清滝街道

 清滝街道は生駒市内を南北に縦断しており、現国道168号線とほぼ一致しています。しかし、細かいところでは微妙にずれています。道を直線化して改良しますから当たり前です。このため、所々に旧清滝街道が残っています。「生駒の古道」では、清滝街道がたった3ページ分しか割かれていないため、旧道に関する記述が全くありません。明治の地図と照らし合わせながら、国道168号線に沿った古い道をたどってみました。その結果、旧道であろうと考えられた道を紹介します。

   
A 辻町付近   B 菜畑付近
   
 C 菜畑一分間  D 一分付近

 上図の赤線部が旧清滝街道と考えられる道です。ところで、旧国道168号線のこの区間は菜畑から南に全く歩道がありません。新168号線ができて自動車も減っていますが、まだまだかなりの交通量です。辻町付近以外では旧道沿いに取り立てて見所があるわけではないのですが、こちらを歩かれることをおすすめします。それでは、この区間を阪奈道路南から紹介します。

A 辻町付近
 阪奈道路南の西側にファミリーマートがあります。旧道はファイミーマートの手前から西への分岐へ入ります。図書会館の裏をすすんでいくと橋にぶつかりますのでこれを渡ります。実は明治の地図ではここで橋を渡る表現になっていません。この付近では東生駒川が書かれていないのです。つまり、明治時代にはこの付近が東生駒川の最上流部だったことになります。もちろん、現在の河川に当たる水流はあったでしょうが、川と表示するほどの流れではなく、何本もある用水路の一つという状態だったのでしょう。

 しばらく川沿いに進みます。まもなく、右手(西)の人家が途切れ、生駒台丘陵の山裾を通る様になります。川沿いの道と分岐しますが、山側の道が旧道です。ところでこの付近で川が流れの向きを変えています。それほど大きな蛇行でもないのですが、かつての豪雨のとき、対岸の河岸が削り取られてその位置にある民家の庭が無くなってしまうという被害がありました。かつては川と見なされていなかった付近での出来事で、そのときの豪雨のすさまじさが想像できようというものです。
 山裾の道を選ぶとすぐ右手に辻町自治会館があります。かつては前庭のある古建築でしたが、今は近代的な建物になり前庭はありません。古街道沿いという位置を選んで建てられたものでしょう。自治会館の南に、生駒台丘陵へ登る細い道があります。階段を上ると大慈寺です。小さな本堂だけのお寺で無住です。宗教法人登録もされていませんが、よく清掃されていて、辻町の人々によって維持されているようです。小本堂の左手に聖観音石像があります。

 

 辻の自治会館を過ぎるとすぐ三叉路に突き当たります。この三叉路の少し右に地蔵堂と薬師堂(だと思います)が並んで祀られています。詳しくは別項の「辻の古道」で紹介します。清滝街道は左(東)に曲がります。すぐ(40m)郵便ポストがあり、切手を販売しているお店があります。ここも三叉路で右(南)に曲がります。この地点は、先ほどの三叉路と併せて変形十字路になっているわけで、ここが辻の地名の起こりと考えられています。(異説もあります。これも「辻の古道」で解説します。)南へ進むと、右手(西)に「Hanairo」というお店があって、その先で国道168号と合流します。「Hanairo」は昔、「ももの木」という食堂でした。もしかしたら街道沿いの茶店から発展したものかもしれません。食堂時代にはよく利用していましたが、「Hanairo」に変わってからはジイさんが入るには抵抗のあるお店になってしまい、いつ頃から営業しているのか聞きそびれてしまいました。ここで旧道Aコース(630m)は終了です。

B 菜畑付近
 傍示の辻(菜畑交差点)が北のスタートです。ここは清滝街道、古堤街道、宝山寺正面参道の合流点で、これに旧道が残っているため、6差路になっています。昔、北東隅には電器店があり、南東隅には学習塾がありましたが、広い交差点にするためでしょうか、撤去されました。元学習塾であったスペースの左(東)から旧道に入ります。すぐ左手に分岐があります。菜畑地区の小学生の通学路で、東小学校に続きます。さらに進むとまた左へ分岐があります。これは明治からある古道で先ほどの通学路と合流し、東小学校前を通り、岩鼻越えの道に向かいます。菜畑幼稚園付近から先には旧道の面影はありません。この分岐の先ですぐ国道168号と合流してしまいます。ほんの130mで旧道Bコースが終了します。

C 菜畑一分間
 旧道Bコース南出口から450mばかり南が入口です。分岐の左(東)には長々と白壁の塀が続く邸宅があります。白壁が途切れて少し歩くとすぐ国道168号に合流です。ここもほんの140mほどで終了。上の地図では縮尺の関係でBコースより短かそうですが、ほんの少しだけこちらが長い。

D 一分付近
 旧道Cコースの南出口からほんの130m南が入口になります。旧国道168号は近鉄生駒線の踏切を渡りますが、旧街道は踏切を渡らす、「生駒寿し」の左(東)の道を進みます。なお、「生駒の古道」では本文では触れられていないのですが、P.173の地図ではここで紹介している道になっています。すぐに分岐があり、右は近鉄の踏切、左が旧街道です。分岐にパーマ屋さんがあって美容院でなく「パーマ屋」と看板をあげています。昔ここにパーマ屋さんでなく貸本屋さんがあったと思うのですが、記憶が定かでありません。気になる店名だったので、どなたかご記憶の方が居たら教えてください。踏切を渡らず旧街道を進むと居酒屋のある分岐、ここは右へ進みます。左の道をとれば岩鼻越えです。生駒線の一分駅に出て、踏切を渡ります。「藤尾酒店」の先で国道168号と合流し、Dコースも終了。330mでした。Dコース出口に「生駒の古道」で紹介されていない石柱道標があります。新しいもので個人の庭のオブジェとして建てられているらしく、金網の向こうです。ところで、この道標、生駒市石造遺物調査報告書には記載されています。資料番号532の壱分町国道168号脇の道標で、時代は近代となっています。報告書は原則江戸末期以降は省いているのですが、例外の一つということになります。

E 小明付近
 この部分は最初、旧街道という確信がありませんでした。従って、追加の記述になりました。これから紹介する部分は道沿いに古民家がありません。田んぼの中の道だったせいですが、歩いてもそれらしい雰囲気がない。現国道168号がすぐ平行していますし、まあ、どうでもいいと考えていました。その後、街道沿いにふさわしい石造物を見つけてしまったので、紹介することにしました。下図の赤線部が旧街道と考えられます。

 旧街道にふさわしい石造物とは地図の「稻蔵参道道標」です。大正時代のものですが、間違いなく清滝街道沿いのものです。この道を旧街道としたもう一つの根拠は大正時代の地図です。明治の地図では東生駒川が書かれていないので、川沿いであると確信がなかったのですが、地形との関係で見ると、街道は谷筋を通っています。さらに大正時代の地図では電信線が記入されているのですが、これがほぼ直線で、このラインこそが現国道168号になったと考えられます。このラインとはっきり区別されていますので、清滝街道は現国道168号より西であったことが推測されます。
 では、この部分を南からご案内しましょう。阪奈道路の辻ランプ(Googlemapではインターチェンジ)の北が入口です。国道の西で東生駒川沿いの道が分岐します。なんとこの道は舗装されていません。この点も旧街道であると確信が持てない理由ですが歩くには地道の方がうれしい。東生駒病院の裏を通って東西の道と交差し、すぐに地道が終了します。ここから北は間違いなく旧街道です。右(東)はすぐ168号線ですが、左(西)に少し進んだところで右(北西)に登っている道を進むと、すぐに「生駒市石造遺物報告書349番」であるお地蔵さんがあります。お地蔵さんと書きましたが、お顔が摩滅して実はよく分からない。報告書には「一尊像等」と書かれていて正体不明です。年代も分からない。この交差点から北は舗装路で、川沿いに進んでいくとT字路に出会います。左(西)からの道が稻蔵神社参道で道の右手に稻蔵神社道標があります。ここを過ぎるとすぐに東生駒川と分かれて、支流沿いに国道168号に合流です。東生駒川沿いにもう少し進めますが、どう見ても旧街道ではありません。 道標の写真は別項の「稻蔵神社参道」のページでご紹介します。


石造遺物調査報告書349 小明町1413番地の一尊像等

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