神 人 感 合
の 力 【51年1月号】 P08
本日は、神人感合の力について、八意思兼大神さまのご神示、平田先生のご訓示、岸先生のお諭しを心に再燃させ、今日までの信仰に大反省を行い、今日のよき日を意義あらしめたい所存です。
なお本会の教本教務必携には五十四頁から九十三頁にわたって、四魂具足と信仰向上について詳細に記述してありますので、その所を今日の話にあわせて、よくお読み頂き信仰向上に資して頂きますようお願いします。
大神のご神告と氏子の信仰
昭和四年十二月十六日
八意思兼大神から平田先生を通じて、岸先生に次のようなご神告がありました。
「昭和三年三月一日 氏神さま神奉斎の際、大神様よリ氏子の信仰に関して大切なご訓諭があったにも関らず、その後の経験に依れば氏子は信仰上、大神のご神示の主旨を実行しているものが甚だ少い」……
引続き平田先生より次のようなご諭告(上から下に告げる)がありました。
「何れの氏神さまも神界にて集合の都度、氏子たちの不心得千万なることについてご評議があって実に困る。この点心得なき氏子はご神徳を落すことが甚だ多い」と
……
なお続いて岸先生は「会員中会の信条と神掟について充分心得ていない人もある故、ここに重ねてご神告の次第を説明することにいたします」といわれて次の説明をされています。
「昭和三年三月 氏神奉斎を開始してから毎日ご神告を拝受して、惟神の大道、四魂具足の道を説き
…… 四魂の信条をもって信仰の信条として此の会の基礎を造りました。…… 昭和三年五月十九日 明道会を組織し …… 明道会員は四魂具足の行に励むことが信条で、此の信条を実行してこそ始めて神さまは氏之祖ノ神として氏子たる信者を守護して下さるのである。
此度四魂具足の行いを心得た人が甚だ少いため、大神から前記の如きご神告を賜ったのである」と
…… 謹しんで会員に告げておられます。
四魂具足と信条
続いて岸先生は
「四魂とは奇魂・荒魂・和魂・幸魂の謂(いわれ)であって此の四魂を具えることが人間の神に近寄る道である。この四魂を具足する考えを以て神にお仕え申せば神はお喜びになる」と教えておられます。この四魂を人間の生活におきかえたものが次の四魂の信条です。
奇魂・神人感合の力を得て皇国に奉仕せん事を期す。
荒魂・義勇奉公の行を果し社会に奉仕せん事を期す。
和魂・和合親愛の情を養い家、国を治め斉へん事を期す。
幸魂・利用厚生の術を研き国利を図らん事を期す。
この四魂の信条を円満に実行することが四魂具足の道なのです。
四魂具足と神人感合
平田先生のご霊示に
「この四魂具足の道を一刻も離れないよう努力すれば神人感合になり得る」
と、また、岸先生は
「四魂具足することによって神人合一ができる」
「吾々が真神霊の神を信仰すれば神霊界より其の人の霊に味方して下さる。即ち感合して御働き下さる。之を吾人(われわれ)は御神徳というのである」
「自ら反省して四魂具足に近づけば近づく程、神は益々感合して下さり、子孫も亦導かれるのである」
「神人感合と一言にいうが、却々(容易には)この域に達するのは難かしい、故に人間は絶えず反省し、ざんげして行かねばならぬ」
「反省し、懺悔する毎に神さまは感合して導いて下さるのですから、次第々々に人間が神人感合の域に達して行くことができるのです」
「自分の心がけが間違っていると氏子が少しでも反省するならば、その時に氏神は直ちに感応し、氏子を善導して下さるといわれる」……
結局は四魂の信条を実行する熱意で、日常生活に工夫をこらし、努力、実行し、反省して感謝あるいは懺悔して、更に一段と向上するよう、工夫、努力、実行、点検、反省を繰返すことによって神人感合は増大して行くのである、との教えです。(教務必携 五十四頁から九十三頁まで)
ただ今、
氏之祖ノ神と氏子の信仰
更に岸先生は氏神さまと氏子の信仰の実態と反省について次のように導いておられます。
「氏神さまご奉斎に当っては、氏神さまは八意思兼大神さまの命を以て『これが神の氏子である、今日より氏神として氏子を守護せよ、福禄(幸福)を与えよ』と命ぜられてお鎮り遊ばしたのであるから、必ず何か金銭上の利得とか、健康上の守護、利益とかが得られるのである。初めから何のご守護もご神徳もない人があるとすれば、その人は
@ 真の信仰をしていないのである。
A 必ず邪神、邪霊との縁を切ろうと思わぬ人である。
B 氏神はご守護、ご神徳を与えんとせられてもその人の霊がこれを受取ろうとせぬのである。
われわれ会員にもし万一不幸、不満、不幸をかこつようなことが生じた時は、その不平、不満をかこつ前にこの教えの
@、A、B、について自分の信仰の反省を忘れてはならないのです。
信仰の厳しさとその妙域
八意思兼大神さまの氏子の信仰に対するご要求、条件は決して優さしいものではありません。
次のように厳しいものです。
「敬神崇祖の真の信仰を実行すれば、信仰により原因結果は判然数学的になる」
「ご神業は絶対服従にて神の御心と合致した時、ご守護下さるものと決めてよろしい」
「真神霊は四魂の反省なき者には感合せず」
また会の創始者岸先生のみ教えにも、
「われわれ会員の信仰の第一歩はご神示を信ずるに始まり、これを信じなければ真の信仰に入る
ことはできない」
「信仰はすべて実行にある。その実行が一歩進めば、その信仰も一歩深く進むのであるが、その理を知るも実行せぬ故、決して信仰は進歩しない」と
…… 優さしくもまた厳しいものです。
このように信仰とは、そして神人感合への道は真に厳しいものです。
信仰とは心満たされ、安らかで、楽しいものですが、一面生身の人間には峻厳(大変厳しい)そのものです。しかしながらいろいろ述べてきましたように、会員であり、そうしてまじめな信仰者である限り、その行く手には
「神の守護により神人感合の状態に達すれば人にして神の働きができる。常人の想像もできない考えと行動ができる」
との岸先生の教えのように、神人感合の妙域が光り輝いているのです。その上氏神さまや祖霊さまは氏子たちがその域に達することを手を差し延べて待っておられるのです。われら会員の前途は素直で真剣に四魂の信条の実行に励む限り、実に希望多く、広やかで輝かしいものであって、如何に厳しくとも努め励む甲斐があるというものです。
苦労に堪えよ、必ず成る
このように、神人感合の妙域に達することは優さしいようで難かしく、自分の好きなものをお金で購入するような安易なものではありません。うぬぼれたり、怠けたり、タルンでいてはその境地には達し得ません。
素直に、謙虚に神のみ心に合致するためには、。四魂の信条を日常生活の中に活かすよう工夫研究して、実行、それを点検し、反省してざんげし、感謝しつつ厳しさを乗り越えて更に前進し信仰の向上に励む以外に手はないのです。
「神の道を人の道になさんとすることに努力せよ。必ず成るの時至るべし、その間の苦労に堪えよ」
との真に厳しい、しかも温かい親心に満ちたご神示を賜り、真の信仰の実行者には神が保証しておられるのです。なんとも心強い次第です。
真の信仰の初歩的段階である信仰向上の点検表(十二項目)によって自己の信仰の点検、反省、祭儀、教義の検定位で悲鳴をあげたり、弱音を吐いていては駄目なのです。克己心を奮い起し、辛抱強くがんばり抜かねばなりません。
苦労に堪え、厳しさを乗り越えて精一杯励み前進するならば、われわれの前途には、人にして神の如き働きのできる神人感合の力、信仰の醍醐味が待っているのです。努力次第で幸福な、力強い氏子に成長し、
神人感合の力を得て皇国に奉仕
今日の佳き日に、更に心を新に、更に一層強大な神人感合を得るよう努力して、立派な氏子に成長して、皇国に奉仕いたしましょう。
(昭和五十年十一月十六日 八意思兼大神秋季大祭における講演要旨)
以 上