[前日へ]
[一覧へ]
[翌日へ]


★1月24日 日曜日★
浩平(ん…)
目が覚めた。
カーテンの隙間から光が入ってきている。もう夜は明けているようだ。
目の前にはまだ眠っている真琴の顔がある。
どうやら、昨日抱き合ったままの姿勢で寝ていたらしい。
浩平(お互い、寝相がいいというか何というか…)
苦笑いしながら、ベッドから抜け出すために体を動かそうとした。
しかし、動かない。
浩平(え?)
とりあえず、真琴の体の下にある左腕を抜こうとした。
抜けない。
いや、力が入らない。
浩平(ぐお、し、痺れてやがる…)
どうやら、真琴の体の下敷きになって、血がまともに通わなかったようだ。
仕方がないので、右手を使って何とか抜け出そうとした。
真琴を起こさないようにしないといけないので、意外と神経を使う。
しかし、やっぱり動かない。
真琴の両腕がオレの体を完全に固定してしまっている。
真琴「…うにゃ…浩平…いかないで…よ」
浩平(ぐあっ)
その上、寝ぼけながら締め付ける力をきつくしてきた。
浩平(夢の中でも呼んでくれるのは嬉しいけど、嬉しいけど…)
最後の手段、足を使って何とかしようともがく。
しかし、あろうことか足まで絡めてきた。
浩平(ぐああっ!)
もう、完全に動けなくなってしまった。
おまけに、真琴の腕が首に入っている。
浩平(そ、そんなところ締められたら、い、意識が…と…ぶ…)
そして、世界は闇に包まれた。

浩平「時間は?」
オレ達は大慌てで着替えていた。
真琴「えっと…9時45分をちょっと過ぎたとこ」
浩平「それなら、学校までに約30分かかるとして、家は10時には出ないとい
   けないな」
真琴「えーっ、待ち合わせは11時じゃないのよぅ」
浩平「ばかっ、待ち合わせ時間ぎりぎり行くなんてできるかっ!」
真琴「あぅ…」
浩平「だから朝食は抜き、天野と会ってから食べるしかない」
真琴「浩平がちゃんと時間通り起きてれば…」
浩平「オレは起きた。お前が邪魔したんだろうが」
真琴「真琴知らないわよぅ、そんなの」
浩平「寝惚けてたから覚えてないだけだ」
真琴「あぅぅ…」
浩平「そんなことはいいから、早く着替えないと」
真琴「う、うん…」

玄関から出ようと靴を履いているとき、真琴が妙なことをしているのに気付いた。
浩平「…何やってるんだ?」
真琴は、足の指を立てて床を叩いていた。
真琴「なんか、変な感じ…」
浩平「…」
オレはそれ以上触れないようにした。
浩平「ほら、とっとと靴を履けよ。置いてくぞ」
真琴「あ、うん」

学校の校門に着くと、天野が既に待っていた。
真琴「美汐〜♪」
浩平「よう」
天野「おはようございます」
天野は会釈した。
浩平「まだ10時半にもなってないんだけど」
天野「いえ、つい先ほど来たところですから」
浩平「それならいいんだけど」
真琴「それじゃ、行こ」
天野「はい。それではどちらに向かいますか」
浩平「えっと…いきなりだけど喫茶店でいいかな」
天野「私は構いませんが」
浩平「はは…実はオレ達、朝食まだなんだ」
天野はじっとオレ達を見ていたが、やがてにっこりして言った。
天野「朝食も取れないような事情が何かあったのでしょうが」
オレと真琴は思わず直立不動の姿勢をとってしまった。
天野「せっかくの日曜日ですから、追求はしません」
オレと真琴はほっとした。
天野「では、参りましょう」
浩平「はい、ははは…」
真琴「あうぅ…」

浩平「なぁ真琴…」
真琴「なに?」
浩平「前にもこんなこと無かったっけ?」
真琴「そうだっけ?」
オレは駅前のベンチでへたり込んでいた。
天野「鍛え方が足りないと思います」
浩平「そのセリフも前に誰かに言われたような気がする…」
あれからずっと2人の買い物に付き合わされ、商店街やデパートの中を引きずり
回されたのだった。
浩平「それで結局、2人とも何も買わなかったんだな」
天野「買い物に来たからと言って、必ず何か買わなければいけないというわけで
   はありません」
真琴「そうそう♪」
浩平「そりゃそうだけど…」
天野「もっとも、折原さんが何か買ってくださる、というのであれば話は別です
   が」
真琴「え?何か買ってくれるの?」
浩平「誰がそんなこと言った!」
真琴「何よ、もう、ケチ」
浩平(…)
真琴のふくれっ面があまりにもおかしかったので、オレは思わず言ってしまった。
浩平「分かったよ。好きなもの買ってやる」
真琴「え、ホント?」
浩平「ただし。あまり高いのはやめておいた方が身のためだぞ。お前のおかずが
   毎食たくあんや紅しょうがになってもいいのなら、話は別だけどな」
真琴「う…」
浩平「だけどオレのおかずは豪華絢爛、お前の前でうまそうに食ってやる」
真琴「う…う…」
浩平「ま、適当なところで抑えておけばいいってことだ」
真琴「分かったわよぅ」
天野「それでは、参りましょう」
浩平「あれ、天野は要らないのか?」
天野「私は…ご一緒したところで気に入ったものが有ればお願いします」
浩平「そうか…。それじゃ、疲労も回復したことだし、行くか!」
天野「折原さん」
浩平「ん?」
天野「疲労が回復すると余計に疲れてしまいます。回復するのは体力です」
浩平「そ、そうですね…」

本日二度目の商店街巡りを開始して間もないころ。
真琴「浩平ー、こっちこっち」
真琴がとある店の軒先でオレを呼んでいた。
浩平「おう、何かあったか」
真琴「うん、早く来てよ」
天野「行きましょう」
浩平「おう」
真琴のいる店に行ってみると、それはいわゆる100円ショップであった。
そして真琴の指差しているものは…。
浩平「…これ?」
真琴「うん、これなの」
天野「可愛い髪留めね」
それはゴムの紐に鈴をふたつ通しただけの、質素な髪留めだった。
浩平「ほんとにこんなのでいいのか?」
真琴「うん」
浩平「お前…いくら食費に響くかもって言ったからって、そこまで遠慮すること
   無いぞ。もっといいもの選べよ」
真琴「ううん、これがいいの」
天野「真琴もこう言っていますし」
浩平「うーん…」
そうしているうちに、真琴は手首にその髪留めを巻き付けると、ちりん、と鈴を
鳴らして遊び始めた。
ちりん。
 ちりん…。
浩平(あれ?)
真琴が鈴を鳴らす。
ちりん。
 ちりん…。
音色の違う、別の鈴の音が聞こえる。
浩平(これは…)
…小さい頃に乗っていた、自転車の鍵のキーホルダーに付いてた鈴の音だ。
オレが遊びに出ようと自転車の鍵を持ち出したとき、この鈴の音を聞きつけては、
あいつは2階から駆け下りてきたんだ。
そしてあいつを前かごに乗せて、あちこち走りまわった。歌を歌いながら。
そうだよな、あいつも鈴の音が好きだったんだ…。
天野「折原…さん?」
浩平「あ?ああ、ごめん、昔のことを思い出してたんだ」
真琴には聞こえない、天野にだけ聞こえる声で、オレは言った。
浩平「あいつと最初に出会った、昔のことを」
天野「…」
天野はオレの言わんとしていることを察したらしく、それ以上は聞かなかった。
浩平「それじゃ真琴、お金払ってくるから、それ貸して」
真琴「うん」
オレは真琴から髪留めを受け取ると、レジに向かった。

浩平「それで結局、天野には何も買ってやれなかったな」
オレ達は喫茶店に入っていた。
天野「いえ、こうやって一日遊ぶだけでも楽しかったですから」
浩平「そうか…」
オレには分かっていた。
天野もまた、真琴の思い出づくりに協力してくれていたのだ。
浩平「ま、それはそれとして…」
オレ達の目の前には、巨大なガラス容器に入った、見覚えのある物体が鎮座まし
ましていた。
浩平「誰だ、ジャンボミックスパフェデラックスを注文したヤツは?」
真琴「…はい…」
真琴がおずおずと手を挙げる。
迂闊だった。
真琴の注文内容を聞き逃していたのだ。
真琴「だって…前は2人で無理だったけど、今日は3人だから多分大丈夫だと思っ
   て…」
浩平「この量は4人でも無理だって言ってただろ…」
天野「そうおっしゃらず。私も手伝いますから」
浩平「そりゃ助かるけど…。でも無理はするなよ」
天野「はい、その程度はわきまえておりますので」
浩平「だってよ。真琴、お前も見習え」
真琴「それってどういう意味よ、もう」
そして1時間後。
テーブルには屍が2体突っ伏していた。
オレと、真琴。
しかし天野は平然と紅茶を飲んでいた。
食べる量が少なかったのではない。
オレ達よりも遥かに多く、天野は食べていたはずなのだ。
浩平「天野…お前…小食じゃなかったのか…」
そんなオレの問いかけに天野はしれっと答える。
天野「甘いものは別腹だと言いますので」
それでもパフェの皿の中には半分近くが残っていた。天野の言う「わきまえ」の
結果らしい。
浩平「それじゃ、腹の中が落ち着いたら出ような…」
真琴「うん…」
天野「どうぞ、ごゆっくり」
浩平「うう…」
真琴「あうぅ…」

今日もまた、肉まんを食べながら商店街を歩く。
ただ、いつもと違うのは、メンバーに天野が加わっているということだ。
天野「確かに…美味しいですね」
真琴「でしょ」
浩平「これで天野も肉まん中毒の仲間入り、かな」
天野「…何ですか、それは?」
浩平「真琴によると、こうやって毎日肉まんを食べないと徐々に弱ってゆく中毒、
   らしい。ちなみにオレは何か変な薬でも入ってるんじゃないか、と睨んで
   いるんだけどな」
天野「…どちらもどちらですね」
浩平「本気にされても困るしな」
そしてオレは先を歩く真琴に聞こえないように天野に囁いた。
浩平「…あいつを救う手だては何も無いんだな?」
天野「…はい。私の知る限りでは」
浩平「そうか…」
そしてオレ達は学校の校門に戻り、天野と別れた。

オレ達は学校から家に戻る道を歩いていた。
しかし、オレの頭の中にはあることが渦巻いていた。
天野は、真琴を救う手だては知らないと言った。
天野が知らないのなら、オレも知らないし、オレに見つけられるはずもないだろ
う。
だけど…。
浩平「真琴」
真琴「ん?」
浩平「ちょっと寄り道する」
真琴「どこへ?」
浩平「あの丘」
真琴「え?え?」

オレは真琴を連れてあの丘へ向かっていた。
真琴はその間、何も聞かなかった。
オレの表情から何かを読みとったのかも知れない。
それほどオレの顔は鬼気迫った表情をしていたのだろうか。
真琴にそんな表情を見せたくはなかった。
しかし、オレは諦めきれなかった。
あの丘に行けば、何かがある。真琴を救える何かがある。
そんな曖昧な願いにオレはすがりつこうとしていた。
途中、真琴が何度も足を滑らせ転びかけたが、オレは何とか真琴を支え、転ばせ
ないようにした。
真琴「…」
そんな時も、真琴は何も言わなかった。

木々の間を抜け、ようやく丘に出た。
茂みをかき分け、あの空き地へと向かう。
そしてそこに真琴を座らせ、オレは探し回った。
何を見つければいいか分からない。見当も付かない。
オレと真琴が出会った場所だから、何かあるに違いない。
そのような短絡的な思考が、オレを動かしていた。
手は枝や葉で傷つき、靴には水が染み冷たさが足に突き刺さっていた。
それでもオレは探すことをやめなかった。
だけど……何も見つけることは出来なかった。
ただ、絶望だけがそこにあった。
真琴「…」
そんなオレを見て、真琴は立ちつくしていた。
薄暗いせいもあって、表情は見えない。
もしかしたら、真琴に似た他のものかも知れない。
こんな馬鹿げた考えが思い浮かぶほど、オレの精神は疲弊していた。
しかし、この考えは真琴の言葉で破られる。
真琴「浩平…」
今日この丘に来て、初めての真琴の言葉だ。
オレに真琴の表情が見えないのなら、真琴にもオレの表情は見えないだろう。
そう願って、オレは平静を装った口調で真琴に呼びかけた。
浩平「ごめん、待たせたな。帰ろうか」
真琴「うん…」

家に帰ると、寒いところから帰ったということもあり、今日は夕食より風呂を優
先した。
そして今日もまた、2人一緒に入った。
しかし、昨日のようなおふざけが出来るような雰囲気ではなく、ただ静かに、2
人一緒に湯に浸かっていた。
浩平「あつつ…」
湯が手の傷にしみる。
真琴「大丈夫?」
浩平「大したこと無いよ。ちょっとしみるだけだから。消毒代わりにちょうどい
   い」
真琴「でも…」
浩平「心配しなくていいって。大丈夫だから」
真琴「そう…」
その後、真琴の体を洗っている間も傷はしみたが、真琴が心配するので声には出
さなかった。

オレが手に怪我をしているからと、真琴は夕食の支度や片づけの手伝いを申し出
たが、オレは頑として断った。
その交換条件として、買い置きしておいた冷凍食品やレトルト食品で夕食は簡単
に済ませた。
浩平「たまにはこういうのもいいだろ」
真琴「うん」

そして寝る時間が来たので、いつものようにオレのベッドに一緒に潜り込んだ。
真琴の体温で温かくなった布団の中で、真琴の寝顔を眺めながら、オレは考えて
いた。
何も見つけられなかった。もう、真琴を救う手段は何もない。
それならせめて、心残りが無いようにしよう。
真琴にも、オレにも。
浩平「真琴、起きてるか」
真琴「うん…」
浩平「あのな…」
真琴「ん?」
浩平「…」
真琴「どしたの?」
浩平「…」
真琴「…?」
浩平「………愛してるよ」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「…どうした?」
真琴「い、いや、ちょっとびっくりしちゃった」
浩平「それは心外だ」
真琴「だって、何の前振りも無しにそんなこと言うから…」
浩平「確かに驚かせようという気持ちも無かったわけでもないけどな」
真琴「だったら、やっぱりそういうつもりだったんじゃないのよぅ」
浩平「でも、どちらかといえば、こういうことっていつもお前に先手取られてばっ
   かりだっただろ。だからたまには、って思ってな」
真琴「…」
浩平「それに、まともにお前にこういうこと言ってなかったな、とも思って」
真琴「そだっけ?」
浩平「だって、最初に『好きだ』って言ったときは勢いに任せたようなものだっ
   たし、あれっきりこんなこと言ってないしな」
真琴「うーん、言われてみればそうかも」
浩平「そう言うお前だって似たようなものだろ」
真琴「そうね」
浩平「それじゃ」
真琴「え?」
浩平「え、じゃなくて真琴の番」
真琴「何が?」
浩平「オレが言ったんだから、今度は真琴の番だよ」
真琴「えーっ!真琴も言うの?」
浩平「そんなにイヤかよぅ…分かったよ…拗ねてやる…」
真琴「うー、イヤってわけじゃないけど…」
浩平「だったら問題ないじゃないか、ほら」
真琴「あうーっ…」
浩平「今更恥ずかしがる仲でもないだろ。もう色々してるんだし」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「……愛してる」
浩平「…」
真琴「…これでいい?」
浩平「おうっ、十分だ」
真琴「はーっ、寝る前になんでこんなドキドキしなきゃいけないのよぅ」
浩平「それじゃ、次だ」
真琴「えっ、まだあるの?」
浩平「そうだ。次はキスだ」
真琴「えーっ!何でよぅ」
浩平「何でとはひどいな。これまで散々人の寝込み襲って唇奪っておきながら、
   何て言いぐさだ」
真琴「あぅぅ…」
浩平「それじゃ」
真琴「きゃっ!………急に体引っ張らないでよ」
浩平「それじゃオレがそっちに行く」
真琴「うう…」
浩平「よし、これで頭突きの射程距離だ」
真琴「え?頭突き?キスじゃないの?」
浩平「ほう?キスして欲しいのか、そうかそうか」
真琴「あうーっ、引っかけるなんてずるい…」
浩平「んー?誰かさんの真似しただけなんだけどな」
真琴「あぅ…」
浩平「それじゃ、そろそろいいか?」
真琴「あうっ、ちょっと待って…」
浩平「分かった」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「ねぇ浩平…」
浩平「ん?」
真琴「何でここでキスしなきゃいけないわけ?」
浩平「ん?オレがしたいからだが、それが何か?」
真琴「何よそれ…」
浩平「真琴はイヤなのか?」
真琴「イヤじゃないけど…」
浩平「それならいいだろ。それに、話を逸らそうとしてもそうはいかないからな」
真琴「あうぅ…」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「……いいわよ」
浩平「ん?そうか、それじゃ…」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「…ん」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「…?」
浩平「…♪」
真琴「…んー!んー!」
浩平「…♪」
真琴「…ん…」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「…んー」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「…」
真琴「…あうっー!いきなり舌入れないでよぅ!」
浩平「だって、予告したら面白くないだろ」
真琴「あうぅ…口の周りべとべと…」
浩平「それはオレも同じだ。ほら、これで拭いて」
真琴「うん…」
浩平「だけどお前、いつも良く先手取るくせに、先手取られると弱いな」
真琴「あう…」
浩平「これはいいこと知った、って感じだな」
真琴「あうぅ…浩平の意地悪…」
浩平「今ごろ知ったか。オレは意地悪なんだよ」
真琴「あぅぅ…」
浩平「なんてな。冗談だって。ほら、もう寝よう。明日は月曜日だし」
真琴「うん…」
それでもしばらくは心臓がどきどきして眠れなかったが、そのうち寝入ってしまっ
た。

[前日へ]
[一覧へ]
[翌日へ]