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(2)

 ピタッと頬に触れたものの冷たさに、目を開け様にてのひらで払おうとして、はたと踏み止どまる。
 くっつきたがる瞼をどうにか引き剥がして見上げた薄水色の空の中には、凡そ半分は呆れ顔の白馬探がいた。完全なる呆れ顔でなく中途半端な半分の表情は何だか入り交じった些か複雑な色合いで、快斗には今一つ読み取れない。
 その手のペットボトルが先程の冷たさの正体だと白状するようにそれは再度軽く頬に触れてから胸元へと移動する。
「とりあえず、飲んで下さい」
「ナニ?」
 ぼんやり問えば「お水です」と律義に応えが返る。
 快斗を屋上の日陰に転がして、その場を動かないようしつこく念押ししてから姿を消した白馬は、ご丁寧にも一階の自販機まで降りて、再度引き返して来たらしい。
 受け取ろうと手を伸ばしかけて、寸でで止めると白馬は不思議そうに小首を傾げた。
「どうしました。……何も入れてはいませんよ?」
「んー、しってるー。そンなカイショーがあンならとっくにキッドだってつかまえてるもんな〜」
「大きなお世話です。大体そんなものは甲斐性でもなんでも……、とにかく、いるのですかいらないのですか」
「いるいる。いるけどさー……」
 快斗はとっておきの笑顔を浮かべて、白馬を上目使いに見上げ、差し出されている件のペットボトルをちょいちょいっと指差す。
「あけて?」
「…………」
 何を甘えた事を、と顔をしかめるかはたまた今度こそ全開で呆れ果てるかと思われた白馬は、ぴくりと眉を振るわせただけの真顔でボトルのキャップを弛めて、もう一度ボトルを差し出す。
 どうぞ、と促す仕草に今度は快斗も機嫌良く礼を呟き素直に受け取った。
 寝転んだまま飲もうとして、はて、と動きを止める。このままキャップを取ると口に入るより零れる方が絶対に多いに違いない。
 単に身を起こして飲めば良いだけの話だが、全身から力を抜き切って大の字にひっくり返っている今の快斗の脳内に、そんな選択肢はなかった。
 どうするかな〜、と手の中のペットボトルをぼんやり眺めていると、不意に背の下を腕が潜る。反射的に肩を張り背を反らす事でその動きを助けた形になってしまう。
 あれ、と、瞬き、一つ。
 背に添えられた腕は、いつの間にやら快斗の真横に片膝を突いていた白馬のもので。そして腕は快斗の背と床の間に回されて、止まる。
「起こしても構いませんね?」
 行動を起こす手前での問いでなく、既に実行しかけている癖にあくまでもバカ丁寧に許可を求める声に、ケラケラ笑いながら「よきにはからえ〜」と出した許可と共に快斗は半身を起こされた。程よい角度でかけたストップの声に、人間リクライニングシートと化した男は生真面目な顔で従う。
 笑わない横顔の向こうには薄水色の空が広がっている。何故か、高い筈の空がやけに近く見えた。
「……おー……そらがちかいー……」
「はいはい、それよりお水飲んで下さい。お菓子作り用といってもラム酒はラム酒。アルコール度数四十五パーセントはあるんですから、がぶ飲みするようなものじゃありません」
「ちっこいくせになまいきだぞー」
「はいはいはい。後で僕がしかっておきますから、君はお水を飲んで」
 自分でも訳の分からない事を言い放っている自覚はあったが、白馬の宥めるような声に機嫌を良くして快斗は全身を彼の腕に委ねたままで、ペットボトルを傾ける。喉から胃を駆け抜ける快い冷たさに、きゅっと一度瞳を閉じて。
 開くと、覗き込んでいる白馬の瞳とかち合う。
 瞳に映るもの問いた気な色彩に、ナニ、と目で問うと、少し迷うような沈黙の後、白馬が口を開いた。
「いえ……、ただ何となく、君はそう簡単には酔わないような気がしていたもので。……酔っていますよね?」
「んー……、たぶんね?」
 へら、と笑うと、更に困惑する気配が強まった。それでも背に回された腕は離れて行く様子はなく、しっかりと快斗を支えている。
 それが、快い。
「いつもそうなんですか?」
「そうって?」
「その、あまりお酒には強くないのかと」
 予想外の言葉に、ふわふわとする心のままに快斗は朗らかに笑う。
「オレつよいよー? ふつーはそーとーのまなきゃこぉんなきぶんよくなんないもん」
 アルコール度数の高いものを大量に摂るか、あるいは種類を取り混ぜて大量に摂るか。相当肝臓がしっかりしているのか、多少のアルコール類では顔にも態度にも出ないのが本来の快斗だ。
 ましてや傍目にも分かる程に表れるにはそれこそ夜を徹して飲むくらいでないとならず、些少のアルコールで簡単に楽しい気分にもなれないのはある意味損な体質かもしれない。
「でも、飲んだのはお菓子作り用の小さなラム酒を三本、ですよね? 他にも何か飲んでいたりはしませんね?」
「ないよー。やっぱあれかなぁ」
「あれ、とは?」
「みっかねてない」
 へへへ、と笑ったのに、白馬は笑わない。むしろ唖然を絵に描いたように返す言葉に詰まり、息を飲む。
「それとおなかすいたー」
「……朝ごはん、食べてないんですか」
「んー? あさと、きのーのよるとー、きのーのひると、それからええっと」
 指折り数えると、もういいです、と白馬が深々とした溜め息を落とす。
「分かりました、よーく分かりました、それで酔わなければその方が怖い」
 しみじみと言われてもよくは分からない。ただ、白馬の表情が曇ったままなのが何となく悔しくて、快斗は見上げたまま彼へと手を伸ばす。
 水のペットボトルを持っていない方の手を。
 唐突な動きに白馬は目を見張ったが、快斗を抱え込んでいる以上身動きの取りようはなく、ぎこちなく微かに上半身を引いただけに終わる。彼が全身に緊張を走らせたのはその筋肉の動きでも分かった。
「黒羽くん?」
 戸惑いと動揺が混ざった声に、特に応える事なく快斗はそのてのひらを逆手に白馬の頬へと向ける。
「黒羽くん!」
 焦ったように響く声が、制止を意味するものなのだと、快斗にだって分からない訳じゃない。ふわふわする思考の中でも、その程度の事は察せられる。
 それでも、快斗はその手を指先を、伸ばす。
 今一つ言う事を聞かないてのひらはほおに触れたかと思えば、ゆらゆらと離れてうまくいかない。
「なんだよ、はくばー、うごくなよ〜」
「僕が動いている訳じゃありませんよ。……何がしたいんですか」
 ふらふらとするてのひらから逃げるのを諦めたのか、白馬は軽く息を吐き出してやや快斗へと身を屈める。気持ち身を寄せられて、やっとてのひらは安定して白馬へと届いた。
 頬を撫で、鼻先に、前髪にと指先を遊ばせる。
「へへへ、さわっちゃった〜」
 笑う快斗に毒気を抜かれたか、白馬は短い苦笑の後やんわりと微笑む。
「そこで楽しそうなのは、何故なんでしょうねえ」
「んー?」
 小首を傾げると、ほんのり柔らかい笑みが返された。
「いいえ、何でも。君は、楽しそうですね」
「うん。はくばはうまそー」
「……美味しそう? 僕が、ですか」
 不思議な事を言いますね、と言う声がさっきよりずっと柔らかく楽しそうなのが嬉しくて、快斗もにっこりと笑う。
「めが、こうちゃからなっつになる。うまそーな、へーぜるなっつ」
「……どうやら君は相当、お腹が減ってるんですね。残念ながら食べるものは何も持ってないんです。さぁ、せめてお水飲んで下さい」
「ん」
 一人納得した風の白馬に勧められるも、もう一口水を含むと、快斗は飲みかけのペットボトルをキャップと共に白馬に押しつける。
「どうしました」
「もーいらない。ねむい」
「は」
「ねる〜」
 目を見張る白馬に構わず大きく伸びをして、快斗はくるんと身を反転させて白馬の膝へと身を投げ出した。
「ちょ、っと、黒羽くん?」
「やったー。はくばのひざまくらー」
「やった、って、あのですね、」
「はくばー」
「あの」
「オヤスミ〜」
「ちょ、」
 上擦る声が、腰に腕を回してぎゅっと抱きつくようにした途端、ぷっつりと途絶える。しばらくして、小さな溜め息。
「本当に、困った人ですね」
 柔らかく呟かれる声は、ふわふわと降り注ぐ淡雪のように快斗にと落ちる。
 遠くなってゆく声は、耳許へ落とされ染み渡り、ゆっくりと眠りへと誘う。
「……僕の気持ちなんてとっくの昔にお見通しの癖に、こんな風に甘えるだなんて、ずるいですよ、君は」
 ほとほと呆れた、そんな台詞なのに、どうしてか彼の声は甘く心地良い響きを伴う。髪や背に触れる優しい手と同じように。
 そして、完全に眠りの淵に沈み切る前に『おやすみなさい』と穏やかな声が耳に滑り込んだ。

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