「君の今の悪い骨髄を全部殺してしまって、そこへ妹さんの良い骨髄を入れてやる。それが移植や」
「殺すってどうやって殺すんですか?」
「大量の抗がん剤投与と放射線を浴びてもらう」
「大量の抗がん剤と放射線・・・・それをしたらどうなんるんですか?」
「う〜ん、多分ヘロヘロになると思うね。それと髪の毛は抜けると思う。いったんつるつるになってしまうのはしょうがないわ」
以上の会話は、骨髄移植について私が質問をしたときの主治医M先生と私とのものです。
聞いて一番ショックだったのは髪の毛が抜けてなくなる、ということでした。
大量の抗がん剤や放射線、と言われてもどういう状態になるのか、それがどういうことなのかやったこともない人間には想像も出来ません。へろへろになると言われても具体的にはどうなってしまうのかが
全く分からずすごく不安でした。でも私にとってより差し迫った現実的な不安は、「髪の毛が抜けてなくなる」という事実の方でした。その姿は容易に想像ができたし、自分のはげ頭を思い浮かべた私はとってもショックを受けたのです。
どのぐらいの期間生えないんだろう・・半年?1年?その間はどうやって過ごしたらいいんだろう?
もしかしたら死ぬかもしれない治療をするというのに、全くそんな心配には考えが及ばず、というより今から思えば考えたくもなかったんだと思いますが、治療が終わった後のことばかり考えていました。
自分が病気である・・・・という事実から逃げたかったんだと思います。
また深刻な事態だと思い知らされるのが恐くて、わざと何でもないことのように努めて考えようとしていたようにも思います。
私のそういうひょうひょうとした態度を見て、M先生は「君なら移植もへらへら笑いながらなんとなく過ごしそうやなぁ」とおっしゃっていました。
M先生から見れば、私は病気や移植を何とも思っていないように見えていたにちがいありません。
実際には「移植」や「死」という言葉そのものまで聞きたくないぐらいに怯えていました。
ただそういう自分の様子を何故か先生や看護婦さんには知られたくありませんでした。
今から思えば、どこか他人事で、自分が死ぬかもしれない病気にかかっているという事実から逃げて出来るだけ考えないようにしていたんだと思います。また死病にかかった患者は誰もが思うんだそうですが、私も、「私が死ぬはずがない」、と思っていました。
だから1度目のときの移植は全て先生にお任せで他に何にも考えないようにしていました。今の辛ささえ我慢すれば治るんだから・・・と単純に信じこんでいました。
またそういう風に先生からも言われていましたので、安心もしていた、ということもありました。
それは家族に対しても同じでした。そういう私の気持ちを知ってか知らずか、友達や家族もみんな同じような態度を取りつづけてくれていました。いつも通り、冗談言い合いながら笑いも絶えず、誰一人もしかしたら私が死ぬかも・・・?とは思っていなかったように思います。
移植さえすれば治る!誰もがそう思っていました。
ただ一人いつも深刻な顔をしてお見舞いにきていたのは、当時付き合っていた彼氏だけだったように思います(笑)。
移植の方法については、そんな原始的な方法だったの?!骨髄移植って・・・・というのが正直な感想でした。要は全身の血液を全部妹のものに入れ替えてしまう、ということなのです。
そんなこと、可能なんだろうか?
具体的にはどうやって私の血液を殺して、そしてどうやって妹のを入れるんだろう?
分からないことだらけでした。
それから「移植」という言葉の響きから、なんとなく、どこか切るのかな?と思っていましたが、全然これはちがいました。「骨髄」は「骨」を移植するのではなく、「骨髄液」を入れてもらうことだったのです。
新聞などでよく、「骨髄移植手術」と書かれていますが、「手術」ではないのです。
どうしてこのことにこだわるのかと言うと、それは「手術」というイメージで、ドナーさんから骨を切りとって患者へ移植する、というイメージを持つ方がよくいるからです。
ドナーの方も患者も、どこかを切られる・・ということは一切ありません。ドナーの方の腰骨から注射し、液を抜き取るだけで終わります。
その間はもちろん痛くないように全身麻酔をかけられています。
そして患者はそれを今度は点滴で入れてもらうだけで終わってしまいます。
「移植自体」はとても簡単なのです。
ですが、それに伴う前処置やその後の生活・・・これが想像を絶する過酷さでした。
「白血球の数値が0になり、私の骨髄が空状態になるまで徹底的にたたく」
・・・・・・ために前処置というものが行われるという説明を受けました。
何となくは理解できるのですが、それが自分にとって実際どういう状態になるのか繰り返しますが、言葉だけでは想像もできませんでした。
実際には骨髄を空にする・・と言ってもまさか本当に私の骨髄液を全部抜き取ってしまうことはできません。そんなことをすれば死んでしまいますから・・・。
骨髄を空にする・・・とは骨髄の中の血液を作り出す機能を持つ細胞(造血幹細胞組織)を壊して、血液が作り出せないようにしてまう・・・ということなのです。
だから、血そのものはずっと体内にもちろんあり、どこかを切れば赤い血は流れるのですが、その血はただの液であって、本来の血液の果たす役目をしてくれないのです。
言ってみれば水分があるだけのようなもの、といっそ言ってしまえば分かりやすいかもしれません。
そういう状態で、外の空気に触れるとたちまち感染してしまって命を落としてしまいます。
血液は、あっても役に立たないもの・・・になっているからです。
そのため、無菌室と、他人からの輸血が必要になるのです。
他人の血が体内にあるうちはなんとかそれが酸素を運んだり、血液としての最低限の役目を果たしてくれます。また無菌室は、菌の無い、きれいな空気を流しつづけることによって、患者を感染の危険から守ってくれるのです。
こういうことは、お医者さんにとってはあんまり当たり前すぎることのようで、いちいちここまで説明してはくれません。
でも素人は空にする・・と言われればそのまま素直に言葉の意味を受けとってしまうのではないでしょうか?頭の悪い私は「空にする」や、「たたく」の本当の意味が分からず、実際に移植を経験してみるまで、よくは理解していませんでした(今でもよくは理解してはいませんが・・・・)。
骨髄から採ったものを、骨髄へ入れるのではなく、胸に入れたカテーテルからの点滴でなんで骨髄まで行きつき、生着するのか・・・自分の体の中で起こっている事とはいえ、今でもさっぱり分かりません。
また移植について書かれた本なども読みましたが、私が読んだ本はお医者さんが書いた本でしたので、専門的な言葉や意味不明な言葉が多く、これを読んでもやっぱりなんとなく・・の理解しか得られませんでした。
やっぱりお医者さんたちは頭がよろしいので、こんなことはいくらなんでも常識で分かるだろう・・というところから始められてしまっている感じのものが多く、生物や理科の知識など、学校のテストのために仕方なくやっていた私たち(私だけかもしれない)には到底ついていけない、分かりにくい本でした。
だからあまり参考にはなりませんでした。
それとは関係ありませんが、ある本で(これもお医者さんによるものだった)「致死量にあたる抗がん剤を使い・・・」という文章など、「致死量使ってしまったら死ぬやん!」などと思ってしまい、以後怖くなって何も読まないようにしていました。