1999年5月20日 | 総室に戻る。戻ってこられて本当に嬉しい。 明日の血液検査で数値が下がっていなければ院内フリーが許される。WT1の結果が出ていれば話しにきてくださることになっていたがまだ。明日かな?GVHDはまだ何も出てこない。 何が出てくるかわからないので出たら恐いけど再発はもっと恐いので早く出て欲しい。パソコンが使えないので今日は手紙を書く。 |
1999年5月21日 | WBCが2100!!晴れて院内フリーとなる。やったぁ、嬉しい!血小板も10万を越えたし、もうすぐ外泊もできるようになるかな? |
1999年5月23日 | 大阪APが停電とのことでメールが朝から送れない。パソコンが壊れたのかと思ってあせったけどそうじゃなかったので良かった。ほっ。 |
1999年5月24日 | K先生、今日でお別れ。 H先生ももうすぐいなくなってしまうから寂しい・・。大学病院は先生が次々と変わってしまわれるところが嫌だなぁ・・・。病棟の電話が壊れた。この機会にグレ電に変えてくれないかな?そうすればメール送るために病棟外へ出ずにすむのに。いつも行く3階病棟は出産病棟でもある。こちらはつらい入院なのに隣ではおめでたを知らせる電話ばかり・・。(当たり前か・・) |
1999年5月25日 | GVHDまったく出ないのでやはりDLIをやることになる。29日に決定。 |
1999年5月26日 | WT1の結果が出た。数値は思っていたよりとても悪い。正常値より10倍以上高い結果だった。明日緊急マルクすることになる。もしかしたら再再発の可能性も・・・・?そうだったらどうしようと眠れなくなる。 |
1999年5月27日 | マルクの結果、まだ目に見える再発はなし。ほっとするがこの先は不安。他の検査は全て正常で、寛解状態なのでもしかしたらWT1の結果はまちがっているかもしれない、と言われる。 この検査(WT1)はまだ一般的ではなく、どこまで私の病気(MDS)で信頼性があるかも分からないとのこと。 でも正常値ではないことは確かなので、やっぱり不安だ。この日の予定だった産婦人科受診はマルクのため行けなかった。また退院は延び、DLIの量は増えるとのこと。 |
1999年5月28日 | 歯科に行く。 |
1999年5月29日 | DLI(ドナーリンパ球輸注)をする。またまたあっちゃんに助けてもらうことなる。初めてドナーの血液を採取しているところを見た。両手を拘束されているのでしんどそうだ。定期的に吐き気もくるらしい。採っているときにカルシウムがこわれるから吐き気がおこるのだとか・・。 薬の点滴ですぐに治るものらしいが。60ccだったので私への点滴は30分ほどで終わってしまった。 |
1999年5月31日 | 産婦人科受診。優しくていい先生だった。プレマリン1日0.65mg毎日に加え、12日間プロベラを飲むというホルモン療法を始めることになる。6月2日より開始。 |
1999年6月2日 | プレマリン開始。バクタ−も週2で開始。朝から熱が37℃で少し微熱。昼から下がるが体だるい。この日、WT1の結果がわかる。末梢血の方の値は少し下がっていたが、骨髄の方は変わらず。この先も見て行かなければならないとのこと。H先生から引継ぎのK先生へ担当が替わる。 |
1999年6月3日 | 採血、顔が少し赤く,熱い。熱は朝37℃→36.6℃。 |
1999年6月4日 | 歯科へ。ここの歯科は簡易の歯科なので行くたびに先生が変わるのでいちいち説明しなおさなければならない。先生の方もめんどくさいことはあまりやりたくないような感じ。もちろん移植のことも分かってない先生ばかりなので嫌になる。 移植治療後は他の科への受診がどうしても必要になってくるので、内科の先生と連携してやってもらえないものなのだろうか。この日はあまりにも不親切な先生だったので何も処置してもらわず帰ってきてしまった。別の曜日に変えてもらって行くことにする。 |
1999年6月5日、6日 | 外泊。自宅へ帰る。全身がかゆくてなかなか眠れない。GVHDかな?とも思うが、皮膚には何も起こっていないのでむし暑さのせいかなぁと思う。 |
1999年6月7日 | やっぱり全身がかゆいのが治らない。ぽつぽつと発疹もでてきているので明日皮膚科で調べてもらうことになる。かゆみ止め(ポララミン)をもらうが全く効かない。 |
1999年6月8日 | 皮膚生検(皮膚を少し切りとってGVHDかどうかを調べる検査)を右腕の発疹が起こっているところに受ける。痛い思いをしたんだからGVHDでありますように、と願う。でも皮膚科先生は「どうも薬疹(薬のアレルギー)っぽいなぁ」とおっしゃった。そんなぁ・・ 今まで薬のアレルギーなんて起こったことないのに、そんなタイミングよくおこるものなんだろうか?IL2(インターロイキンレセプター)というGVHDの指標となる値が少し高めだそう。 ということはやっぱりGVHDじゃないのかなぁ。肝臓のALT、ASTという値も高めだそうでこれもGVHDかもしれない、とのこと。かゆみ止めポララミンからアレジオンへ。これでひいてきたら薬疹かもしれない、とのこと。 塗り薬ももらったが、これは塗ったらすぐに余計ひどくなったのですぐ中止。 |
1999年6月9日 | かゆみ、ますますひどくなる。点滴もしてもらったがこれも全く効かない。結局アレジオンを朝夕で飲むことに。薬はアレジオンとケルナックだけになった。ホルモン療法も中止。余計な薬を飲むと、薬疹かGVHDかの判断がつかないためらしい。 |
1999年6月10日 | 歯科受診。肝臓の数値がだんだん上がっているらしいが、本人は何も自覚症状がないのでこれに関しては全く楽。だけど急に上がりすぎたりすることもあったりで怖いらしい。 知識がないのでその怖さも良く分からない。(その方がいいかも(^^))皮膚の発疹に加えて口の中も痛くなってきた。目もごろごろする感じがする。GVHDでありますように・・。でもどのぐらい出しておいたらいいものなのか・・・・・。 |
1999年6月11日 | 外泊で、家へ。皮疹広がってきたような感じ。 |
1999年6月12日 | 体が熱くだるい。熱は37.6℃。 |
1999年6月13日 | 皮疹広がって夜には熱が38℃まで上がる。痒くて寝られないのでハルシオン2錠飲む。 |
1999年6月14日 | 熱38℃出たので採血して血液培養へ。内科の先生の臨床的には皮膚の皮疹はGVHDだそうで、ステージとしては二度ぐらいだそう。口の中が痛くて唇も腫れているみたい。食事取れなくなってきた。 かゆみ止めはアレジオンからアタラックス25mgへ変更。これで寝られるかなぁ?皮膚は熱をもっている感じなので氷まくらをもらって冷やしてみる。 |
1999年6月15日 | 炎症反応はないが、熱が下がらないため一応抗生物質の点滴を朝夕受けることになる。熱もおそらくGVHDだろうとのことだが調べようがないので分からない。回診があり、退院の話が出る。 WT1では私の場合指標になるかどうかまだ分からないので外来でマルクしながら様子をみていきましょう、と言われる。マルクで見た目で分かるほどの再発が分かった時点ではもう遅すぎるような気がしてしまい、不安になる。退院して大丈夫なんだろうか・・・? |
1999年6月16日 | 皮膚生検の結果はGVHDではなかった、と言われる。そんな!という結果だった。じゃあやっぱり薬疹なの?!これからの治療方針として、バンクからの再移植を検討してみては・・・と提案をされる。 二度目の移植を終えたばかりなのに3度目の移植のことを考えなければならないなんて、とショックだった。でもこれがGVHDでなく、WT1がこのまま下がらなければやっぱり不安でもある。 |
1999年6月17日 | 目がごろごろするので眼科受診。軽い炎症反応が見られるとのこと。でもGVHDかどうかは微妙。一晩考えた結果、やはりバンク登録をお願いすることにする。 でも3度目の移植なんて体が耐えられるんだろうか?今はそのことについてはあまり考えないでおこう、と思う。 |
1999年6月18日 | 外泊。熱が心配なのでロキソン飲んでから帰る。 |
1999年6月19日 | 吐き気少しあり。お腹が減っているのにあまり食べられない。口の中に食べ物がへばりつく感じがする。唾が出にくいのかな? |
1999年6月20日 | GVHDの症状として、吐き気、微熱、だるさがほとんどの人に起こるものらしい。が、これって再発の症状とも似てるって思うのは私だけ?この日、だいぶ吐いてしまった。 |
1999年6月21日 | マルク。骨髄は寛解状態でほっとした。食べられない、寝られない、かゆい・・・・。 |
1999年6月22日 | かゆみがひどい。口の中と手のひらから再び生険を受ける。 |
1999年6月23日 | WT1が正常値に下がっていた!!良かった!!本当に嬉しい。やっぱり今までのものはGVHDでGVL効果があったんだ!WT1が私の場合指標になることも分かったのでこれからそれで見て行ける。 明日から今度はGVHDを止めに入るとのこと。プレドニン40mg(1日8錠)から開始される。でもこの薬が始まると、副作用で感染しやすくなるためしばらく外泊は禁止。退院も延びることになった。 |
1999年6月25日 | お薬 プレドニン40mg、ケルナック、アタラックス25mg、バナン錠100mg、ハルシオン |
1999年6月26日 | カビが出たため朝夕の点滴始まる。やっぱり感染しやすくなってるんだなぁ。点滴はジフルカンとカルベニン。 |
1999年6月27日 | 顔の赤味がひどく、酔っ払いのような顔になってきた。硬くてごわごわしていた皮膚は今日お風呂に入ったらぼろぼろと取れた。 |
1999年6月28日 | 目がしょぼしょぼする。パソコンの画面が見づらい。口の中、少しましになって食べられるようになってきた。食べないと体重激減が怖い。爪と指の間が痛い。 |
1999年6月29日 | 午前中は調子が悪く、熱も高い。午後からマシになるというパターンがここのところずっと続いている。昼からマシになるというのはプレドニンが多少は効いているということかな。目はだんだんひどくなる感じでしょぼしょぼして本も読めなくなってきた。 |
1999年6月30日 | 今日からステロイド(白色ワセリンにロコイドクリームを混ぜたもの)を顔に塗り始める。1日2回。ジフルカン、カルベニンは今日で終り。 |
1999年7月1日 | 眼科受診。目の症状もGVHDだと言われる。タリビットとリンデロン点眼液を出してもらう。1日3回。涙の分泌が極端に悪くなっているらしい。人口涙液の点眼薬(ソフトサンティア)は薬科で出してくれないため、 病院内の売店で購入しなければならない。10本入りで1500円。 |
1999年7月2日 | 体重が39kgに・・!点滴につながれるのは嫌だから食べないと・・。涙が出ない。最近泣いてないからわかんないけど。出ないみたい。 偽膜性結膜炎と線状角膜炎と診断された。典型的なGVHD症状らしい。 |
1999年7月3日 | 少ししんどい。体がかゆくてイライラする。目は開けられなくなってきた。皮膚科でもらった顔に塗るステロイドをもらっても全然赤いのはひかないので先生にも相談して使うのをやめることにした。 プレドニンではGVHDが抑えられないようなので、シクロスポリン(サンディミュン)も追加される。1日100mg。 |
1999年7月4日 | 目は見えないし、体もだるくてしんどい。 |
1999年7月5日 | サンディミュン増量される。1日200mg飲むことに。 |
1999年7月6日 | 肝臓の数値下がってきたとのこと。サンディミュン1日150mgに減量(血中濃度が高いため)。 |
1999年7月7日 | 眼科で偽膜をはいでもらう。目の中にピンセットが入ってくるのが見えて怖かった。 眼科の先生になる人は手先が器用な人になってもらいたいと思った。処置してくださった先生はとっても上手で痛くもなんともなかった(ありがとうございます(^^)) やっぱり急性GVHDらしい、とのこと。 お薬 バクタ ケルナック プレドニン40mg サンディミュン200mg アタラックス |
1999年7月8日 | 血中濃度がこの日は500ぐらい(200ぐらいで保っていたい)になっていたらしい。この日、サンディミュン飲まず。 |
1999年7月12日 | 肝臓の数値だいぶ落ち着いてきたとのこと。 |
1999年7月13日 | サンディミュン減量→1日175mg。皮膚科受診。顔はだいぶ時間がかかるらしい・・・・ショック。 |
1999年7月14日 | 開かない目でムリヤリパソコンの画面を見ていたら夕方から痛くなってきてしまった。サンディミュン明日からまた200mg。 |
1999年7月16日 | マルク。 |
1999年7月17日 | サンディミュン増量→1日250mg。 |
1999年7月18日 | 目の開き少しましになってきた感じ。口は相変わらず。 |
1999年7月19日 | 眼科受診。目が開くのはだいぶましだけど、ドライアイになっていてそれが強くなってきているとのこと。 視界はぼやけていて相変わらずちゃんと見えない。ヒアレインの点眼始まる。1日4回。その他イスコチン錠100mgも始まる、週3回。 |
1999年7月20日 | 祝日。目はだいぶ開くようになってきたが、本読んだりパソコンしたりはまだまだ無理。目薬は差してもすぐに流れてしまうのでとても追いつかない。 ソフトサンティア(人口涙液の点眼液)は1日5〜6本ぐらい使ってしまう。1日の大半を目をつぶって寝てすごす。 |
1999年7月21日 | この日の血中濃度は300。定まらない。今日はサンディミュン飲まないことに。 お薬 プレドニン40mg サンディミュン250mg ケルナック バクタ(週2回) イスコチン(週3回) |
1999年7月26日 | 眼科受診。炎症は治まってきているが、ドライアイがきつくなってきているらしい。またドライアイは治らないとも知らされるが骨髄移植後ドライアイになっている人が多く、誰も治っておられないのを知っていたのでやっぱりなぁという感じだった。 それでもやっぱり今のままではとても普通には生活できないのでなんとかもう少しましになって欲しいと思う。 先生は涙点プラグを考えているとのこと。 見えにくいのは目が乾いてまばたきするたびに角膜が傷つけられているためらしい。 |
1999年7月27日 | 皮膚科受診。爪がぼろぼろになってきたのもGVHDかもしれないらしい。この前の生検の結果を名古屋に送ったところ、返ってきた結果は口はGVHDだと言えるが、手の方はGVHDかどうか微妙とのことだった。そんなこと言われてもなぁ・・・・。 GVHDじゃないんだったらじゃあ何なんだろう??。 プレドニンは明日から減量1日35mgに。 |
1999年7月28日 | サイトメガロウィルスが出てしまった!今まで出たことなかったのに。朝晩の点滴につながれることになる。デノシンとベニロンをつかうが、ベニロンでアレルギーを起こしてしまった。 以前は平気だったのに。体質変わったのかなぁ? |
1999年7月29日 | これだけGVHDが出ているため、またWT1も正常値に戻ったのでバンクの登録を保留にする。3ヶ月間保留できるらしい。 |
1999年7月30日 | 主治医と相談して目の乾くのを少しでも防ぐにはどうしたらいいか?を考えた結果、水中眼鏡はどうか?という話になって早速家族に買ってきてもらって試してみる。 みんなから「さぁ今から泳ぐぞ!って感じね」と言われるが、でもなかなか良い感じなので愛用する。 |
1999年7月31日 | 当分パソコンもできないので家に持って帰ってもらう。主治医がルークトークに登録してくれたので私の代りに代理投稿してくれることになった。 ハンドル名はマルコ。感謝してます・・。 |
1999年8月2日 | 左目の下に涙点プラグを入れてもらう。一度に全部は入れられないらしいので片目だけ。また目に異物を入れることになるので、それによって逆に炎症がひどくなったりすることもあるらしい。 しばらくは片目だけでどれだけ効目があるか様子をみていきましょうと説明される。 |
1999年8月3日 | 目が痛いし見えないので昼間はずっと寝ている。明日からプレドニンは30mgに減量。 |
1999年8月4日 | 今日からプレドニンは30mgだけど元気。ステロイドを減らしていくときには食欲も落ち、体もしんどい、といろんな患者さんからよく聞いていたのでびびっていたが全然落ちず、逆に食欲増進されている。 それもステロイドの副作用らしいが、おかげで口の中が痛くてもお腹が空く方が勝っているのでよく食べる。 ドライマウスもひどく食事のときに水分をたくさん取るのでトイレの回数が増えた。 |
1999年8月5日 | C7HRP陰性の結果が出る。良かった。明日の採血でもう一度陰性の結果が出れば外泊できるらしい。 |
1999年8月7日 | C7HRP陰性。ほっ。2ヶ月ぶりで家に帰れた。季節はもう夏の終りになっていてびっくり。 |
1999年8月9日 | 左目のプラグは効いているらしい。らしい・・・というのは私の実感ではそんな気があまりしないからだ。どうもプラグのサイズが涙点より小さくて、ぴったりはまってないらしい。 サイズを大きいものに変えたほうがいいかも、と言われたが今日はまだこのままで様子をみていくとのこと。 右目もまだ入れてもらえない。炎症がまだ残っているので慎重に時期を見ましょう、とのこと。 時間かかりそうだなぁ・・・・。 |
1999年8月14日 | サンデミュン1日200mgに減量。 |
1999年8月16日 | サンデミュン1日175mgに減量。眼科受診。プラグまだ入れてもらえず、次の受診は2週間後。 |
1999年8月17日 | プレドニン1日20mgに減量。マルク。この日のマルクは特に痛かったが、痛かったらうまく骨髄液が採れているらしい。 |
1999年8月20日〜23日 | 外泊4日間もらう。 |
1999年8月27日 | サンデミュン1日150mgに減量。WT1の値が今回も正常値だったためいよいよ退院の話が出る。 |
1999年8月30日 | 眼科受診。相変わらず様子を見ていきましょう状態。この日もプラグはまだ入れてもらえない。 |
1999年8月31日 | プレドニン15mgに減量。 |
ここまで読み進んでくださってありがとうございました。おかげ様で1999年9月4日に退院することが出来ました。でも冒頭の目次にも書きましたが、これで終わったわけでは決してありません。まだまだ闘病は続く・・・のです。残念ながら。
退院したからと言ってすぐに社会復帰できるわけではなく、またこの先5年間は再発の恐れもありその恐怖とも戦わねばなりません(まぁそんなしょっちゅう闘うのも疲れてしまうので私の場合ぼちぼちですが・・・・)
GVHDが出る前は命さえあれば少しぐらいの体の不自由なんて何ていうことはない、と気楽に考えていましたがそんな単純なものでもない・・ということを実感しています。
でもやっぱり生きてることの方が何百倍も嬉しい!!
この先まだまだどうなるかは分かりませんが、このdiaryをとりあえず退院というところまでまとめることが出来たのは本当に嬉しく思っています。またそこまで私を治療してくださった多くの先生方やナースをはじめスタッフの方たち、お見舞いにきてくださった方々、メールや手紙で励ましつづけてくださった方たち、そしてもちろん家族とドナーの妹には大大大感謝!!です。