川俣 均委員長講演33年号)15演題概要  33年担当N・N 】 P06                             

 

 

四魂具足の奉唱                        十一月・秋季大祭  一月号・313号

われわれが今日四魂具足という神のことばを唱えごととして奉唱するのは、日本国本来の唱えごととして奉唱するので、唱えごとの本家本元は、日本古神道であるという自信と誇りをもっていただきたいのです。日本神道の真髄は「みこともちの思想です。

みこともちとは、神のお言葉を伝達し、これを実践することです。

四魂具足を反復これを唱えまつれば、 神人感合おのずから成る、 稜威信じて疑わず唱えまつるべし

であります。

 

神の御心に叶う                         十二月・月次祭  二月・314号

氏神さまの御心はすなわち八意思兼大神さまの御心であり、われわれの信仰は、自分一個人の救済信仰ではなく、信仰の在り方が神の御心に叶っているかどうか「みこともち」の信仰すなわち御神業弥栄という神の御心に叶っているかどうかと素直に反省してみることが大切です。

 

慎 み 敬 う 心                          一月・月次祭  二月号・314号

およそ神は、人を待たず神ご自身において無始無終無辺に存在ましますのですが、之を認識するのは人の心です。祝詞の初めの文言には、必ず慎み敬いという言葉があります。

真の神さまは、人間の内外清浄一致しなければ、御感応なさらない、すなわち慎み敬う心が形となって出てこなければ、特に内心の清浄潔斎が伴わなければ、神さまは御嘉納せられないのです。

 

真神霊界の発現   【一部現代文で掲載】B型式          二月・大神奉斉記  三月号・315号

昭和3年1月5日、平田先生は京都藤の尾の霊地に大神さまに御面会することができ、お遷りなされてから正に千有余年にして、ここに再び真神霊界の門戸が開かれ、真神霊界が最上位の世界であることがつぶさに判明したのです。

八意思兼大神さまのもと168柱の氏神さまは真神霊界にましますから、この氏神さまをますます沢山世にお出しいたすことが、即ち御神業につくすことです。

 

自 力 か 他 力 か                         二月・月次祭  三月号・315号

本会の信仰は、どこまでも純然たる他力信仰ですが、それには四魂具足に努力すると同時に御神業に協力するという神の信条に忠実に素直に従うところの自力を必要とし、大いに自力を発揮するならば、求めずして自然と、立派な他力信仰が成り立ちまして、次から 次へと「みいつを頂くこ

とができるようになるのです。

 

信 仰 と 信 条                        三月・氏神奉斉記  四月号・316号

四魂具足の大信条は、もちろん本会信仰の根本義ですが、本会には、信条として他に重要な神掟(かみおきて)が沢山あると神さまは仰せられるのです。

神掟で一番大切なことは

氏神は八意思兼大神に絶対服従、平田先生は氏神に絶対服従、岸会長は平田先生に絶対服従】

ということです。

この信条に忠実でありますならば、かならず御神徳は次から次へと頂けるのです。

 

素直辛抱感謝                       三月・月次祭  四月号・316号

素直(おだやかでさからわぬ)辛抱(耐え忍ぶ)感謝(恩義を感じる)この三点が敬神崇祖・四魂具足の氏神信仰を続けてゆく上で肝所(かんどころ)としてとりあげたのです。

それはその人に憑依している第三霊・第四霊という経験霊の正邪善悪によって変化するものであるということは、つとに(以前から)神さまから教えられているところであり、つねに自覚反省を怠らなければ、邪悪な経験霊たちは退いて自然と信仰の肝所の実行に忠実となってくるのです。

 

逃避するなかれ乗り越えよ                   四月・春季大祭  五月号・317号

日本神道の生成発展弥栄の原理は困難から逃避することでなく困難を乗り越えることです。

明治維新の神仏分離による神道も永い間の因習や伝承による無常観が払拭し切れなかったこと、道徳の荒廃も逃避の心(無常観)に根ざしており、乗り越えて進むという積極進取の気風を大いに起こして、まことの四魂具足・敬神崇祖のかむながらの信仰による世の中の立て直しを計らねばなりません。

 

自 信 を 持 て                         五月・月次祭  六月号・318号

現代は不安の時代といわれてます。不安を解決して乗り越えて行くためには、神のみいつを信じて疑わずという自信を持つことが先決問題です。

それは 謙虚さ(へりくだる)が伴う自信でなければならず、

四魂具足を忘れず、つねに四魂具足たらんことを念願に置くならば、かならず、真の自信が涌然と生じてくるのであります」。

 

われら何をなすべきか                    五月・創立記念祭  六月号・318号

国民各戸が氏神を奉斉して真の敬神崇祖の信仰が確立するならば、すなわち国教が確立するならば大神さまは伊勢へお帰りになられて相殿の神として公のお働らきをなさるのです。

われら何をなすべきか という命題は何を措いても真の氏神を沢山世にお出しいたして、大神さまの手足となられるように、本会の教勢発展をはかる以外に方途は見出されないのです。

教勢の一大展開運動に勇往邁進すべきのみであります。

     

みこともちの信仰                        六月・月次祭  七月号・319号

みこともちということは、神の御心に従ってそのお言葉を伝達することです。

天孫降臨の御神勅で「御前の事を取り持ちて政(まつりごと)をなせ」と蒙むられた八意思兼大神は、

天照大御神に対しての みこともち のお立場にあられるのであり、大神は みこともち のお立場から、

168柱の氏神の総代表として、この氏神たちをして民族同化にあたられたのです。

どうか真の氏神信仰は、みこともちの信仰であることを認識し、世のため人のためにこの信仰の宣伝弘布に努力して頂きたいのです。

 

果 報 負 け                             七月・月次祭  八月号・320号

かって本会創始者の岸先生は、平田篤胤大人命から、日本一の果報者といわれました。

岸先生が日本一の果報者であるならば、その流れを汲んで真の敬神崇祖の信仰にいそしむものもまた、日本一の果報者といえましょう。

ところがこの果報に負けてしまう人は、昔から「九分は足らず、十分はこぼれる」というような戒

めの言葉にあるように、果報負けをするのも、しないのもすべて氏子の心からであり、一つのしっかりした大きな天線につながっているのです。

いわば、本会の信仰は「ながりの信仰であります。

 

神  ま  か  せ                         八月・月次祭  九月号・321号

神まかせということは、身も心もすべて神さまに御一任することであり、神われと共にありの信念に徹することです。

浅はかな人間心で取り越し苦労することは、結局神を認めず、神のみいつを信じないことであり、これでは氏神さまも手の施しようがなく、四魂具足に立脚した神まかせの心境を固めて、顕幽一貫したまことのかむながらの信仰を全うしていただきたいのです。

 

四魂具足と常識    【原文で掲載】A型式              九月・月次祭  十月号・322号

四魂具足の道に入ろうとする心を以って信仰すべきではなく、

四魂具足することによって、神は信仰をお認めになる

と神人交通にありますが、四魂具足という常識は時代も場所も人の立場も超越した常識です。

この四魂具足という絶対善だけが、自分自身を救うと同時に世の中をも救うことができるのです。すなわち知識としてではなく、常識として身につけて頂きたいと念願するところです。

 

仕 え 奉 る 心                        十月・月次祭  十一月号・323号

朝夕心から氏神さまに仕え奉ることは、朝に夕に、氏神さまに対し奉り、お祭りをご奉仕していることになるのです。家庭の月次祭などは、毎日の祭りのうちの特別の祭りです。

神いますが如くではなく、神いますが故に心からお仕え申上げているのであります。

かくして、大神さま―氏神さま―祖霊さま―氏子というみいつの天線は、いよいよ太く、いよいよ濃くなり、ここに安心立命という神まかせの幸福な境地が招来されるのです。

 

                                                 以 上

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