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★1月26日 月曜日★
目を開いた。
どうやら、眠っていたらしい。
真琴の顔を見てみる。
苦しそうな表情はなく、穏やかに眠っている。
寝息も静かだ。
額に手を当ててみると、熱も下がっているようだ。
このまま眠り続ければ、夕方までには良くなるだろう。
オレは安心し、立ち上がる。
しかし、途端、足元が崩れる。
寝不足と心労のためだろうか。
それでも、朝食はとらないといけないので、何とか立ち上がり、キッチンに向かっ
た。
浩平(…)
一人きりの食卓とはこうまで寂しく、味気ないものなんだろうか。
引っ越す前でも、長森が起こしに来ない朝はこうやって一人で食べていたし、夕
食はいつも一人だったから、一人での食事など慣れている筈なのだが。
こちらに来てから、ほとんどずっと真琴と一緒だったから、すっかり真琴の気配
が肌に染みついているらしい。
ジャムを塗って甘いはずのトーストが、何故か塩辛い味がした。
真琴の寝顔を見ながら過ごす。
他に何もすることはなかった。
ただ、見つめている。それだけ。
そのうち、真琴のベッドの傍らで、オレも眠りに就いた。
くいくい。
パジャマの袖が引っ張られるのを感じる。
浩平「ん?」
顔を上げ、目を開けてみると、真琴がベッドの上で起きあがっていた。
浩平「起きたんだな」
真琴「…」
真琴は黙ってオレの顔を見ていた。
浩平「熱はいいのか?」
そして立ち上がり、額に手を当ててやる。
浩平「…よし、これなら大丈夫だな」
真琴「…」
浩平「だけど治りかけが大事だからな。無茶はするなよ」
真琴「…」
浩平「腹減っただろ。何か作ってやるから、ちょっと待ってろ」
そう言って台所に向かおうとした。
真琴「…」
しかし、真琴はオレのパジャマの袖を掴んだまま、話そうとしない。
浩平「ほら、放さないとキッチンに行けないだろ」
そう言うと、真琴は唐突に顔を伏せ、涙声をあげた。
真琴「…ヤだぁ…」
浩平「何がヤなんだ?」
真琴「浩平が…こんどは浩平がいなくなるの…」
オレは心臓が止まるかと思った。
オレが消えると言うことを知ってしまったのか?
それとも、かつての別れを思い出してしまったのか?
そして、自分の運命を知ってしまったのか?
浩平「…」
しかし冷静に考えると、そうではないと分かった。
ずっと一緒にいたぴろがいなくなったから、今度はオレの番ではないかと思って
いるだけだ。
浩平「ぴろは自分のうちに帰ったんだ。きっとそうだ。でも、また戻ってくるよ。
あいつがお前のことを忘れるはずがない」
オレは真琴の頭に手を乗せてやる。
浩平「それに、オレはいなくならないから」
我ながら、何て空虚な言葉だと思った。
いずれ自分が消えてしまうことをオレは知っている。
だから、これは真っ赤な嘘だ。
それでも、真琴を安心させるためには嘘を貫かねばならない。
オレは改めて誓いを立てた。
決して真琴より先に消えはしない、と。
そして真琴の頭を撫でながら付け加えた。
浩平「お前をひとりにはさせない」
そんなオレの言葉に安心したのだろう、ようやく真琴はオレの袖を放した。
遅い昼食をとったあと、オレ達はリビングにいた。
ふたり、ソファーを背に床の上に座り、同じ毛布にくるまっていた。
何かをするわけでもない。ただ一緒にいるだけだった。
真琴「あったかいね」
浩平「そうだな…」
互いの体温を感じる。それが何より幸せだった。
ちりん。
突然鈴の音がした。
浩平「ん?」
見ると、それは真琴の手首に巻いた鈴だった。
真琴もその音で鈴の存在を思い出したようだった。
そして、手首を振ったり、指で弾いたりして、鈴を鳴らして遊んだ。
その鈴の音を聞きながら、一緒の時を過ごした。
ぴんぽん、とドアベルの音が鳴った。
浩平(あいつらだな)
そう思って立ち上がろうとした。
浩平「おうっ?」
真琴がオレの袖を掴んでいた。
浩平「美坂達だよ。すぐ戻るって」
真琴はそれでもしばらくオレの袖を掴んでいたが、オレの言ったことに納得した
のか放したので、オレは真琴に毛布をかけ直してやると、玄関へ向かった。
玄関のドアを開けると、美坂と天野が立っていた。
どちらもオレに礼をする。
そして美坂が簡潔に問いかけた。
美坂「真琴の調子は?」
だからオレも簡潔に答えた。
浩平「熱は下がった」
美坂「そう…」
天野「…」
ここにいる者全てが、これが終わりではなく始まりに過ぎないことを知っていた。
だから、これ以上は誰もこのことには触れなかった。
台所で夕食の支度をし始めた美坂に、オレは尋ねた。
浩平「美坂、ひとつ教えてくれ」
美坂「なに?」
浩平「今日、オレの出席、取られたか?」
しかし美坂はオレの質問には答えず、こう言った。
美坂「机が撤去されたわ」
浩平「…そうか…ひどいなそれは。教科書もノートも突っ込んだままだったのに」
美坂「持って帰らない方が悪いのよ」
浩平「それはそうだけど」
美坂「…」
それ以上は美坂は何も言わなかったので、オレは真琴のいるリビングへ戻った。
夕食後も昼間と同じように真琴と一緒に毛布にくるまっていたが、いい加減寝る
時間となったので、オレは真琴に言った。
浩平「階段から落ちると危ないから、今日からは由紀子さんの部屋で寝ろよ、オ
レも一緒に寝るから」
しかし真琴は顔を伏せて答えた。
真琴「…ヤだ」
浩平「え?どうして?」
真琴「浩平の匂いのする方がいい」
浩平「…わかったよ。ただし、階段を上り下りするときはオレを呼べよ」
真琴「うん」
そしてオレは真琴を抱き上げ、オレの部屋へと向かった。
いつも通り、真琴とベッドの中で向かい合う。
いつもなら間にぴろがいるのだが、もういない。
浩平(…)
こんなに寂しいものだとは思わなかった。
それなら、もし真琴がいなくなればオレは一体…。
浩平「真琴、手を貸して」
真琴「手?」
浩平「そうだ。握っててやるから。ひとりにさせないから」
繋ぎ止めてやるから…ひとりで行かせはしないから…。
叶わぬ願いと思いつつ、だけど、それでも願わずにはいられなかった。
真琴「うん」
そう言って真琴はオレに手を伸ばした。
オレはその手を握りしめ、目を瞑った。
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