少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ネギま!編(3/4)

■赤松健が少年漫画を描くということ

 ここで注意したいのは、前作『ラブひな』では描くことのできなかった主人公の「少年漫画的成長」を、バトルを通じて今作で描ききろうとする赤松健の意図が随所から窺える、ということである。
 AI止ま以来、赤松健が「一貫して少年漫画の形式を遵守しようとしている」作品は今作が初めてなのだ。AI止まは後期になって初めて少年漫画の形式を獲得できていたし、ラブひなは逆に後期が少年漫画的ではなかったことを思い出してほしい。

 少年漫画の形式は、非マニア層の読者、とりわけ低年齢層の子供達にも受け入れられやすい。ラブひなでマガジンの年齢層を少し下げたと思われた赤松健だが、そこから更に年齢層を下げることにも成功している。また、徐々に読者層の幅を広げてもいるようだ。
 「学園コメディ」と「バトル」を両立させ、少年漫画の形式で描くということには、読者層を意識した目論見がもう一つ考えられる。それは、いわゆる「萌え漫画」として読まれることと、「萌えることもできる少年漫画」として読まれることの違いにある。
 極端に言えば、ラブコメはラブコメが好きな読者しか読まないし、萌え漫画は「萌えオタク」しか読まない漫画だと一般に思われがちだ。萌え漫画というジャンルは外から疎まれる傾向にあると前述したが、それは単純に「読者を選ぶ」という言葉で言い換えても構わない。
 しかし萌え漫画に比べると、少年漫画の中で描かれる「萌え」はより広い層の読者に受け入れられやすい。つまり、読者の「入り口」として少年漫画は作用するのである。結局その中身で描かれているものが「萌え」であろうとも、入り口が用意されているのといないのでは与える印象と読み易さは大きく変わってくる。例えば、冴えない主人公が理由もなくモテるストーリーはマニア誌的だが、自分の信念を貫いて活躍する主人公にヒロインが惚れていくストーリーは少年漫画的であって、それはラブコメ好きでもラブコメ好きでなくても読んで入っていける恋愛描写であると思われる。実際、ラブひなは苦手だったがネギまになってから読めるようになった、と述べる読者は少なくない。
 また一方では、いわゆるマニア層の読者である萌えオタク達に向けて、少年漫画自体の面白さや、その読み方を伝えられるという効果も今の『魔法先生ネギま!』には期待できるかもしれない。少年漫画とは、バトルとラブコメを重ねることで「萌え」をより強化することのできる形式なのだということをだ。
 マガジンという雑誌からすれば、そのことによってネギまの読者がネギま以外の連載作品に興味を抱くということも期待できるだろう。

 このようにして赤松作品が辿ってきた「変遷」を、少年漫画読みの立場から素直に歓迎することができるだろう。そしてこのことが、『ラブひな』のヒットによって「美少女ラブコメ」という分野の硬直化を招いてしまった作者の、ジャンルに対する一つの解答であるとは受け取れないだろうか。確かに『ラブひな』は少年漫画として捉えた時、鬼子的な側面があったかもしれない。しかし『魔法先生ネギま!』では萌え漫画と少年漫画が違和感なく同居できるのだということを自ら証明しているのである。作者自身がそのような新作を手掛けることで、読者達にとって『ラブひな』タイプの萌え漫画は俄然「古い」ものへと後退していく。そう考えてみれば、『魔法先生ネギま!』は、赤松健が自ら大きくした萌え漫画の潮流に一度収拾を付けた作品として評価することもできるかもしれない。

 ジャンルの過去に収拾を付けたことに対して、未来に関してはどうだろうか。ネギまは「学園コメディ」と「魔法バトル」という、ごくありふれた素材の組み合わせで出来ているのだから、表層だけ模倣しようしても模倣したことにはならない作品だ、ということも言える。マニア誌に目を向ければ「学園+バトル+ラブコメ」を組み合わせたコミックなどはいくつも連載されているのだし、だから「ネギまの後続作品」というのは実は、発見しづらいものでもある。
 では、ネギまがジャンルに与えられる影響とは何だろうか。それは、少年誌とマニア誌が棲み分けを行うモデルを、はっきりと打ち出したことにあると考えてもいいかもしれない。
 これからの萌え漫画は、少年誌においてはより少年漫画的に発展することが望ましく、マイナー誌においては独自の個性を追求していくことが期待されるのではないだろうか。無論、互いに干渉を及ぼしあいながら。


■萌える少年漫画の系譜

 「少年漫画」と「萌え漫画」を両立させることに成功した後のネギまを、従来の漫画作品と比べて位置づけしてみるのも面白いかもしれない。

 先に挙げた本宮ひろ志作品などを始め、『ウイングマン』(83年〜86年)や『うしおととら』(90年〜96年)など、「主人公が大目的に向かって活躍する傍ら、登場するヒロイン達が次々と主人公に惚れていく」というパターンを持った少年漫画が数多く存在するのだが、ネギまはそれら、従来の少年漫画の方法論に歩み寄った原点回帰の漫画だとも言える。
 例えば『うしおととら』は(アクションホラー漫画でありながら)「妖怪ナンパ紀行」などと評されるほど主人公がモテてモテまくる話であって、その主人公、蒼月潮が日本中を渡り歩くことでヒロイン達との絆を結んでいくように、『魔法先生ネギま!』もまた、主人公であるネギが女子校の先生をすることでヒロイン達との絆を結んでいく。両作品ともども、それはやがて大目的へと向かう下地を固めていく、物語上重要な布石として機能していく点でも同じである。
 勿論、『うしおととら』のような活劇作品と並べて見れば、ネギまは「少年漫画としてのネギの物語」よりも「ラブコメ」の側にかけられた比重が大きい。しかし物語のベクトル自体は『うしおととら』と似たようなものだ、と思って読み通した方が全体のストーリー・ラインを理解しやすいと思われる。
 潮が父親の言いつけに従って旅を始めなければならなかったように、ネギも修業の為に日本の女子校へ来なければならなかった。それは、ヒロイン達を含む人々と出会う必要があったからだろう。
 細かな違いを指摘するなら、『うしおととら』が「回転寿司+串団子方式」で構成されているのに対し、ネギまは「女の子いっぱい+ねぎま串方式」で構成されるという違いはある。『うしおととら』のゲストヒロインはバトルによって主人公との絆を深めるが、その場限りで舞台裏に引っ込んでしまう。対して、ネギまのゲストヒロインはバトルの直後に必ず学園コメディへと回収され、周囲の人物相関図の中に加えられるという面白さがある。

 『らんま1/2』も良い比較対象になるかもしれない。主人公、早乙女乱馬の目的は「水をかぶると女になる体質を治すこと」であり、やがてそれは「完全な男になって母親と再会すること」、つまり「母親探し」テーマに繋がるのだが、終盤までそのテーマは棚上げされており、格闘技バトルを主軸にしながら正ヒロインとのラブコメやサブヒロインにモテるエピソードが中心に描かれていた。しかし物語終盤に至ると「母親探し」と「ヒロインと結ばれること」は同一線上の目的として重なり、相互作用を及ぼしていく。具体的には、ヒロインが主人公の母親を慕うことで疑似家族的関係が発生し、主人公とヒロインの婚約が暗示されていくという形を取っていた。
 ネギまのストーリーは終盤に至ってはいない為、ネギの「父親のような魔法使いになること」と「ヒロインと結ばれること」が目的として重なるのかどうかは定かではない。しかし、その為の伏線とおぼしきものもいくつか張られており、いずれ両者が重なっていく展開を期待できよう。

 代表的なヤンキー漫画である『湘南爆走族』(82年〜87年)は、意外と『魔法先生ネギま!』と良く似た成り立ちを持った漫画である。『湘南爆走族』も最初はナンセンス・ギャグに少女漫画なラブコメを取り入れた「学園コメディ」として始まるのだが、途中から作者の表現力が上昇し、シリアスな青春ドラマやバトルが激しく展開されていく。このシリアス路線の評判も良かった筈なのだが、作者はシリアス一辺倒に物語を偏らせることをしなかった。コメディとシリアスを行ったり来たりさせつつ、そこで両者の魅力を損なうことなく同居させることに成功していたのだ。また、ラブコメの積み重ねが青春ドラマに影響し、青春ドラマで強化された絆がラブコメの空間にフィードバックし……という相互作用が巧く行われた結果、ラブコメとして読んでも青春ドラマとして読んでも名作として評価できる作品として完結している。
 ヤンキー漫画とファンタジー漫画という違いはあるが、『魔法先生ネギま!』が今手に入れた手法の、古い成功例が『湘南爆走族』だとも言えるだろう。

 ネギまと同じくマガジンで連載中のラブコメ漫画『School Rumble』(03年〜 以下「スクラン」)だが、これも実はネギまと同じ「ねぎま串方式」を効果的に利用してドラマを描いていることが解る。通常、スクランは学園での日常をメインにしているのだが、要所で非日常的な大イベントへと突入し、舞台が日常空間から突然飛び出すということが度々行われている。体育祭編やマグロ漁船編、サバゲー編などがそうなのだが、この作品も非日常の出来事が日常空間へと回収される「大イベント前後」の処理が非常に巧みだ。(男女を含めば)登場人物の数も実は30人を超えているのだが、それだけ登場させることができたのも、ねぎま串方式を積み重ねてきた賜物だろう。
 こうしてスクランとネギまに共通項が発見できるというのは、やはりマガジンという雑誌の「カラー」としてこういった手法が存在するからだと思われる。おそらくは、編集部サイドが既にノウハウとして確立させているのだと考えてもいいかもしれない。

 では、そろそろ総論に移ることにしよう。

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