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★1月27日 水曜日★
真琴は、物静かになってしまった。
いや、物静かなどという言葉は適切ではない。
言葉を扱うのが困難になり、口に出せなくなった、というべきだろう。
そして、ぼーっとしている時間も長くなった。
ただオレと一緒に座っている。
オレの手に自分の手を重ね、その温もりを楽しんでいるかのようだった。
真琴の瞳を見てみる。
真琴(…)
何ものにも曇らぬ、無垢な瞳。
しかしそれは、人間としての感情を失いつつある、ということでもあるのだ。
怒ることもしない。笑うこともしない。
あれだけ表情豊かだった真琴の顔が、無表情でありつづけるのを見るのは、とて
も辛いことだった。
だけど、わずか一時でも人間らしい感情を取り戻してやりたい。
取り戻すことが叶わないのなら、せめて失われてゆく速度を緩めてやりたい。
そう願いながら、オレは真琴が好きだったマンガを、真琴のために朗読し続けて
いた。
………。
……。
…。
真琴「こうへい、こうへい」
浩平「…ん?」
真琴「こうへい、おきて」
浩平「ん?ああ、ごめん。寝てしまってたか」
オレはあくびをした。
浩平「お前と居ると、居心地良くてな」
真琴「ごほんのつづき」
浩平「ああ、…どこまでだったっけ」
真琴「ここ」
浩平「おし、それではいくぞ。
   『だから、あたしの力はイザークにしかあげられないものなんだってば』」
………。
……。
…。
浩平「『ノリコ…ノリコを捜そう。あいつが待ってる』
   『イザーク!』」
真琴「…すー」
浩平「ん?」
真琴は寝息を立てていた。
浩平「おいおい、オレを起こしておいてお前が寝ちゃダメだろ」
真琴「…すー」
浩平「…」
真琴「…すー」
浩平「…何だか、お前の寝息を聞いてたら、オレも眠たくなってきたな…」
真琴「…すー」
浩平「それじゃ、おやす…み…」

ぴんぽん。
ドアベルの音でオレは起こされた。
浩平(…)
横を見ると、真琴はそれでも起きてはいないようだ。
浩平(うらやましいヤツだな…)
オレは真琴を起こさないように立ち上がると、真琴に毛布をかけてやり、玄関に
向かった。

玄関に出ると、美坂の姿だけがあった。
浩平「あれ、今日は美坂だけか?」
美坂「今日は天野さんは都合が悪いそうよ」
浩平「そうか…」
美坂「…真琴は、どう?」
浩平「あいつか…。もう、ほとんど喋れなくなってしまったよ。何かをするでも
   なく、ぼーっとしている時間が多くなった」
美坂「…」
浩平「信じられないよな。いつもオレをからかっては笑ってたあいつが…今じゃ
   にこっともしないんだ」
美坂「…」
浩平「それに…あんなに口うるさかったあいつが…元気だったあいつが…こんな
   に静かになるなんて…信じたく…ない…」
美坂「…」
浩平「オレは…壊れてゆくあいつに何もしてやれない…ただ見ているしかないん
   だ…」
美坂「…」
浩平「必死で人の姿を保とうとしているあいつに…何の手助けも出来ない…」
美坂「…」
浩平「すまん…美坂…」
美坂「…」
浩平「あいつの前では、できるだけ笑顔でいたいんだ。だから…」
美坂「…言ってるうちにもうぐしゃぐしゃじゃない」
浩平「…ごめん…」
美坂「いいわよ、遠慮しないで」
浩平「…」
美坂「…これじゃ立場が逆ね」
浩平「…全く…だな…」
美坂「それだけじゃないのよ」
浩平「…え?」
美坂「気にしないで。ちょっとしたことだから」
浩平「…わかった」

今日も夕食の後、リビングで真琴と2人で寝そべっていた。
真琴「ごほん、よんで」
浩平「おう、今日はこれで10冊目だな。何冊でも読んでやるぞ。今度はどれだ」
真琴「これ」
そう言って真琴が差し出した本を見てみる。
浩平「あれ?これ、前に読んだ本じゃないのか」
表紙に見覚えがある。
浩平「もう一度読むのか?」
真琴「うん、よんで」
浩平「わかった。それじゃいくぞ。『恋はいつだって唐突だ』」
真琴はオレの肩に頭を擦り付けてくる。
浩平「おいおい、それじゃマンガが見えないぞ」
それでも真琴はやめようとはしない。
浩平「分かったよ。それじゃ、続きを読むぞ」
………。
……。
…。
浩平「『わかった。絶対に迎えに来るから』」
   『そのときはふたりで一緒になろう。結婚しよう』」
真琴「…したい…」
浩平「え?」
真琴「したい…けっこん」
浩平「だから前に言っただろ。あと1年は待たないとダメだって」
真琴「こうへいとけっこんしたい…。そしたらずっといっしょにいられる…」
浩平「ああ、そうだな…」
ずっと一緒…。
それはオレにとっても最大の願いだ。
だけどそれは…。
オレはこみ上げてくるものを無理矢理抑えつけ、真琴に言った。
浩平「続き、いいか?」
真琴「うん」
やはり真琴は知っているのかもしれない。
残された時間はあと僅かしかないことを。

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