法輪寺の伽藍2

金堂 金堂

金堂は寺の本尊をまつるためのお堂で、創建の古い寺では、塔・講堂と共に伽藍の中心となる建物です。
現在の金堂は、江戸正保2年(1645)の台風で堂宇が倒壊してしまった後、三重塔が修復された宝暦10年(1760)の翌年に再建されたものです。
昭和25年の発掘調査により、旧金堂の位置を踏襲しながら、旧金堂よりひとまわり小さくなっていることがわかりました。寺運が衰えた中、再建は大変な苦労であったことを想像させます。
本尊の薬師如来様はじめ、主だった仏像を御安置していましたが、現在は老朽が進み、安全をはかって収蔵庫にお移りいただいています。


講堂 講堂(収蔵庫)

講堂は僧が勉強するためのお堂で、やはり塔、金堂と共に伽藍の中心となる建物です。
金堂と同時期に再建された江戸時代の小さな講堂を、昭和35年に耐火耐震の鉄筋コンクリートの収蔵庫として建てなおしました。規模は縮小されていますが、旧講堂の位置を踏襲して建てられています。
当寺ご本尊の薬師如来をはじめ七体の仏像をご安置し、出土瓦、伽藍図や塔の模型など公開しています。


妙見堂

秘仏の妙見菩薩(みょうけんぼさつ)立像をおまつりし、一年の除災招福と諸願成就を祈願する節分の日の星祭りや、毎月の護摩供などを行なう、行(ぎょう)のためのお堂です。
旧妙見堂は寺北の山中から境内に移築されたもので、江戸時代中期の様式を残す三間堂でした。享保16年(1731)に寳祐上人が再建したと伝えています。当寺妙見菩薩を信仰する大坂の商家が妙見菩薩像を修理したのを皮切りにして、台風で寺運の衰えてしまった当寺の再興が行われたこともあり、近世以降、妙見信仰は当寺の信仰のひとつの中心をなしているといえましょう。
近年は老朽化著しく改築が急がれていましたが、平成11年の改築発願以来、沢山の方々よりご結縁を頂戴し、平成15年11月1日に無事新妙見堂の落慶法要を厳修することができました。


地蔵堂

江戸時代の建物で、鎌倉時代末の石造りのお地蔵様をおまつりしています。8月24日の地蔵盆には、三井集落の方々がここで御詠歌を上げ、数珠繰り(大きな数珠を参加者が輪になって繰る)をするほか、小豆を甘く煮たものを柿の葉に載せて供える習慣が残っています。


鬼子毋神堂

江戸時代の建物で、子供の守護神として信仰される鬼子母神をおまつりしています。梵語のハーリティーを音写して訶梨帝母(かりていも)、俗に鬼子母神と呼ばれる神で、もとは他人の幼児を食らう夜叉女でしたが、お釈迦様に自分の子供を隠され、子供をとられた親の苦しみを知って、改心して仏教に帰依し、安産と幼児を守る神になりました。


上土門 西門
県指定文化財

上土門(あげつちもん)の数少ない遺構のひとつ。本来は板を並べた上に土を置き、妻に土留めの絵振板(えぶりいた)を置いたものです。両妻に絵振板台と絵振板を残しながら、本瓦をのせ棟門の状態になっていたものを、昭和50年代に板葺の形で修復しました。上土門は絵巻物などに多く描かれ、かつては武家の邸宅や寺院などに盛んに造られましたが、現在では、この門のほかには、法隆寺西園院上土門が残るだけになっています。


秋艸道人歌碑

書家、歌人として高名な秋艸道人(しゅうそうどうじん/会津八一)は、数多く奈良の寺を詠まれ、歌集『鹿鳴集』に、当寺十一面観音菩薩を詠んだ歌があります。
この歌碑は昭和35年に建立されました。

 「くわんのん の しろき ひたひ に やうらくの
  かげ うごかして かぜ わたる みゆ」



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