1999年晩秋 ハンガリー・ウィーン紀行

その6『ブダペストへ、再び……前編』
 

(さあ、今回でブダペストへ帰れるでしょうか・・・?)

翌朝、Kちゃんたちは次の公演地・オーストリアのクラーゲンフルト(スロヴェニアとの国境近くの街・ミニチュア公園で有名・日本代表の模型は大阪城^^;)へバス移動するとのことでしたので、私はホテル近くのセーチェニー広場までお見送りに行きました。明後日私がウィーンに行くまで、しばしのお別れです。Kちゃんは「早くウィーンにおいでようT_T」と言ってくれたんですが、私は「い〜や!だってブダペストまだ何にも見てないんだもの!!」とお断りしました(笑)。

Kちゃんたちを見送った後、ゆっくりと朝食のビュッフェを楽しみ(ここのも美味でした)行きの列車時刻の悲劇(!)を繰り返さないようにするべく、フロントへ聞きに行きました。(残念ながら昨日の好青年さんはいなかった・そりゃそうだ、交代しないとね!)

次のブダペスト行きは13:35とのこと。よっしゃあ!じゃあそれまでペーチを観光や!でも列車のチケットを手に入れていないと不安‥‥しかし駅まで買いに行くのは面倒。というわけで列車の切符が買える旅行代理店を捜しに行きました。

まず市庁舎横にあるtourinformへ。とってもかわいいお姉さんが英語で対応してくれたのですが、どうやらここでは宿泊の手配をするだけで、切符は売ってないらしい。 でもお姉さんは『ここに行けば売ってるわよ』と街の観光地図にペンで印をして渡してくれました♪

その地図の通りに『ペーチ版みどりの窓口(?)』を捜したのですが見当たらない。もう、駅まで買いに行った方が早いかな〜と諦めかけた時、やっとそれらしい店を発見しました!‥‥何でこんな目立たず、小さいドアやねん!悪徳不動産屋か(爆!)。切符売る気あるのか?ハンガリーの国鉄は!!と怒る間もなく店に入り、とにかく無事にブダペスト行きの切符を手に入れました。ああ良かった。これで心置きなく観光出来ます。

ここでペーチについてちょっと御説明(byガイドブック^^;)

PECS‥‥南ハンガリーの古都。ローマ時代はパンノニア州の町で「ショピアナエ」と呼ばれた。この名前は今でもタバコのブランドとして残っている。1543年から143年間はトルコの支配下にあった。現在では工業がさかんで陶磁器、手袋、オルガンで知られている。町にはペーチの名を高めた「ジョルナイ」のセラミック を使った現代ハンガリー建築が建ち並び、大学生が闊歩している。街全体は南国ムードが溢れている。(説明おわり。)

昨日は夜に着いたので、この日ようやくペーチの風景を見渡すことが出来ました。なんて素敵な街なんでしょう!!先程少し触れたセーチェニー広場の奥には、『旧ガーズィ・カッシム・パシャ・モスク』というトルコ支配時に建立されたモスクがあって、これはハンガリー最大のトルコ建築だそうです。外観はモスクそのものなのですが現在はカトリック教会として使用しているそうです。面白いなあ、欧州人って‥‥。

モスクの横の坂を5分程登っていくと、城壁に出ます。かなり古そうな城壁なのですが、いつの時代のものなのでしょう?トルコから身を守るために作ったのでしょうか?その城壁の近くに『ジョルナイ博物館』があります。ジョルナイはハンガリー陶磁器ではヘレンドと双璧をなしていて、玉虫色に輝く特殊な釉薬をほどこした食器で有名です。こじんまりとした博物館(というかお屋敷!)でしたが、展示してあるお宝はもう全て 高そうな(笑)食器で、玉虫色に輝くジョルナイを見ているとクラクラしてきました(T_T)。中には江戸時代に当時のオーナーが手に入れた日本の絵皿と、それをジョルナイ風にコピーしたものも展示してあって、ペーチと日本の意外な繋がりを見ることが出来ました。

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