川俣 均委員長講演35年号)16演題概要  35年担当N・N 1】 P05 

 

 

   【一部現代文で掲載】B型式           十一月・秋季大祭  一月号・335号

祖霊の座とは、氏神にたいして祖霊のおられる立場あるいは場所であり、氏神さまの相殿におられのです。

氏神さまは、人間の魂を支配され、祖霊の座は、氏神のみいつ、八意思兼大神の大みいつを蒙ることにより、はじめて安泰であり活動的且機動的なことにより、敬神崇祖・四魂具足のまことのかむながらの信仰となるのです。

 

いて                        十二月・月次祭  二月号・336号

氏神さまは、自分の可愛い氏子に対し一応は御守護下さいますが、氏神は神界の冷然且厳然たる神掟により大神さまへの御神業に対して絶対服従です。

自分の信仰は御神業と四魂具足との密接不離の関係の上に立っているかどうかを反省し、どこまでも神のみいつを確信し大神さまの御出現の由来と目的を勘考(かんこう)(よく考える)し御神業に励んでこそ、神の御守護は頂けるのです。

 

個  と  全                           一月・月次祭  二月号・336号

人間は個であると同時に全であるという関係を一番端的に説いているのが四魂の信条です。

八意思兼大神の唯一最大の目的は、「国民各戸に真の氏神を奉斉させ日本国民を救済する」この大御心で個人のための個人という我欲的生活態度を慎み「われわれは氏子であると同時に会員でなければならない」という教えこそが、本会が今後、会員増加運動を展開する意味でもあり、実に個と全、全と個との関係に基づいている実践運動にほかならないのです。

 

すべてが御神業につながる                    二月。大神奉祭記  三月号・337号

「神は近づかず近づくべし」とは、会員として御神業に精励することであり、世俗一般の御利益信仰ではなく、ただひたすらに御神業につくせば御神徳を授かるものです。

絶対の氏神に絶対の信仰を捧げて、全てが御神業につながっていることを自覚して、誠実に御神業につくすことこそ絶対の安心立命の境地が得られるのです。

 

信仰 と 奉仕                         二月・月次祭  三月号・337号

われわれは氏神という四魂具足の眞神霊を信仰の対象とし、氏神の総代表であられる八意思兼大神さまの大みいつを蒙りながら、この信仰の道にはげみ、氏神の指導により祖霊の守護という一貫した天線の流れの中で生活することができるのです。

信仰と奉仕とは密接不離の関係であり真に一体となって、神前奉仕に加え御神業に奉仕して、神いますがゆえにてこそ完全な奉仕といえるのです。

 

氏神信仰はなぜ必要か                    三月・氏神奉祭記  四月号・338号

日本人として氏神信仰の必要性は、歌人石川啄木が「ふるさとの山に向かいていうことなし、ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだのも、すべて先祖を崇める、即ち先祖を愛し・先祖を慕い・先祖に感謝する日本民族固有の思想と感情の源流であり、すべて民族の祖神である氏神から発しているのです。

反    省                            三月・月次祭  四月号・338号

人間は神と動物との中間的存在ですから、動物的存在から離れて少しでも神に近づこうとするならば、そこに反省懺悔という信仰上の二大必要条件と勇敢に取り組まなければなりません。

同時に苦境逆境のときのみならず順調の場合にも反省・懺悔を行うことは、ゆるがせにできない大切な人生行路の舵であることを忘れてはならないのです。

 

祓 い の 心 構 え                        四月・春季大祭  五月号・339号

本会における祓いの行事は懺悔の祓・清祓を主として行われております。その何れも八意思兼大神さまの大みいつ、氏神さまのみいつを蒙って祓いを行います。

自分自身の罪穢れを心から自覚、反省、懺悔してお詫びが叶わないかぎり、祓いの実際の効果はないわけであり、われとわが身、心を祓い清めて、清々しくなり、みいつのもと、心措きなく御神業につくすべきです。

 

親の恩は子でおくる                         五月・月次祭  六月号・340号

氏神さまや祖霊さまの御恩に報いるためには、自分自身の信仰向上に努力することはもちろん「親の恩は子でおくる」の諺のように、家長たるものは、子どもたちを立派な氏子、立派な子孫にまで育てあげなければならないのです。

 

会 員 と 氏 子                        五月・創立記念祭  六月号・340号

[氏子であると同時に会員である] ということは、本会発足の当初から貫き通された鉄則です。

家庭に氏神さまと祖霊さまをおまつりし、その限りにおいては家庭信仰ですが真の家庭信仰は氏神さまの総代表として本部にまします八意思兼大神さまの大みいつを蒙ることによってのみ、氏神さまも祖霊さまも活動することができるのであります。

そして本会は神さまの会であり、われわれは神の子たる氏子であるのです。

 

信仰には波がある                        六月・月次祭  七月号・341号

海の波は海底の起伏高低がその大いなる原因であるように、信仰の波にもそれ相当の原因があるわけです。御利益だけが目的でない氏神信仰においては、波を乗り切って行くためには「急ぐな休むな」の要領で、敬神崇祖・四魂具足を自分一代だけでなく、子々孫々に伝えるべきです。

 

苦しい時の神だのみ                         七月・月次祭  八月号・342号

弱いようで強いのが人間であり、また強いようで弱いのが人間です。人間は吉凶・禍福・善悪・正邪の中間をさまよっているのです。絶対の氏神は、反省懺悔の伴わないその場逃れの「苦しい時の神だのみ」をしてもさらに聞いて下さらないのですから、われわれ氏神信仰にいそしむものは、苦しさのあまり、かりそめにも神を使うようなことがあってはならないのです。

 

卑事に多能なれ                          八月・月次祭  九月号・343号

「卑事に多能なれ」ということは平凡なことを完全に成し遂げよということで「平凡な道を非凡に歩め」ということです。

日常身辺の平凡のことを、まごころ一筋に辛抱強く四魂具足を積み重ね、身を挺して御神業におつくし下されば、神さまのみいつは必ず頂くことができるのです。

 

結 果  【原文で掲載】A型式               九月・月次祭  十月号・344号

辛抱強く四魂具足を積み重ねるという「種を蒔く」原因によって、はじめて幸福という結果が生じるのであり、信仰向上のために努力もしないで、ただ御神徳だけを頂こうと考えては駄目であり、蒔かぬ種は生えないのです。

常に神のみこころに叶うように、いわば「神は近づかず近づくべし」の信念のもとに、四魂具足の原因によって四魂具足の結果を得るように努力しなければならないのです。

 

心 に 連 な る 姿                         十月・月次祭  十一月号・345号

心のさまに連れて姿もまたこれに従うものであります。神さまは万事見通しであります

即ち神さまをあざむくことは絶対に不可能です。毎朝鏡に向かうときは、「心に連なる姿」を忘れないで心してわれとわが顔かたちに見入って信仰状態の反省をして頂きたいのです。

 

御 神 業 本 意                        十月・神嘗祭祝祭  十一月号・345号

稜威信じて疑わずわれわれはどこまでも御神業本位たるべきであります。         

ということは自分のことばかりかまけないで、大神さま御出現の根本目的であられる国教確立という唯一無二の御神業のために、挺身つくすところがなければならないのです。

 

                       以 上

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