仏坂地蔵探索

仏坂地蔵の怪」と遺物マップの鹿畑のページで、ひょうたん池北西の仏坂地蔵が行方不明であると報告しました。しかし、後から、GPSデータを子細に検証すると、私が歩き回っていたのはひょうたん池の上であって、ひょうたん池北西付近はパスしていたことに気づきました。なぜそんなことになったかというと、この付近まだ家が建っていないのですね。見渡すとぐるりと見えてしまう。その限りで、お堂らしきものはなかったのですが、物陰に潜んでいる可能性はあります。今度は正確にひょうたん池北西を探索しようと、新テクニックを使いました。といってもたいしたことはなく、今昔マップに頼ります。
まず下のように、明治の地図を表示しておいて目的地である「ひょうたん池北西」をマークします。

それから、現在の地図に表示を変えると、便利なことに現在のどこに当たるか、見事に表示してくれます。新旧両地図を重ねて表示するのが簡単ですが、見にくくなるので旧地図でマッピングして新地図で表示する方が手間はかかっても見やすくなります。結果はというと・・・この前は確かにこの地点を通っていません。遠くから眺めただけです。丘の南斜面という地形の雰囲気から見てもいかにもありそうな感じです。準備を終えて探索出発です。

さて、現地付近に着いてみるとやはりお堂はありません。しかし今回は他の遺物探索は無しで、時間をかけることに問題はない。丘に沿って歩くと、下り坂が見えます。坂の上に立つと、すぐ下にお堂が見えて発見できてしまいました。地形図にはこんな道はありませんが、柘榴(ざくろ)方面へ降る道なのでしょう。手前まで下ると、まさしく「生駒の古道」記載の仏坂地蔵でした。時間をかけることに問題はないなどと書きましたが、探索は2分で終了してしまいました。

 

表面に記銘はありません。背面は回りこめないので断定できませんが、自然石の状態で多分記銘はないようです。
はじめからこの方法で探索していれば、簡単に見つかったのでしょうが、そうすると、遺物調査報告書の地蔵様は発見できないままで、しばらくしてから、報告書の写真と違うことで悩むことになったはずです。鹿畑のページで書きましたが、調査報告書の地蔵発見はひとえに私が馬鹿だったおかげでして、やはり、馬鹿にも取り柄はあるものです。

結論:仏坂地蔵は「登美ヶ丘の仏坂地蔵」と、「鹿畑の仏坂地蔵」の2体ある。「調査報告書」の地蔵は鹿畑、「生駒の古道」の地蔵は登美ヶ丘というわけです。
登美ヶ丘仏坂地蔵の位置は上地図でいいのですが、下り坂入口の写真を付けておきます。遺物マップの鹿畑ページの地図は面倒なので訂正しませんが、kmkファイルは登美ヶ丘仏坂地蔵を追加しておきます。

 お堂が写る角度でとったのですが、小さくてわかりませんね。フェンスの切れた所です。

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