五辻-宝山寺道と生駒石採石道

 しつこく五辻からの宝山寺道です。明治の地図に記載されたコースに、何かの古道痕跡がないかと探索を続けてきました。その結果、古道が失われた事情についてある仮説を思いつきました。全く見当外れの仮説かもしれませんが、参考になるかと紹介してみます。
 立てた仮説は「五辻・宝山寺道は生駒石採石道が作られて危険になったため、付け替えられた。」というものです。

 この仮説に至るまでに、しつこく旧道の探索を続けておりました。まず、探索第一候補は五辻から直接下る急坂です。このルートは下山路として結構利用されており、テープが巻いてあります。私もはるか昔に下ったことがあったのですが、その当時は古道への関心もなく、ただ、体力に任せて変な道を通るだけだったので、細かいことは記憶していませんでした。GPSなどもありませんので正確にはどこを通ったのかもあやふやです。
 今回下ってみた結果は、「明治地図にある古参道ではない」という結論です。向きが全く違います。コースも尾根ではありません。下山していくと、庄兵ヱ道から、山側に分岐する造園業者の私道に出ます。私道ですので庄兵道から分岐するところには立ち入り禁止ガードがありますが、脇をすり抜けることはできます。キスリングだと無理ですね。(そんな人はもういないか。)ここから登るのは考え物ですが、(立ち入り禁止を無視しますし、通っても初めての人には山道入口がよくわかりません。)下山時は仕方がありませんので通らせてもらいます。以下の説明のためこの道を「五辻下山道」と呼ぶことにします。

 庄兵ヱ道を通った人は見かけたことがあるかもしれません。写真左手が何とかすり抜けられます。

 ところでこのページのお題はこの下山道ではありません。途中(標高470〜480m付近)で、広いところは5m近い幅のある廃道を横切るのです。この道は等高線に平行に続いています。昔下った当時はこんな立派な道が廃道になっていると感心しただけですが、今回は古道の探索が目的です。下らずに、立派な廃道をたどってみました。東南方向へは巨大な生駒石がならぶ、シシ垣状のところに出て終点です。終点は広々としています。この生駒石の列はシシ垣にも見えるのですが、石が巨大すぎて人工物とはとても思えない。私には判断が付きません。とにかく道の終点はこの生駒石群です。この道は「上の巻き道」と呼ぶことにします。

 左右に石列が続いています。写真を撮った地点は広場のようです。

 「五辻下山道」は、「上の巻き道」終点の少し手前から下ります。逆に「上の巻き道」を西北方向(宝山寺方向)にたどりますとなんと、紹介した五辻・宝山寺道が谷筋とぶつかる地点に出ました。地図で「迷いやすい」と注意してある地点です。合流地点の直前は雨水浸食のためでしょうか、道幅が狭くなっていますが、はっきり続いています。この道は古参道であるわけがありませんが、古参道探索の手助けになります。無理矢理下ってもどこかでこの道にぶつかって迷わずにすみます。さて、実はこのようなお助けになる道がさらに下にもう一本あったのです。生駒石列手前の「五辻下山道」(白テープが付いています)から庄兵ヱ道方面に下りますと、生駒石が並んでいる脇を通ります。

 下山路途中の生駒石群

 さらに下って標高460m付近で三差路にぶつかります。等高線と平行な道です。「上の巻き道」ほど太くない山道ですが明瞭です。この道を「下の巻き道」と呼ぶことにします。ここで東へ進むのが「五辻下山道」です。西へ進みますと尾根上のところで道がはっきりしなくなりますが、下方に、霞ヶ丘-岩谷滝道の廃屋が見えて、適当なところを下ることができます。さらになんとか西へ進むと、なんとこれも「迷いやすい」地点に合流してしまいました。この2本の道があれば、どんな変なところを進んでも、少し上るか下るかすれば、これらの道に出ることができます。これで怖いものがなくなりました。(もともとありませんが)古道のルート候補をそれこそでたらめに歩き回りました。

 さて、五辻からの参道下山口です。急坂の「五辻下山道」が古参道でないとすればどこを下っていたのか。地形図を子細に検討すると、五辻ではなく、先に紹介した道で石垣がある地点から下る尾根がそれのようです。倒木が道をふさいでいると紹介した地点です。ここは広場状になっているので茶店でもあったのかもしれません。従って、五辻からこの地点までは紹介した道が明治の地図の参道でもあったようです。ここから、左折して下るのがさきに紹介している道です。これは「新古参道」(変なネーミングですが)と呼ぶことにします。明治の地図のコースは「旧古参道」と呼ぶことにします。
 尾根を下ってみました。道なんてものじゃありませんね。ただ途中にちょっと気になる石を見つけたのですが、自然物かもしれません。この石へは、後にクリーニング道具(水とタワシ)を持って再訪問するかもしれないので覚えのため通ったところに赤テープを巻きましたが、道ではありません。どこもろくでもない下り坂で、どこを下っても「上の巻き道」に出られます。

 形が圭頭碑状なんですが苔むしていて何もわかりません。

 無事に「上の巻き道」に降りてきました。さらに下るわけですが、この道はこの付近で谷側が石垣になっています。下り口らしいところがどこにもありません。低い石垣ですから、適当に飛び降り、さらに尾根筋を下ると、「下の巻き道」を横切り、霞ヶ丘-岩谷滝道の廃屋にたどり着きました。これも道とは呼べないようなコースです。痕跡らしきものも全く見つかりません。しかしながら通過GPS記録を今昔マップで読み込んでみると、明治の地図の古参道にほぼ一致しました。私がたどったコースが「旧古参道」コースで間違いないようです。しかし廃道どころか完全に失われています。この先ほぼ等高線に沿って進むと念願の三十三丁石にぶつかって目出度しとなりますが、道の痕跡をたどるのはまず望み薄です。廃屋向かいには配水施設(廃施設になっています)が作られたため、道の痕跡も無さそうです。暇に任せてやっていくつもりですが、成果は期待できません。
 さて、明治の地図に近いルートをたどって「旧古参道」を推定したのはいいのですが、気になるのが「上の巻き道」との交差点です。水平に続くこの広い廃道は「旧古参道」を横切ったはずなのですが、「旧古参道」の入口らしきところが全く考慮されていません。おそらく、この道を作ったときに「旧古参道」を破壊したのでしょう。そこで、最初に述べた仮説が生まれました。
 まず広い「上の巻き道」の目的です。「生駒石の搬出道」だろうと思います。谷筋で「新古参道」とぶつかりますが、交差せず谷筋を霞ヶ丘-岩谷滝道へ下っていたのだと思います。このルートは「歩きにくいけれどなんとか下れてしまう」と紹介したルートです。生駒石の搬出は大変危険です。参道を横切ったりすると惨事のもとです。そこでこの道を開削する際に、参道を新しく開削したのではないかというのが私の考えです。したがって「旧古参道」は不要なコースとなり、参道に使用していた石なども新道建設に利用されて破壊されたのではないでしょうか。不要どころか通行禁止で、むしろ積極的に破壊されたのかもしれません。参拝客は安全にお参りができるようになったわけですが、先ほどの谷筋で搬出道のすぐそばをかすめることになります。タイミングが合えば生駒石の搬出光景を見ることができたはずで、かなりの見ものだったのではないかと思います。もっともすべて想像ですが。

 探索した「旧古参道」コースは道とはいえませんので、「上の巻き道」から下はテープを付けていません。(実は赤テープがなくなりました。)ただ、歩けますし、でたらめに歩いても「下の巻き道」に出ますので、遭難する心配はありません。2本の巻き道とも私が探索行をするために、かなり歩きやすくしています。「旧古参道」はおすすめしませんが、「上の巻き道」終点の生駒石列は見ものです。自然公園法が施行されなければ、失われてしまっていたのでしょうね。
 「下の巻き道」は狭いので生駒石運搬路ではないようです。「旧古参道」、「新古参道」と合流していることから考えると、この道も参道の一つであった可能性もあります。暗峠・宝山寺道のページで紹介した、うつぶせ地蔵南の分岐を降る道が参道の可能性があると書きましたが、その道の延長かもしれません。「下の巻き道」から下の「五辻下山道」の方は生駒石をすべり落として運搬した道の可能性が高いようです。

赤点線が推定「旧古参道」と、推定生駒石搬出道の急坂部分です。地図上に名前を書くとごちゃごちゃしすぎるので省略しています。ここは道と言えません。赤点線でない他の道は立派な道です。
霞ヶ丘-岩谷滝道の廃屋から下は下れますけど道不明瞭ですよ。

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