川俣 均委員長講演30年号)16演題概要   30年担当【K・S】 P07

 

 

みいつとはたらき                     十一月・秋季大祭  一月号・280号

本会の信仰体系は、八意思兼大神さま、氏神さま、祖霊さまと、整然としています。

一見、甚だ複雑のようですが、民族信仰という建前から推し進めると、どうしてもこの体系とならざるを得ないのです。

すなわち、八意思兼大神さまの大みいつが、氏神さまに輝き、氏神さまのみいつは、祖霊さまの浄化をすすめ、また祖霊さまのはたらきは、氏子の守護となって現れるのです。

 

祖  先  祭  祀                       十二月・月次祭  二月号・281号

祖霊の浄化ということには、二つの大きな意義があります。その一つは、祖霊は、そのところを得て浄化の過程を辿るに従い、子孫たちを守護するはたらきがますます強められるということです。

 祖霊は、家族の正しい祭祀を受けて、氏神のみたまのふゆを蒙るにも拘らず、家族たちがこれに気付かず、いつまでも死んだときの状態そのままで放置されておれば、祖霊としては、はたらきたくともはたらきようがないのです。祖霊というモーターは、氏神さまのみいつという電流がなければ、動きようがないのです。

 

いかに生くべきか                       一月・月次祭  二月号・281号

氏神さまは、天照大御神の民族同化の大使命を、国民が信仰すると否とを問わず、つねに絶え間なく果しておられるのです。こうした日本民族にとって、かけがえのない大恩ある氏神さまに対して、われわれ日本人が、氏神信仰に帰一(きいつ)(元に戻る)して御神恩を感謝し奉らないということは、忘恩の最たるものと申さねばなりません。

 

世のため人のため   【原文で掲載】A型式          二月・大神奉斎記念祭  三月号・282号

四魂具足につとめるということは、自分の一身一家を通じて世のため人のためにつくすということです。これが自他ともに幸福になる方法です。世知辛い現代に甚だ?遠のように思われますが、これが神さまから約束された自己を救い他をも救う方法です。

見かけ倒しの幸福論は世間に横行していますが、所詮一時のごまかしに過ぎないのです。

 

土   作   り                       二月・月次祭  三月号・282号

 「ローマは一日にして成らず」という諺がありますが、実を結ぶためには、それ相当の苦心と努力が払われるのです。本会の信仰にいたしましても、この土作りに類する苦心と努力が払われなければならないのです。この信仰に入ればすぐ御利益があるように考えるには、ちょうど土作りを怠り、ただ金肥だけに頼って多収穫を望むようなものです。

 

同床共殿の信仰                    三月・氏神奉斎記念祭  4月号・283号

 古代のわれわれの祖先は、四魂具足を根幹とする同床共殿の信仰生活を営んでおりましたので、とりたてて祈願などしなくても、神さまは守護して下さるし、人間もまた慈愛深き親に仕えるまごころをもって奉仕してました。そこにはつねに親と子と本能的な敬愛の神人感合の生活がありました。

 まことに四魂具足の真神霊である氏神さまを、自分の家庭にお祀りできるということは、われわれ人間にとっては破格の栄光とも申すべきです。

 

人 生 の 折 り 目                      三月・月次祭  4月号・283号

  人の一生には、出産から死にいたるまで、さまざまな折り目がありまして、いやでもおうでもそれを通過しなければならないのです。われわれは現にその折り目を通過しているのです。

 しかもこの折り目は、自分ひとりの力だけでは通過できないのです。多かれ少なかれ、自分の親類縁者とか周囲の人たちの協力と承認を必要とするのです。ここに人生の折り目を通過する儀式に社会性、公共性があるのです。

この人生の折り目を円満にかつ滞りなく通過するためには、世のため人のためということを最終の目的とする四魂の信条の実践が要求されるのです。

 

不 測 の 理 ― あてにしないであてにする ―  【一部現代文で掲載】B型式 四月・春季大祭  五月号・284号

  氏神さまは、全知全能の神ではありませんが、人間の智識を超越した素晴らしいはたらきをされる真神霊ですから、「あてにしないで、あてにする」という信仰の根本主義を忘れないならば、そこには人間では測り得ない、予測し得ないみいつが輝くことになるのです。

これが氏神信仰における「不測の理」すなわち「あてにしないで、あてにする」ということです。

 

いかにあるべきか                       五月・月次祭  六月号・285号

  人間の言動というものは、すべて第二霊・第三霊との感合から成り立つもので、もしも四魂不具足の言動をしようとか、あるいはしてしまった場合には、一歩退いて、これはみな邪悪な第三霊のしわざであると反省すれば、その瞬間に、その邪悪な第三霊は離れるのです。

 

信仰の二面性について                   五月号・創立記念祭  六月号・285号

  中世以降今日に至るまで日本人一般の信仰内容には、公共的な性格のものと、私的性格のものとの二つがあり、しかもこの二つがつねに併せて行われていまして、これはすこし冷静に観察すれば、だれでも気づくことです。

  氏神信仰あるいは産土神信仰の類は昔からの習性や伝承により、個人の自由意志ではどうにもならない共同の信仰です。その信仰の圏内に生き、その祭りに参加する義務と権利を負わされているのです。

  ところが人々にはこれだけによって自己の不安や悩みを解消したり、幸福を招来させることができず、必然的に個人のことを個人自ら祈願する道を求めるようになったのです。

   新しい信仰を受け容れる素地が開けつつあったとき、仏教が伝来して、個人 個人の救いを掲げ、さらにその上、日本人固有の祖先崇拝の気風も取り入れて広く世の中に布教されるようになったのです。

 

生活としての四魂具足                    六月・月次祭  七月号・286号

  四魂具足といふことは理屈ではなく実行すべきものです。理屈が先きに立つと、実行をためらうようになるのです。

もちろん四魂の信条を理解することは必要ではありますが、これはあくまでも理解であって理屈に陥ってはならないのです。

そこでこれを理解しましたならば、これを自分の生活の信念にまでもっていって、つねに理屈を抜きにして実行に移すべきです。

 

信仰向上のために 【るる解説されています】             七月号・月次祭  八月号・287号

第一章         八意思兼大神を忘れるな   第七章  祖 霊 の 浄 化

第二章         素直ということ      ?  第八章  信???の??一??

第三章         神恩感謝の実行       第九章  辛棒ということ

第四章         ?????        第十章  我??慾??を??愼??

第五章         御奉仕について        第十一章 取り越し苦労をするな 

第六章         清祓と懺悔の祓        第十二章 四 魂 具 足

 

災難のうけとり方                       八月号・月次祭  九月号・288号

  災難をいかに受けるかという問題は、氏神さまを通して大神さまから流れ出るみいつの天線のなかに生きることによって解決されるのです。

ということは、災難を受けた場合には、それだけみいつの天線が細くなったことを示しています。この場合、これまで申し上げたような災難のうけとり方をすれば、この細くなった天線は再び元のように太くなって、みいつが輝くようになるのです。

つまり大難が小難で済むというわけです。

 

信  仰  生  活                       九月・月次祭  十月号・289号

  どうしてこんなに不幸せだろうと愚痴をいっている瞬間にも、その人は現実にその不幸せの嵐の中を通過しつつあるのですから、ここのところの心の持ち方一つで、自分の不徳にも拘らず不幸せの嵐をこの程度で喰い止めて下さった氏神さまや祖霊さまの御加護を感謝することによって、運命が展開されてくるのです。

この心の転換をもたらすものは、前に述べた反省と神道の力です。

 

健 康 と 信 仰                       十月号・月次祭  十一月・290号

  すべての病気を霊的原因にばかりに帰して、物質である肉体に対する物質的治療を全く無視しても困るのです。

肉体は両親から授かったものです。

不幸にも弱い両親の体質をそのまま受けつぐ場合もありますが、これは正しい信仰によって、第二霊を磨くと同時に善良な第三霊の感合により、漸次健康体となるのです。

この場合には、その人に適した薬物なり健康法によって、健康は一段と促進されるのです。

 

神嘗祭に因みて                      十月・神嘗祭祝祭  十一月・290号

  われわれは、畏くも八意思兼大神さまの御出現を頂きまして、ここに、光と力を得たのです。

この上は、ただひたむきに、大神さまの御神意を体しまして、御神業に邁進するばかりです。

持ち場 持ち場、立ち場 立ち場において、御神業達成のために努力できるように、われわれの氏神さま、われわれの祖霊さまが、われわれを導き、そして守って下さるのです。

換言しますと、御神業達成のための、われわれの氏神さま、われわれの祖霊さまです。そして、それも、これも、ひとえに大神さまの大みいつの賜です。

                                         以 上


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