川俣 均委員長講演47年号)演題概要   47担当【S・M】 P10

 

 

再びみこともちについて                           十月・神嘗祭祝祭  一月号・467号

みこともちということは、上の神さまのおことば、みこころを体してこれを実行に移し、さらにこれを次のものに伝えてこれが実行を促すことです。

朝夕、御神前で天津祝詞や神言を奏上するたびに、必ずそのはじめに出てくる「命以ちてみこともちて」の真意義をよくかみしめて、自分は氏子としては四魂具足にいそしみはげむと同時に、惟伸会員としては、大神さまの大みこころであられる国教確立という大御神業を成就達成すべき みこともち であるということを深く反省して、これを実行するとともに、これを次の代のものに伝えて、これが実行を促さなければならないのです。

 

どうすればみたまのふゆが頂けるか                   十一月・秋季大祭  一月号・467号

みたまのふゆふゆとは、()えることを意味しているのです。すなわち、自分の清らかな魂を氏神さまに捧げるならば、その捧げた魂に氏神さまのみたまが加わり、いわば威力の増大された魂となって、自分にかえってきますので、そこにみたまのふゆとなり、神さまの偉大なおはたらきが頂けるようになるのです。

四魂具足の氏神さまのみこころに叶うように、つねに四魂具足することにつとめ、できるだけ直接の神人感合の妙境に達して、みたまのふゆを頂くように心がけなければならないのです。

みたまのふゆを頂くための第二条件たる御神業翼賛も、また第三の条件たる御神恩感謝も、四魂具足することによって、おのずから道が開けてくるのです。会員各自が一人でも多くの新会員を得るように努力することであります。

みこともちとして新会員造成ということに通じるものであるという自覚がなければなりません。

御神業に翼賛することは、みたまのふゆを頂くための大切な条件です。

御神恩感謝のご報賽こそ、「今の経営は神がする」という御神意に添いまつることとなるのです。

ご報賽は金額の多寡でなく、まごころの問題であります。

氏神信仰のもとに以上三つの条件を実践することにより、ますますみたまのふゆを蒙むり、これを土台として国教確立という大御神業の成就達成にいそしみはげんで、大神さまの大みこころに、いささかでもこたえまつって頂きたいのです。

 

間接感合と直接感合                              十二月・月次祭  二月号・468号

間接感合ということは、その人の信仰が特に善いというわけでもなく、また行いが、四魂に叶っているというのでもなく、ただ真の氏神信仰にめざめて真神霊であられる氏神さまをはじめて奉斎しただけで一時的に現れる御神助です。

直接感合ということは、心から惟神の大道を理解するとともに本会の使命を肝に銘じ、四魂具足に叶う行いをして、氏神さまに祈願することによって得られる感合です。

この直接感合は、その祈願が四魂の神掟(かみおきて)に、どの程度叶っているかによって、その感合の度合(どあい)もちがってくるのです。

どうかみなさん四魂具足にいそしみはげんで、直接の神人感合のもとに、自分の幸せはもとより、さらに進んで大神さまの国教確立という大御神業に献身努力しようではありませんか。

 

われ神と共にあり                       一月・月次祭  三月号・469号                                             

「われ、神と共にあり」という固い信念こそ氏神さまのみいつを頂く上に欠くべからざることです。

どんなに苦境に立たされましても、「われ、神と共にあり」という信念のもとに、絶対に氏神さまを放さず、四魂の信条そのまま、ひたすら努力すれば、必らず道は開けて、みたまのふゆが頂けるのです。

氏神さまは、われわれ氏子にとっては、魂のオヤであり、氏子は魂の子でありますから、氏子の方で反省して非を悔い、どこまでも氏神さまとの縁を切ろうとしないかぎりは、そこに時間的長短はありますものの、魂のオヤにまします氏神さまは必らず魂の子である氏子を救って下さるのです。

 

                              二月・大神奉斎記念祭  三月号・469号                                                                                          

人生という曲線のなかには、さまざまな経験が含まれているのです。

現代の日本には、近道主義ともいえる行き方が多分にあります。すなわち自分の目的とか欲望をみたすために、順序をふまずして、近道をして一挙に手に入れようとする人生態度が多いのです。こうした在り方は、老人よりはむしろ若い人に多く見うけられるようです。

近道主義をとろうとする人生経験の浅い若い人たちの直線的気持ちはよくわかるのですが、人生はさまざまな経験というものから成っている曲線であることを、忘れてはならないと思うのです。

 

平田篤胤先生の養生(ようじょう)要訣(ようけつ)(身心共に健全の奥義)に学ぶ              二月・月次祭  四月号・470号                                             

平田先生は、いまは心霊界におりますが、もともと人霊でありますので、四魂具足の神格は具えておりましても、神と人とはその素質を根本的に異にしております故、平田先生は神そのものではありませんものの、実に本会にとっては欠くべからざる偉大な御存在であります。

われわれ惟神会員は、氏子にして会員であるという同時原則を忠実に、正しく実行するためには、身心の健全をはかる、すなわち「養生要訣」をよく守って実行しなければならないのです。

平田篤胤先生の「養生要訣(六害について)は、古道研究のため身心の健全たるべきことを求めておられるのですから、われわれは、平田先生の「養生要訣」を厳守し、身心共に健全となって、四魂具足の真の惟神の道を宣布確立し、日本民族はもとより、世界人類の平和と福祉に貢献しなければならないのです。

 

氏神信仰の二面性                                三月・氏神奉斎記念祭  四月号・470号

氏神信仰の二つの面として、

第一、氏神信仰によって日本民族たる真の自覚と誇りが得られると同時に祓いをすることができる。

第二、敬神は崇祖にありという氏神信仰によって、祖霊の浄化が進み、大神さまの大みいつのもと、祖霊が浄化して夜の守り日の守りに家族たちを守護できる、すなわち真の崇祖が完成する。

二つの面をあげることができるのです。

また氏神は人間の心を万事見通しでありますから、氏神に祈願する場合は特に声を出さず、心に念じることだけでよろしいと神定されているのであります。

これに反し、祖霊に祈願する場合は、はっきりと声を出して祈願せよと、教えられているのです。

氏神信仰の本質、本体は以上のことだけではないと思いますが、大別すると、以上の二面性に帰着すると思うのであります。

神 域 を 護 れ   【三百二十余篇 最終講演】 【一部現代文で掲載】B型           三月・月次祭  五月号・471号

本会本部はご神域であります。

八意思兼大神さまは、かつて天照大御神の相殿の神にましまして、本会本部の神床を(いず)磐境(いわさか)としてご出現(鎮まられる)になられ、今は畏くも氏神の総代表して国教確立の大号令を下し賜っておられ れるのであります。大真神霊の大神さまの御鎮座まします神聖なところ、すなわち神域であります。また会員の各家庭には真神霊にまします四魂具足の氏神さまをおまつりしておられるからです。

この意味において、惟神会本部は、まさに神域であります。同時にまた氏神さまをまつっておられる会員のみなさまのご家庭も、大神さまの大みいつにおおわれているのですから、いわば神域の一郭を構成しているわけです。

われわれ惟神会会員は、いかなる犠牲をはらっても、なんとしましても、この神域を護りとおさなければならないのです。

 

想えば過去十七年余にわたって、委員長の重責をけがしてきた不徳不敏のふつつかな私ではありますが、その(かん)会員のみなさま方から身に余るご支援ご協力、お励ましを頂きまして、まことに感謝感激に堪えないとともに、あらためて厚くお礼申し上げる次第であります。

しかしながら、老躯に加えて心力の疲労困憊(こんぱい)(疲れはてる)のほか、みずから能力の限界を悟りましたので、この際引退させて頂くにあたり、(はなむけ)の言葉として「神域を護れ」ということを申し上げて、みなさま方のいっそうのご奮起をお願い申し上げる次第であります。

以 上

  川村委員長就任ご挨拶

  幸い私の後任に、有能達識の 川村二郎先生を新委員長としてお迎え申し上げましたのですから、どうかみなさん、この川村二郎先生を私に倍して盛り立てて、この惟神会という神域を護って頂きま

すよう特にお願い申し上げます。                         以 上

   川村二郎委員長講演47年号)?演題概要   47担当【S・M】 P10

 

今日の吉日に思いを新たに   【一部現代文で掲載】A型             四月・春季大祭  六月号・472号

今日の吉日(よきひ)に思いを新たに、言行心の行について、皆さまとご一緒に反省し、覚悟を新たにして、教勢拡張に前進したいと存じます。

本霊と第三霊とは力関係にあって、力の強い方が、弱い方を限定(範囲を決める)すると惟神科学は教えておりますから、本霊を強くして第三霊を自由に限定する力ができるように努めねばなりません。 

本霊を強くする方法は事毎に、また毎日せめて一日に一回、自己の言行心を反省し、懺悔、悔悟、克己心を奮い起して四魂具足に励み、努力、精進を重ねる以外に道はないのです。真の正しい神人感合を得る道も、幸福への道も、本霊の限定力を強めることに尽きるのです。

 

壮年に達した惟神会                                 五月・創立記念祭  七月号・473号

神さまは神人交通時代に氏子達に対して、神に仕える道もわきまえず、四魂具足の行ないをなさんともせず、営利的に神を利用している。本当の信仰をしていない、克己心が足りない、たるんでいる、と申されています。これでは正しい神人感合があり得ようはずはありません。

神さまは氏子は自覚、反省が足りないと嘆いておられます。神のみ心に叶う行ない、つまり四魂具足の実行ができて始めて、神人感合が成り立つのです。

何回も申しますように、会員を増加して惟神会を強大にすろのも、幸福になるのも、その鍵はただ一つ、会員として、氏子としての自覚に基く反省によって、神さまのみ教どおり素直に実行し、克己心を奮いおこして、努力する以外に万策はないのです。

神人感合と証について                                   六月・月次祭  八月号・474号                                            

われわれ惟神会員は、神さまの感合(神人感合)を頂いての信仰でありまして、これなしには信仰はあり得ないのです。ただ今までにたびたび申し上げましたように、神さまとの感合は人間が四魂具足の神則によって、自覚、反省、努力いたし、神のみ心と合致した時、成立するのであって、そのご守護は信仰の程度によって、多くも少なくもなるようです。

私達会員の信仰は究極する所、四魂具足の実践に尽きるのですが、特に以上神恩感謝の証

@報賽、A奉仕、B新会員を作る、C四魂円満具足に励む、この実証によって神さまや、祖霊さまとの感合益々強く大きくなり、不幸は幸福に転じ、幸福は益々増大するのです。

 

大きい容器になりましょう                                七月・月次祭  九月号・475号

私どもの祖霊さま方は、氏神さまの御稜威のもとに、私どもを守護して頂き、氏神さまは八意思兼大神さまの御稜威のもとに、その偉力を発揮されます。

氏神も祖霊さまも八意思兼大神さまの御稜威あってこそ、その偉力を発揮遊ばすのです。

つまり惟神会は八意思兼大神の御稜威によって成立しているのです。

神さまや、御稜威にはいささかも差異はないのでありますが、受ける方、氏子の容器の大小によって入る量が違うのであります。残念ながら容器の上に蓋をすると一滴も入りませんし、小さい容器はすぐ一杯になって溢れます。容器が大きくなればなるほど沢山入ります。神さまの方でも、いくらでも入る容器はたのもしいとお思いのことでしょう。

神さまの仰せのとおり要求されるとおりを、黙々と実行して、神さまの感合をしっかり沢山お受けして容器をどんどん大きく育て上げ、いくら汲んでも尽きることのない御稜威を、いくらでも受けられる容器になろうではありませんか。

惟神会の信仰継承について                                八月・月次祭  十月号・476号

われわれ会員たるものは、何をおいてもまず子女の信仰教育に全力を注ぎ、理屈でなく氏子の信仰向上への情熱と、素直なたゆまない、誠心のこもった奉仕によって、義務の遂行によって家族に子女に不言の教化を与え、継承に心配のない家族信仰の樹立を計らねばなりません。

子女の教化はただ今が大切です。昔から鉄は熱いうちに鍛えねばならぬと申します。私は今日の会の現状を眺め、明日への会の発展を思うとき、皆さまに訴えざるを得ないのです。

 

反 省 に つ い て                                    九月・月次祭  十一月号・477号

反省なる言葉は日本製の熟語であることが大神に伺って判った。

故に日本には儒仏の輸入以前に自己の身を省みるということがあったのである。

この自己の身をかえりみるの身は、身体や衣服、頭髪を指すのではなく、自己の精神即ち魂を指すのである。自己の魂を省み之に相談することである。

自ら反省して四魂具足に近付けば近付く程、神は益々感合して下さり、子孫も亦導かれるのである。

神人感合なくては信仰はありません。神人感合は四魂具足を鉄則とした自己の日常生活の工夫、実行、努力、反省の積み重ねによってその大小多寡がきまるのであります。

 

み た ま 祭                                    九月・秋みたま祭  十一月号・477号

私達が今日こうやって安らかに、幸福に生業(なりわい)に励んでおられるのは、大神さま、氏神さまの御稜威のもとにわれわれを守護して下さる祖霊さま方のおかげです。

今日のみたまなごめの祭りに、更に一段と立派なみたまとなられますよう、毎日の朝夕のお仕えから月次祭、霊祭などを立派におつとめして、四魂具足に励んで立派な氏子となり、ご恩にお報いしようではありませんか。

                                        以 上

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