鹿畑町
資料番号 157-177

今昔マップ目印ファイル   (右クリックして対象をファイル保存)

この地域は「生駒の古道」の清水道(P.91~95)の項で詳しく説明されていますので楽勝かと思っていたのですが、世の中そう甘くはないようです。移設された地蔵がありました。

移設されたのはNO176の仏坂地蔵です。「古道」のP.93では【近鉄学研登美ヶ丘駅あたりから東の丘陵へ、仏坂という急坂を上ったものと見られます。(中略)「ひょうたん池」という池も埋め立てられましたが、池跡の北西に、「仏坂地蔵」が屋形に大切に祀られています。】と記述してあります。学研登美ヶ丘の駅東にはまさしく急坂の階段があり、今は埋められた「ひょうたん池」付近へ上っていきます。そこで明治の地図を頼りにひょうたん池を推定し、その付近を探索しますが地蔵の影もありません。ではどこにあるかは地図をご覧下さい。階段を上っても見つかりません。階段を上らず北へ進みますと「ピュア保育園」という施設があります。その北の細道を進むと駐車場に出ます。その駐車場の奥です。こんなものを見つけることができたのは私が馬鹿だったせいで、「仏坂はほかにあるのではないか」と考えて、その付近の山際を捜していたところ「ありゃ、こんな所にありをりはべりいまそがり」というわけです。この考えは間違っていて、仏坂は駅東の急階段しかありませんし、ほかにあったとしても、地蔵様がいるのは上った後の「ひょうたん池」北西のはずですから無意味な考えだったのですが、地蔵様を偶然発見できたので馬鹿にも何かの取り柄はあるというわけです。
[追記 2020.05.21]
この記事では「仏坂は駅東の急階段しかありませんし」と記述していますが、その後何度か現地調査をした結果、仏坂は下写真の細道を突き当たったところから右手に上っていた坂だと考えるようになりました。つまり、地蔵様はもともとこの付近にあったのだろうと思われます。現在は元の仏坂と思われる道は上も下も通行止めとなっていて、現状調査はできませんでしたが、現在のピュアこども園裏手から今の仏坂の最上部一つ下の踊り場相当のところをつなぐ古道があるlことは確かです。私もまんざら馬鹿なだけではなかったようです。

 この細道を入ります。車の向こうにお堂が見えているのがわかりますか?小さくてわからないか。ストリートビューで見えないかと試したのですが、道正面のアングル画像が無く無理でした。

このページアップ後、変なことに気づきました。重箱の隅サイトの「仏坂地蔵の怪」で紹介しています。

次の難問はNO177の「登美ヶ丘高校北側」の地蔵様です。見つけた結果から距離を測ると、地蔵と登美ヶ丘高校間の距離は650m。これで登美ヶ丘高校北側と言うのはなあ・・・という感じです。これが発見できたのはひとえに「古道」P.92の【鹿畑西町へ下り、国道163号線の下をくぐって・・・】という記述のおかげです。163号の下をくぐる箇所はそう多くないので見つけることができました。ただ、「鹿畑町西」交差点よりもかなり西だったため、くぐる所を見つけるのに少し時間がかかりました。鹿畑西町と鹿畑町西は違うのですね。この通路には新163号から下ることはできません。旧163号から入ってください。それにしても、「登美ヶ丘高校北」というのは調査報告書の表記で、「古道」でもそれに準じたのでしょうが、かえって混乱します。

 このガソリンスタンドの手前で163号をくぐります。旧道から見ています。

 「古道」にはベンチとありますが、古道調査当時からこんなしゃれたものだったのでしょうか。なんと163号からのストリートビューで見えています。

NO170素盞嗚神社南の一尊像は道からは見えません。こんな所を入ります。ところでこの地点、明治の地図では开マークがついています。

 一尊像の石龕が写っているのですが、これも小さすぎますか。

NO175の「1601番地裏山」は山の中という感じの表記ですが、山に向かう道路脇です。昔は周囲に木が生えて、山の中だったのかもしれません。

NO159の「馬背墓地入口」というのは、普通に考える入口よりだいぶ前です。墓地参道を登っていくと右手に鹿畑自治会館があって旧鹿畑小学校の門柱がありますが、その向かいです。「馬背墓地参道途中」と表記した方がいいようです。

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