法輪寺の伽藍1

当寺の伽藍は、昭和25年に行なわれた境内地の発掘調査によって、現在の金堂、講堂(収蔵庫)は旧位置を踏襲していること、現在では廻廊が失われていますが、中門・廻廊が塔と金堂をめぐって北で閉じ、廻廊の外に講堂が立つ法隆寺式伽藍配置であること、規模は法隆寺西伽藍の3分の2であることが明らかになっています。

伽藍配置図 現在の伽藍

1.三重塔
2.金堂
3.講堂(収蔵庫)
4.妙見堂
5.鬼子毋神堂
6.地蔵堂
7.鐘楼
8.会津八一歌碑
9.西門(上土門)
10.南門
11.庫裏


再建後の三重塔 三重塔

■塔とは
塔は仏舎利(お釈迦様のお骨)をお納めするいわばお釈迦様のお墓で、本来はお釈迦様そのもの、寺院の中心というべき建物です。お釈迦様がお亡くなりになったときに十塔(八塔ともいう)が建立されたのが仏塔のはじめで、仏弟子はその塔を礼拝しながら修行を続けたといいます。日本では、飛鳥時代には伽藍の中心におかれましたが、時代とともに中心より離れていきました。

三重塔再建について
太平洋戦争末期の昭和19年7月21日、当寺の三重塔は落雷で焼失しました。焼失前の塔は最大最古の三重塔として明治時代より国宝指定を受けていましたが、全焼してしまったためにその指定は解除されました。
焼失直後から再建を念じつつ、ようやく昭和30年代後半より再建事業としての形をとりはじめましたが、国宝指定解除で国の補助金が一切ないため、全額を当寺で調達しなければならず、大阪万博景気やオイルショックなど経済変動も影響し、小さい寺での再建事業は困難を極めました。
しかしながら住職二代にわたって全国を勧進行脚するなかで、作家の幸田文先生はじめ全国のたくさんの方々より大きなご支援をいただくことができ、昭和50年、西岡常一棟梁のもと、旧来の場所に創建当初の同じお姿でお返しすることができました。
現在塔内には、塔の焼失時にお救いできた釈迦如来坐像と四天王像(平安後期)をご安置しています。
「天人の楽」にたとえられる風鐸(ふうたく/大型のものは塔の軒先に、小型のものは九輪についている、風で鳴る仕組みの鐘)の音を聞くことができるのも、塗られているベンガラ色が鮮やかであるのも、再建20年あまりの若々しい塔ならではの魅力といえましょう。

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■当寺三重塔の特徴
内部の特徴として特筆すべきは、心礎が地下式であることでしょう。再建三重塔は、昭和47年(1972)発掘調査で確認された旧三重塔の心礎をそのまま使っています。基壇面より約2メートル50センチ地下に掘られてある心礎の中央には径15センチの舎利孔が半球状に穿たれていて、昭和19年の塔焼失時に拾得された仏舎利が、内側より順に瑠璃・金・銀・銅の壷に入れ子状に納められ、ご安置されています。
外観では、次の3点が大きな特徴です。まず、円い柱の下方に胴張りがきわだっていることが目につきます。また軒を仰ぐと、小天井が張られていないので、一重垂木の角材が軒より内部へ引き込まれているのがあきらかです。そして円柱の上の皿斗のついた大斗からは勇壮な雲形肘木がせり出して軒を支えています。
旧三重塔の実際の建立年代は7世紀末のようですが、以上のような飛鳥様式の特徴を持つことが「飛鳥の塔」と呼ばれる所以でしょう。


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