威に対して誠意を捧げましょう。

 

家 庭 月 次 祭                         八月・月次祭  十月号・520号

  氏之祖ノ神ならびに祖霊奉斎の意味をよく理解して、その恩頼を称えて、ご守護を感謝し、併せて一段と四魂具足にいそしみ、信仰向上と、ご神業推進の決意と誓いをこめて、毎月一定の日、または曜日をきめて、お祭りをお仕えせねばなりません。それが家庭における月次祭なのです。

一方祖霊さまも氏神さまの御導きにより修行されてますが、この親孝行な真心の祭事が重なる度に祖霊の浄化が進み、子孫を守る力が増して行くのです。

この氏神の御元で安心立命をなさる祖霊も現界のわれわれもこのお祭りで一層の信仰の醍醐味を頂けるのです。

 

支 部 座 談 会                        九月・平田霊祭  十一月号・521号

  支部座談会には、霊界から各家の氏神さまや祖霊さま方がご臨席になって、氏子たちの様子をご覧になり、聞かれていることを忘れてはいけません。まさに、顕幽一貫、神人一体の座談会なのです。

  また、支部の座談会は会の方針を伝達したり、支部の希望を上申したりするところの会の発展の拠点であり、基盤でもあります。

 

                    九月・秋季みたま祭  十一月号・521号

  本日この大広間に神籬を指し立て、本会の役司(現界で活躍した)たりし尊霊(みたま)、会員各家の祖霊などを招ぎ奉って、ここに秋のみたま祭を仕え奉ることができましたことは、本会の幸福とするところです。

 回顧しますれば、本会が今日かくあるのは本会の創始者である 岸先生のご功績を筆頭に、惟神会歴代の委員長ならびに委員長を助けてご神業推進の実績を積み重ねてこられた、歴代の副委員長、各部長、委員、支部長と幹事、教務員、祭員など、各位の全く犠牲的な、ご尽力、ご奉仕の賜であり、また、役職はなくとも会員氏子としてご神業推進のため、会の陰の力となって懸命のご奉仕を惜しまれなかった、会の先輩各位のご尽力の賜でありまして会として、また会員の私たちとしていくら感謝しても感謝しきれないものがあるのです。

                                            以 上

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