報 賽 に つ い て   P5

 

惟神会委員長 川    村    二    郎

 

 本日は報賽についてお話をいたします。

 報賽は信仰向上のための一月の努力目標でありまして、信仰向上の点検表…十二項目中の第四番目の項目であります。

 各家庭におかれても、支部の座談会におかれても、それぞれ工夫し、研究して努力しておられることと信じていますが、本日は更に一歩進んで点検して見ましょう。

信仰向上の点検表第四番目の項目である報賽についての今期の(初期)目標は

一、玉串料は祭典参拝のつど奉納。

二、奉賛費は三〇〇円以上納入。

三、報賽金は家庭に報賽箱を置き、本部祭典時に持参し奉納。

教務必携八十五頁記述の意味をよく理解して、となっております。

なお、同項目の希望目標としては、

一、奉賛費は月額三〇〇円以上確実に納入。

二、玉串料は祭典参拝の時必らず奉納。

三、報賽は教務必携八十五頁の記述通り実行。

となっています。八十五頁の記述は次のとおりです。

 われわれに真の氏神を斎き祀らせていただいたのは、八意思兼大神の大みいつのたまものであるということを心に銘じて、大神への感謝の誠を捧げねばならない。

そしてこの感謝の意を表わすためには、そのつどなるべくお礼のため本部の大神ヘ参拝すること、また、本部の祭典には必らず参拝または遥拝をして、自家の氏神のご神徳を称えてご挨拶を怠らないようにせねばならない。

 そしてこのご挨拶の真心の表われとして、大神に必らず報賽すること、ならびに各種のご神業に奉仕することも実行せねばならない。とくに、報賽は、その多寡は問題でないので、その人の心からなる感謝の誠によらねばならない。

かようにして、八意思兼大神さまの思召に副い、また氏神さまのご満足をいただき、祖霊さまのお喜びを蒙ることになると、そこにわれわれの期待するところの、いわゆる神人感合の力というものが自然に体得できるのであって、これが信仰の第一段階である、と教えられています。

惟神会本部の廊下の報賽箱、玉串箱の上の掲示には、広い意味では神さまに感謝の心で捧げるものは、すべて報賽といえましょう。そしてこの会員たちの心からなる報賽が惟神会の維持、経営の基本となると解説しているのであります。     

わが惟神会では、神さまに氏子たちが感謝の心で捧げる報賽を次の四つに区分しています。即ち@報賽、A奉賛費、B玉串料、C祭儀謝礼、D酒や海山川野にできた品々の奉納。本日はこの @ABC について少し詳しく説明をいたします。

 

 @ 報   

日常生活、つまり朝から晩までの自分及び家族たちの生活の中で、大神さまのおかげ、氏神さまのおかげ、祖霊さまのおかげと感じることが多々あります。信仰が進めば進むほど感謝の度数が多くなるはずです。そのおかげを感じるたび毎に、その証(あかし)として神さまのおん前に捧げるお金が報賽なのであります。有り難うございました。大神さまのおかげです。氏神さまのおかげです。祖霊さまのおかげです。といくら言葉で申し上げても言葉だけでは駄目なのです。それはいわゆるから念仏になるのです。

 われわれの信仰は実行なのです。証をたてねばなりません。大神さま、氏神さま、祖霊さまに対する心からなる感謝のその証が報賽なのです。

従って金の多い少いより氏子の真心に意義があるのです。慾が深いと、次から次へ大きい慾を追いかけるから感謝より不平不満が多く、横着で、うぬぼれが強いと、何でも自分の力でできたと思いあがっているから感謝の念が湧いてきません。

 信仰が進んで素直に感謝できるようになると、朝目が覚めた、物が見える、歩けた、ものが言えた、そのことが何という有り難いことだと感謝できるようになります。

晩寝るとき、今日一日家内一同無事であった、元気に働かせて頂いた、食物がおいしかった、ここに一日の勤めを終えて寝かせて頂ける、有り難い一日であった 等々、小さいことから、務めに関すること、家業に関することなど、大小種々随分感謝することは多いはずです。

 うっかりしていると気づかないで過ごしてしまいます。うぬぼれたり、思い上っていると感謝する心が湧き起ってきません。そのようなことではこれだけ沢山ご稜威を頂いている大神さまや、氏神さまや、祖霊さまに対して申し訳のないことといわねばなりません。

 みなさんのおたくではどうでしょうか、信仰の初歩は自分の生活の中から感謝することを探します。だんだん信仰が向上してきますと何事にも素直に感謝するようになります。したがって感謝の証、報賽が増加してまいります。

 教務必携に教えてありますように、報賽することは信仰向上の第一段階なのであります。とにかくやって見ることです。必らず導かれて行くことを自覚します。

心からの報賽と信仰は一致しているようです。

 

 A 奉 賛 費

 奉賛費も報賽に違いないのですが、これは「定額の報賽であると云う所に、感謝の都度神に捧げる報賽との違いがあります。つまり大神に対する感謝の証として惟神会の経営、維持のためご神業翼賛へのご奉仕の証として、自分の力に応じた一定額を決めて毎月、欠かさずに報賽するのを奉賛費と称しているのです。

 奉賛費も報賽も決して強要ではありませんが、神さまは何時でも、何処でも見ています。信仰はすべて実行なのです。言葉だけの感謝では神さまには通じません。われわれ信仰

生活者にとって大切なのは証であります。大神さまへ、氏神さまへ、祖霊さまへの感謝の

証であります。実行なのです。氏子たちの感謝の証、その実行をお喜び下さるのです。

 

 B 玉 串 料

このことについては教務必携百五十四頁に玉串の説明、百九十一頁に報賽と玉串料との区別についての個所に説明してありますように、玉串料とは、祭典、奉斎式 あるいは

臨時に正式に参拝するとき、玉串を受けてこれをご神前に奉奠する際に、その玉串に添えるべき幣帛(みてぐら)の代りとして応分の奉納をするものをいうのであります。したがって、その精神はどこまでも幣帛であるので、感謝のしるし、証なのであります。玉串料を添えないたんなるお榊だけでは玉串とはいえないのであります。

 

 C 祭儀謝礼

これは色々な祭事を祭員の奉仕によって執行した場合、例えば結婚式、葬祭を始め色々な家庭祭事、祖霊祭、奉告祭、鎮座祭、遷座祭、諸種の祓行事等を執行した場合、その真心を祭儀謝礼なる形において神さまに捧げ奉るものを云うのでありまして、これもまた金の多い少いをいうのでなく要は氏子の感謝の真心の証をいうのであります。境遇、生活に応じて精一杯の感謝の証をたてるべきでありましょう。

以上 報賽、奉賛費、玉串料、祭儀謝礼については忘れないよう、怠らないよう、素直に感謝できるようにそれぞれの持つ意味をよく理解して励むことが、神人感合を 自然に

体得できる信仰向上には欠くことのできない大切な条件の一つであります。

信仰向上のため、ひいては自分及び家族の幸福のためにも新らしい年の出発に当って、報賽、奉賛費、玉串料、祭儀謝礼について大いに点検し、反省して励もうではありませんか。                                 以 上


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