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★1月25日 月曜日★
浩平「真琴」
真琴「…ん?」
浩平「もう時間だ、起きないと」
真琴「うう…ん」
体をもぞもぞさせ、オレの方を向いた。
真琴「はうぅぅ…おはよぅ…」
浩平「おはよう」
むっくりと真琴は体を起こし、あたりを見た。
真琴「あれ、ぴろは?」
浩平「ぴろならあそこにいるよ」
そう言って机の上を指差す。
真琴「え?」
するとぴろは机の上からベッドに飛び乗り、その足で真琴の頭の上に飛び移った。
真琴「あうぅ…」
浩平「さ、下に降りるぞ」
真琴「うん…」
浩平「うー、寒いな…」
オレ達は通学路を歩いていた。
真琴「寒いよね…」
浩平「でももう1月も終わりだ。2月も過ぎれば、じきに暖かくなるよ」
真琴「うん…早く暖かくなるといいね」
浩平「寒いのは苦手か?」
真琴「得意な人はいないと思うわよ」
浩平「それもそうだな。でも、寒い方が肉まんは美味しいぞ」
真琴「あぅ…。でもやっぱり暖かい方がいい」
浩平「早く春が来て欲しいよな」
真琴「うん。春がきて…ずっと春だったらいいのに」
浩平「真琴も春が好きか」
真琴「浩平も?」
浩平「おう」
真琴「そうよね。春が来れば、ずっと春だったら、ずっと元気でいられるのに」
浩平「そうだよな。風邪もひかずに済むもんな」
真琴「それは浩平だけ」
浩平「む」
オレは空を見上げた。
そして、真琴の言葉の通りになることを願わずにはいられなかった。
春が来れば、真琴の不調は無くなる。真琴の運命は変わる。きっと変わる。
だから、これ以上悪いことは起こらず、ただ時だけが過ぎて、春が来て欲しい。
そうすれば、真琴はずっとこの世界に留まれる。
オレも消えずに済むかもしれない。
そう願った。
浩平「なに、もう少しの辛抱だ…」
遠い空に、オレは呟いた。
教室に入ると、既に席についていた北川に声をかけた。
浩平「よう、おはよう」
北川は振り向き、そして…。
北川「…」
怪訝そうな顔をした。
浩平「…」
オレを見る北川の目は「誰だ?」と言っていた。
浩平「北川?」
…ついに、来たか。
考えてみれば、南に忘れられ、住井に忘れられ、そして、長森に忘れられてから、
もう結構な日数が経っている。
むしろ遅かったぐらいだ。
だけどオレは、まだ…。
…忘れられるわけにはいかない。
だからオレは声を張り上げた。
浩平「北川っ!」
教室にいた全ての生徒が驚いてオレ達の方を向く。
北川「う?あ?あぁ、折原か」
浩平「何をぼけっとしてるんだよ、お前」
北川「い、いや、何でだろな。ごめん」
浩平「寝不足なんじゃないのか」
北川「あはは、そうかもな」
そしてオレも席に座った。
昼食時。
真琴は、エビピラフを食べていた。
ぐーの手でスプーンを持って。
でも、もう何も言わない。
オレは北川達とは別のテーブルで食べていたから、オレが何も言わなければ誰も
指摘する者はなかった。
ふと、真琴の顔が微妙に赤いのに気付く。
浩平「真琴、お前、熱があるんじゃないのか」
真琴「熱?ううん、別に」
浩平「どれ、見せてみろ」
そう言ってオレは真琴の額に手を当てる。
少し熱があるようだ。
浩平「やっぱりちょっと熱があるぞ。大丈夫か?」
真琴「大丈夫よ。別に何ともないから」
浩平「そうか…。でも、無茶は絶対するんじゃないぞ」
真琴「うん…」
放課後。
いつも通りに真琴を迎えるために、図書室に向かった。
浩平「…」
しかし、朝に真琴が座っていたはずの席には誰もいなかった。
本だけが山積みになっていた。
浩平(また校内をうろついているんじゃないだろうな…)
仕方がないので、机の上に広げたままになっていた本を読み始めた。
それは、オレが最初にこの図書室で真琴に与えた本だった。
内容なんてとうの昔に頭の中に入っているはずだから、単に読み返していただけ
なんだろうか。
…いや。
良く見れば、読んだ形跡があるのは今オレが見ている本だけで、他の本は積み上
げられたままの状態のまま放置されているように思えた。
やはり、字が読めなくなりつつあるようだ。
浩平(…)
とにかく、オレには待つしかなかった。
………。
……。
…。
1時間経ったが、まだ帰ってこない。
おかしい。
前に一度この校内を歩き回っているから、道に迷っていることは無いはずだ。
嫌な予感がした。
浩平(まさか…)
オレは図書室から飛び出した。
途端、1人の女子生徒とぶつかりそうになる。
女子生徒「きゃっ」
浩平「あ、すみません!」
見ると、美坂だった。
浩平「大丈夫か?」
美坂「え、ええ。それよりどうしたの、そんなに慌てて」
浩平「…真琴が…いなくなった」
美坂「え?」
浩平「とにかく急いでるから、ごめん!」
美坂「待って」
浩平「ん?」
美坂「あたしも探すわ」
オレは少し考えたが、1人で探すよりは2人で探す方がいいと思った。
浩平「分かった、頼む。それじゃ、この図書室前で落ち合おう」
美坂「分かったわ。じゃ、あたしはこっちを」
浩平「ああ」
オレは駆け出した。
途中、見知った背中を見つける。
天野だった。
オレは躊躇したが、ここは1人でも人手が多い方がいいと思い、声をかけた。
浩平「天野っ!」
天野は振り向き、オレを見ると挨拶した。
天野「こんにちは、折原さん。…どうされました?」
オレの表情から尋常な事態でないことを読みとってくれたようだ。
唾を飲み込みながらオレは言った。
浩平「…真琴が、いなくなった」
天野「え?」
それがどういうことを意味しているのか、オレが何故慌てているのか理解してく
れたのだろう、天野はこう言ってくれた。
天野「…分かりました。お手伝いします」
浩平「すまない。それじゃ天野はあっちを。図書室前で落ち合おう」
天野「はい」
そして捜すこと1時間。
オレ達は図書室前に集まっていた。
しかし、誰も真琴を見つけていなかった。
浩平(…)
校内では見つからない。となれば…。
美坂「あとは校外を捜すしかないわね」
美坂が答えを示してくれた。
だけど…。
天野「しかし校外となると、どこを捜せばよいか分かりませんね」
思いあたる場所はある。
あの丘だ。
オレを置いてあそこに行くとは考えにくいが…。
浩平「分かった。あとはオレだけで捜す。すまなかったな」
そう言って校門の方を見ると…。
見慣れた姿がよろよろと現れ、そして校門を背に座り込んだ。
真琴だ。
オレは思わず駆け出した。
浩平「真琴っ!」
オレは座り込んでいた真琴を抱きかかえる。
手に触れた真琴の肌が熱い。
真琴の額に手を当てる。
浩平「…!」
ひどい熱だ。
浩平「おい、一体どうしたんだ」
真琴「ぴろが…ぴろが…」
浩平「ぴろがどうした」
真琴「ぴろがいなくなったの…」
浩平「…分かった。とにかくお前は休め。オレが連れて帰ってやるから」
真琴「うん…」
そしてオレは真琴を背負った。
じきに寝息が聞こえた。安心して寝てしまったようだ。
すると背後から声がした。
美坂「あたしも付き合うわ」
天野「私もご一緒します」
浩平「…分かった。すまない」
家へ向かう途中、オレは美坂に話しかけた。
浩平「そういえば、天野と会うのはこれが初めてかもな」
そしてオレは天野を美坂に紹介した。
浩平「彼女は天野美汐。見てのとおりの1年生だ」
天野は美坂におじぎをする。
美坂も天野に礼を返した。
浩平「そして彼女が…」
美坂を天野に紹介しようとしてオレは言い淀んだ。
天野は美坂の妹を知っていた。
だから、美坂の名前を知れば、美坂が姉であることに気付くかも知れない。
すると、美坂は自分から口を開いた。
美坂「あたしは美坂香里。2年生よ」
また天野は美坂におじぎをした。
浩平(天野、あの話題にだけは触れないでくれ…)
しかしそんなオレの願いも空しく、天野は言った。
天野「もしかして、美坂栞さんのお姉さまですか」
美坂「…」
しばらく美坂は黙っていた。
そして、口を開く。
美坂「そうよ」
天野「そうですか…」
そして天野はそれ以上何も言わなかった。
美坂も何も言わなかった。
あとは家に着くまで、皆沈黙のままだった。
真琴を由紀子さんのベッドに寝かせたあと、オレは真琴の様子を見ていた。
真琴「…」
真琴の額に手を当てる。
相変わらず凄い熱だ。
だけど、寝息は静かだった。
オレは少し安心し、真琴に囁いた。
浩平「ごめんな、ちょっとお客様の相手をしてくるから」
そして真琴の額に口づけて、由紀子さんの部屋を後にした。
浩平「大丈夫だ。今はぐっすり眠ってるよ」
オレは美坂達が待っているリビングに戻ると、二人にこう告げた。
しばらく誰も口を開かなかったが、美坂が静寂を破った。
美坂「折原君」
浩平「なんだ?」
美坂「あの子の病気、本当は何なの」
オレは美坂の質問の意味が分からなかった。
浩平「何なの、って言われてもな。風邪じゃないのか?寒い中、猫を探し回って
たからな。あるいはオレの風邪がうつったのかも知れない」
美坂「…本当にそう思ってるの?」
美坂は信じられない、という顔でオレの顔を見た。
しかしオレには他に思いあたる節がない。
浩平「何か心当たりでもあるのか?」
美坂「…」
天野「折原さん」
浩平「ん?」
天野「あの発熱は、病気によるものではありません」
浩平「…どういうことだ?」
天野「その説明をする前に、美坂さんにあの子のことを話さねばなりません」
浩平「なんだって?」
オレは思わず聞き返していた。
浩平「それはダメだ、美坂にまで話す必要はない」
美坂「どうして?」
浩平「それは…」
美坂「…」
天野「…」
浩平「…あまりにも非現実的すぎる話だ、信じてもらえるはずがない。それに、
美坂まで巻き込むわけにはいかない」
美坂はオレをじっと見ていたが、やがて口を開いた。
美坂「…折原君」
浩平「なんだ」
美坂「以前、同じように非現実的な話をしてくれたのは、どこの誰だったかしら?」
浩平「…」
美坂「それに、あたしと栞の間の問題に飛び込んできたのも、一体どこの誰だっ
たのかしらね」
浩平「…っ」
美坂「あたしは構わないわ。今のあたしなら、どんな事実でも受け止められる」
浩平「…」
天野「折原さん。美坂さんもこうおっしゃっています。私からあの子のことを話
しますので、その間だけでも、あの子のそばに居てあげてください」
浩平「だ、だけど…」
躊躇するオレを見て、天野は一喝するように言った。
天野「こんなところで押し問答している時間も惜しいとは思われないのですか」
言葉そのものは静かだが、明らかな怒気が含まれていた。
浩平「…分かった。それじゃ、美坂に話してやってくれ」
天野「はい。それから、しばらくしてから戻ってきてください。あの子の発熱に
ついてお話ししますので」
オレが再びリビングに戻ったとき、ちょうど天野の話が終わったところのようだっ
た。
美坂「…」
美坂は黙り込んでいた。
無理もない。半ばおとぎ話のようなことを聞かされたのだから。
しかしオレがソファーに腰掛けると、口を開いた。
美坂「折原君。ひとつだけ聞かせて」
浩平「なんだ」
美坂「あの子、あなたのこと、知ってるの?」
浩平「いや、前に言ったとおりだ。教えていない」
美坂「…そう」
それきりまた黙り込んでしまった。
そして次に天野が口を開いた。
天野「それでは、時間もありませんので」
浩平「ああ」
天野「…あの発熱は、力が失われる前の予兆です」
浩平「…」
およそ予想していた答えだが、こうして実際に言葉にされると、改めて絶望がオ
レの心を蝕んでゆくのを感じた。
しかし天野の言葉は続く。
天野「本来なら予兆ではなく、これで全てが終わりの筈でした」
オレの目を見ながら続ける。
天野「あの子のあなたへの想いの強さが、力を長らえさせているのです」
そして目を瞑り顔を伏せた。
天野「二度目を越えることはないと思ってください」
浩平「その時あいつは…消えてしまうんだな」
天野「…はい」
浩平「…そう…か…」
天野「……あの子は妖狐…人に災いをもたらすもの…。だけど…」
天野は顔を振った。
浩平「ああ、分かってるよ。あんなにいいヤツはいない」
天野「はい…本当にいい子たちです…だから…」
天野の肩が震えていた。
浩平「こんなに、辛くて悲しいんだよな…」
天野「…はい…」
オレもしばらく目を伏せていたが、顔を上げ、言った。
浩平「分かった。だったら、オレは残された時間の全てをあいつのために費やす
だけだ」
天野も顔を上げ、目を開く。
天野「はい、是非ともそうしてあげてください。あの子のためにも」
浩平「おう」
そしてオレはポケットから財布を取りだし、2人の前に置いた。
浩平「悪いが、ひとつ頼まれてくれ」
美坂「何を?」
浩平「これで買えるだけの食料を買ってきて欲しいんだ。多分もう…この家から
出ることはないだろうからな」
美坂「…お断りするわ」
浩平「え?」
美坂「どうせ、冷凍食品とかレトルト食品とかインスタントとか、そんな適当な
ものばかりあの子に食べさせるつもりなんでしょ」
浩平「た、確かにそうなんだけど。出来るだけあいつのそばに居てやりたいし」
美坂「それでいい加減なものを食べさせてたんじゃダメじゃないの」
浩平「う…。だけど、だったらどうすればいいんだよ」
美坂「あたしが毎日作ってあげるわ」
浩平「へ?」
美坂「だけど勘違いしないで。あの子のために作ってあげるんだから」
浩平「そ、そりゃもちろんだが…いいのか?クラブとか色々…」
美坂「ちゃんと考えた上で言ってるわ。心配しないで」
浩平「わ、分かった。それならお願いするよ」
天野「私もお手伝いします」
浩平「…いいのか?」
天野「はい。全ては覚悟の上ですから」
浩平「そうか、そうだったよな」
天野「はい」
そしてオレは美坂達が作ってくれた夕食を手早く済ませると、由紀子さんの部屋
に戻った。
真琴の額に手を当ててやる。
浩平(…!)
熱が上がっていた。
オレは大急ぎで浴室に行き、水の入った洗面器とタオルを運んだ。
そして濡れタオルで真琴の額を冷やしてやる。
すると、真琴の目が薄く開き、オレの方を見た。
真琴「こう…へい…」
浩平「おう、オレはここだ、真琴」
そう呼びかけると、安心したのか、また目を閉じた。
このようなことを何度も繰り返した。
そのうち、時間の感覚が無くなってゆく。
空間の感覚もなくなってゆく。
この部屋だけが、この世界に取り残されているような気分になってきた。
それでも良かった。
真琴さえいてくれれば、それだけで良かった。他には何も要らなかった。
ちりん。
見ると、真琴の手がオレに差し伸べられていた。
だからオレは、その熱を帯びた手を握り、自分の頬に押し当てた。
オレはここにいるぞ。
だから、お前もどこにも行くな。
そう、伝えたかった。
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