今日の吉日に思いを新たに P10
惟神会委員長 川 村 二 郎
本日の私のお話申し上げますのは「今日の吉日(よきひ)に思いを新たに」と題しました。
川俣先生も、よく言行心の一致を説かれました。その言行心の中の「言」は、すでに歴代の委員長によって、言い尽くされてあるように存じますので、今更私が改めて申し上げることはないと存じます。
今日の今までに国教誌上などに掲載されました神さまのお教えをもとに、今日の吉日に心を新たに、言行心の「行」について、皆さまとご一緒に反省し、覚悟を新たにして、教勢拡張に前進したいと存じます。
「
しかし
神さまは昭和五年六月二十八日に
「今、日本の国は八意思兼大神の下に、真の神がお集りになったわけであるが、将来は必ず日本人全部が真の神を信じる時代が来ると存じますが、会はその時期を早めるための運動をするものと考えてよろしいか」
とのお尋ねに対して
「そう考えてよろしい」
とご神示を下されております。つまり
神さまも
「義務を果さぬ者は会員と思わぬ」
と教示されてあります。
更にまた会員の増強が如何に大切であるかは次のご神示で明らかです。即ち
「宇宙には普遍の霊があって、神が使えば神の力となり、邪神邪霊が使えば邪神邪霊の力となる。独占ではない」
宇宙の霊は独占ではなく、神が使えば神の力となる普遍の霊であります。吾々会員たる者、このままでよろしいのでありましょうか。
「又、氏神の方でも、今までこの信仰の宣伝の心のある者と、ない者を区別して守護した」とおおせられ、宣伝に努むるその努力は、守護される度合いにかかっているのであります。また
「霊界の分野は人間の信仰により、大小優劣の差を生ず」
とのご神示によって反省いたしますと、吾々氏子たるものは、四魂具足に励んで自分の信仰向上を計ること、そのことが惟神会を大きくし、また霊界において会を優位に導く根本義であることを、教えておられるのであります。
四魂具足に励むことが会員の義務であって、これに励まない者は会員と思わぬと、四魂具足に励んで自分の信仰向上を計ることの必要を、厳然と強調されているのであります。
「信仰向上は悔悟(今までの過ちをさとり、くいること)にあり、悔悟の意志の出ない霊は、信仰向上の霊的資格なしとしてよろしい」と教えられ、更に
「神界では人の克己心を認める。克己心と信仰とは比例する」
とありますように、私達は絶えず、自分を反省し、悪い所は悔い改め、克己心を奮い起して、自己の信仰向上を計らねばならないのであります。
更にここで皆さまと、一段と深く反省したいことがあります。大神さまは氏子たちに対して、氏子は真の信仰をしておらないと戒めておられることであります。ご神示に
「今までの氏子のは信仰でない。功利的、営利的であって、氏神を営利的に利用している。敬神が乱れていることが第一の問題である」
また
「神に仕える道もわきまえずに、四魂具足の行いを為さんともせず、只一途になんらかの幸福を得る手段として、懺悔の祓をする人がある」
と戒められ、平田先生のご訓示には
「四魂のおきてに叶った 氏子の願いは、全体の万分の一にも足りない」
と仰せられていますように、神に仕える道もわきまえず、四魂具足の行ないをなさんともせず、氏神を営利的に利用している、真の信仰をしていない、と戒められておるのです。私達は平気で不敬極まりないことをしているのであります。恐れ入るばかりであります。
四魂具足の おきてに叶った願いは、万分の一にも足りないのでは、何と言う情ない、
欲の深いことでありましょう。これでは神さまのご守護がなくても、仕方ありますまい。人を批判することに強く、自己の批判(反省)をすることの少ない、昨今の世情において
惟神会の現状を顧みて、私達は深く反省せねばならないのではありますまいか。
吾々会員は絶対に幸福であり、諸事すべて順調であるはずであります。ただ今順調である人は益々発展し、際限なく、力のある限りは伸び行くはずであります。しかし本当はそうでない会員もあるのでありまして、真剣な反省をせねばなりません。神は
「神に二言はない」
「神は罰せず」
「神は氏子を守護し、指導する」
と仰せられているのですから、吾々会員は、神の保証付きなのであります。
しかし、神に二言はないとのお言葉、神は氏子を守護し、指導するとの神さまの保証には条件があります。次の条件が実行された時、神は氏子を守護し、指導されるのでありまして、誠に厳しい条件であります。しかし厳しいから値打ちがあるのではないでしょうか。
「真神霊との感合は、その人の信仰と一致すべし」
「ご神業は絶対服従にて、神の御心と合致した時、ご守護下さるものと決めてよろしい」
「四魂具足の道に入ろうとする心を以て、信仰すべきでなく、四魂具足することによって、神さまは信仰をお認めになる」
「真神霊は四魂不具足の願いは一顧もせず」
「敬神崇祖の真の信仰を実行すれば、信仰により、原因結果は判然数学的になる」
と教示されていますように、四魂具足を実行することのみが、真神霊からの感合が頂け、その努力の堆積と幸福とが、数学的に現われるのであります。幸福も、発展も、会員、氏子の反省による、悔悟、克己心、努力の積み重ね、感謝による、感激、精進の積み重ねと正比例するのであります。
「氏子の信仰が悪いのは勿論、四魂具足の問題もあるが、単純にそう言う意味ばかりでなく、氏子達は交通(神人交通)あるとすると、四魂を考える余地がない。平易に頼りすぎるからそれが一番いけない」
とのご神示によって、氏子達の信仰は平易すぎる。反省、ざんげ、悔悟、克己心が不足していることを指しておられます。励まずして、求めること多く、努力少なくして、ご神徳を待つこと多く、感謝少なくして、不平不満が多いのでは、神さま祖霊さまに申し訳が立たないのであります。
更にまた恐ろしくもあり、有り難いご神示を頂いております。これは本会独特のものであります。
「ご稜威は本霊との感合によって得られる」
「人間に動物霊が憑いている場合は氏神の守護は受けられない」
つまり神の感合は神と氏子の本霊との間になりたつもので、もしその氏子に、動物霊が憑いている場合は、氏神さまとの感合は成り立たないのであります。しかし吾々会員は幸福にも、ご守護によって、その動物霊と縁を切ることができるのであります。
「この祓行事(懺悔の祓)を完全にすれば邪神邪霊を完全に祓うことは、大神並に氏神の稜威を蒙って行なうことができる」
「祓の効果は信仰と比例する」
「邪霊退治の方法は、自覚させるのが一番よい」
とのご神示は、尋常普通の信仰なら、一生邪神邪霊につきまとわれるものを、完全に絶縁可能なのでありまして、吾々会員の他にない幸福の一つであります。しかしここで吾々氏子たる者が、しっかり把握しておかねばならないことは、以上沢山のご神示、ご教示にありますように、大切なのは本人の自覚であります。動物霊や、邪神邪霊と縁を切るその根源となる力は本人の自覚、反省にあるということです。信仰の向上も、清浄になるための祓も、すベて反省が基本であります。神との感合が正しく深まるのも、幸福になる道も、すべての根幹をなすものは、その人の自覚、反省にあるということです。
「真神霊は四魂の反省なき者には感合せず」
何という厳しい神さまの条件でありましょう。幸福になりたければ、よき氏子になりたければ、怠けてはおられないのであります。再言いたしますならば厳しいから値打ちがあるのであります。そうして、反省した上で、ざんげ、悔悟するものは直ちに悔い改め、感謝するものは、直ちに感謝して、その証(あかし)を立てることが大切であります。言葉だけ、口先だけの感謝では神さまには通じないのです。
「信仰向上は悔悟にあり、悔悟の意志の出ない霊は信仰向上の霊的資格なし、としてよろしい」
「神界では人の克己心を認める、克己心と信仰とは比例する」
「神の方では、人間の行動を毎日チェックして居られる。その努力に応じ、その成績に応じて、必ず守護される」
のでありまして、神に二言はないのであります。人はごまかせても、神は絶対にごまかせませぬ。いとも厳しいのであります。
「神は人間には使われない」
神は人間に絶対四魂具足の実行を要求され、その反省、ざんげ、感謝、克己心、努力をご守護の絶対条件としておられるのでありまして、安易な信仰はお認めになりません。すべてお見通しなのであります。自分が、家が、事業が思うように好転しないときは以上述べました、神さまのお教え、お諭し、ご要求を、また平田篤胤先生のご訓示を、素直に、謙虚に、吟味し、反省すれば必らず感合は強くなり、神さまから氏子達への天線が太く、濃くなって必らず道は開けてくるのであります。絶対に神に二言はないのであります。
「会員の義務を果さない者は会員と思わぬ」
「四魂の実践なき者は会員と思わぬ」
「懺悔の祓を実行しない者は会員と思わぬ」
私達は神さまから、よき会員と思って頂けるように、右三条件を真面目に果さねばなりません。
以上を惟神科学的に考察いたしますならば、神さまは人間の本霊を通して感合して下さるのですから、本霊を強くする方法を考えねばなりません。本霊と第三雲とは力関係にあって、力の強い方が、弱い方を限定すると惟神科学は教えておりますから、本霊を強くして第三霊を自由に限定する力ができるように努めねばなりません。本霊を強くする方法は事毎に、また毎日せめて一日に一回、自己の言行心を反省し、ざんげ、悔悟、克己心を奮い起して四魂具足に励み、努力、精進を重ねる以外に道はないのであります。真の正しい神人感合を得る道も、幸福への道も、本霊の限定力を強めることに尽きるのであります。つまり究極する所、四魂具足の実践に帰着するのであります。
未熟な者が、甚だおこがましいことを申しあげて、誠に申し訳のないことでありましたが、委員長に就任いたしました川村自身が自分にいい聞かせていることを聞いて頂きまして、皆さま方のご批判を仰ぐ次第です。暴言無礼の段はお容赦下さい。ご静聴を感謝いたします。 以 上
(昭和四十七年四月十六日 八意思兼大神春季大祭における講演要旨)