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★1月19日 火曜日★
声「浩平、朝だよ、起きてよ」
体が揺れる。
声「ねぇ、起きてってば」
浩平「うう…。もう少し寝かせてくれ…」
声「ダメだよぅ。起きないと遅刻しちゃうわよ」
浩平「うぅ…キスでもしてくれたら起きないことはないかもしれない…」
やれるものならやってみろ、と思いながらそう言った。
声「…………分かったわよぅ…。じっとしててよね」
浩平(よしよし、これでゆっくり眠れる…)
ちょん。
唇に何かが当たった。
浩平(…………)
柔らかくて温かな感触。これは…。
浩平「どわーーーーーーっ!」
真琴「あ、浩平、起きた?」
浩平「いいい今何をした、何をしたんだ?」
真琴「何をした、って、してくれって言ったの浩平じゃないの。効果覿面だった
   みたいだね」
そう言って真琴は俯いた。自分の唇に指を添えながら。
真琴「ちょっと恥ずかしかったけど…」
浩平「…」
オレは呆然としていた。
真琴「ほら、何してるのよ。早く取ってよ」
真琴はいつの間にかオレの鞄と制服を持って立っていた。
浩平「あ、あぁ…」
オレは真琴から荷物を受け取ったが、やはり呆然としていた。
真琴「いつまでぼーっとしてるのよ。早くしないとダメじゃないの」
浩平「あ、あぁ」
真琴に急かされるままベッドから立ち上がり、階段を降りる。
だけど、歯を磨いている間も、顔を洗っている間も、食事している間も、トイレ
に入っている間も、着替えている間も、ずっと頭の中はさっきの出来事、という
か感触で一杯だった。
そして玄関のドアを開け、外に出たとき、
浩平「うわっ!」
寒さで我に返った。
真琴「どうしたの?」
浩平「い、いや、今日は寒いなぁ、って」
真琴「寒いのはいつものことじゃないのよ」
浩平「そ、そうだっけ」
真琴「どしたの浩平?なんだか、さっきから変だよ?」
オレを変にした当の本人はそのことに気付いていないようで、そして全くの自然
体だった。
真琴「…ねぇ浩平?」
真琴が目を伏せながら言った。
浩平「な、なんだ?」
真琴「ドキドキした?」
浩平「へ?」
オレは真琴の質問の意味が分からず、少しの間きょとんとしてしまう。
しかしやがて意味を理解すると、思わず大声を出してしまった。
浩平「ドキドキどころか心臓が喉から飛び出るかと思ったぞ!」
真琴「ふーん、そうなんだ」
しまった。これでは真琴に格好の付け入る隙を与えたようなものだ。
真琴「それじゃ、これからはあの起こし方しようかな〜」
浩平「やめてくれ…心臓に悪すぎる…」
真琴「ふーん」
気がつくと、真琴はオレの顔を覗き込んでいた。何だかニヤニヤしている。
浩平「な、何だよ」
真琴「顔、すごく真っ赤」
浩平「だぁーーーーーーーーーーーーっ!」
真琴「きゃはは♪」
…当分このネタでからかわれそうだ。

校門に着いたとき、時間はまだチャイムの15分前だった。
浩平「えらく早く着いてしまった…」
真琴「いいんじゃない、たまには」
浩平「それもそうか…」
真琴「やっぱり起こし方が良かったんだね」
浩平「だぁぁっ!まだ言うか!」
真琴「あははっ」

真琴を図書室の中に送り込みドアに背を向けたとき、ふと、見知らぬ女子生徒と
目があった。
そしてその女子生徒はオレに話しかけてきた。
女子生徒「今の女の子、あなたのお知り合いでしょうか?」
制服を見ると、下級生のようだった。
浩平「ん?あぁ、知り合いって言うか…」
ふと、今朝の出来事を思い出してしまう。
唇に甦るあの感触…。
女子生徒「どうなさいました?何やらお顔が真っ赤なようですが…」
浩平「い、いや、何でもない、何でもないよ、うん」
女子生徒「?」
浩平「そ、そうだな、あいつは知り合いというか、同居人というか…」
オレは慌てて説明する。
女子生徒「…同居なさっているんですか?」
う、墓穴を掘ってしまった…。
浩平「いや、その、えと、何というか、その、まぁ、なに、えと…」
女子生徒「…とにかく、落ち着かれた方がよろしいかと思います」
浩平「そ、そうですね…」
オレは落ち着くために深呼吸した。
女子生徒もそんなオレを待っているようだった。
息が整ってから、女子生徒に尋ねた。
浩平「で、何の話だったっけ?」
女子生徒「あの女の子の事です」
浩平「あ、あぁ、あいつは…諸般の事情でうちに転がり込んでる居候だな」
女子生徒「居候…ですか?この学校の制服を着ていたようですが」
浩平「ああ、あれは借り物だよ。話せば長くなるんだけどな」
女子生徒「そうですか…」
…あ。こんなこと話したら真琴が部外者だとばれてしまうじゃないか。
浩平「ごめん。この話は秘密にしてくれないか」
女子生徒「構いません。私は口は堅い方ですから」
浩平「そうか、助かるよ」
女子生徒「…いい子そうですね」
浩平「あいつか?そうだな、いい子だよ。ちょっと不器用というか、素直じゃな
   いところがあるけどな」
しかしこう答えながら、オレはこの女子生徒をじっと見つめていた。
誰かに似ている。誰だったろうか…。
女子生徒「…私が、何か?」
浩平「あ、いや、何となく知ってるヤツに似てると思ってな」
女子生徒「…どのような方ですか?」
浩平「そうだな…」
オレは思いつくままに話した。
浩平「んー何というか、雨の中、空き地でずっと佇んでるようなヤツで…昔に大
   切な何かを無くしたような、そんな…」
あ、思い出した。里村だ。
女子生徒「…」
ふと、女子生徒がオレの顔をじっと見ているのに気がついて、オレは慌てた。
浩平「あ、ただ何となく似てるな、って思っただけだから。今のもそいつの事を
   言ってただけで、キミのことを言ってたわけじゃないから。…気を悪くし
   たのならごめん、悪かった」
女子生徒「いえ、構いません」
浩平「そうか…」
ここまで言って時計を見てみる。
浩平「げ、あとちょっとで始業のチャイムじゃないか!」
女子生徒「そうですね」
浩平「キミは大丈夫なのか?」
女子生徒「ええ、大丈夫です」
浩平「それならいいけど…。それじゃ、これで!」
女子生徒「はい」
オレは大急ぎで教室に向かった。
そして教室に向かう途中、互いに自己紹介もしてなかったことに気付いた。
…まあいい。この学校にいる限り、また会うこともあるだろう。

教室に入ると、北川がもう来ていた。
北川「よお」
浩平「ああ」
いつも通りの挨拶を交わす。
北川「そういえばお前、知ってるか?」
浩平「何が?」
北川「転校してきたばかりだから、知らないだろうなぁ」
浩平「だから何なんだよ」
勿体ぶっている北川の態度にオレはちょっと苛ついた。
北川「今日、授業は午前中だけだぞ」
浩平「…へ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。
北川「明日の行事の準備でな、今日は午後は休みなんだよ」
浩平「オレ、体操着持ってきてしまったぞ」
北川「それはご愁傷様だな。ま、置いとけばいいじゃないか、そんなの」
浩平「それはそうだけど…何だか損した気がするのは気のせいか?…はぁ…」
オレは肩を落として席に着いた。

浩平「というわけで」
午前中の授業が終わった後、オレは図書室で真琴に話していた。
浩平「今日は午後からフリー、というわけだ」
真琴「…」
真琴はむすっとしている。
浩平「どうした?」
真琴「読みかけの本あったのに…」
浩平「そんなの明日でも読めるだろ。いつの間にそんな本の虫になったんだよ…」
真琴「だって、図書室にいる間、他にすること無くて本ばっかり読んでたから」
浩平「分かった分かった。でも今日はせっかく午後から休みなんだから。遊ぶ時
   は遊ぶ。これが健康の秘訣だ」
真琴「あたし、十分健康だけど」
浩平「いや、健康であり続けるにはたゆまぬ努力が必要なのだ!」
オレは力一杯力説した。
真琴「はう…。分かったわよ。それじゃ、これからデートね」
浩平「そうそうデート、っておい!」
真琴「え?男の子と女の子が遊びに行くならデートじゃないの?」
浩平「そりゃ確かにそういうこともあるかも知れないけど…」
真琴「じゃ、デートね」
浩平「はぁ…。別にいいけどな」

浩平「しかしデートと言っても…」
オレは真琴と商店街を歩きながら呟いていた。
浩平「オレと真琴が知ってるのって、学校と家を除けばこの商店街ぐらいだから
   なぁ」
真琴「他にもあるわよ」
浩平「どこ?」
真琴「あの丘」
浩平「ん?ああ、あの丘か…」
オレは眠る真琴を連れ帰ったあの丘の光景を思い出していた。
浩平「だけどあそこはデート向きじゃないだろ。春とかだったらピクニックには
   もってこいなんだろうけどな」
真琴「でもまだ冬なのよね」
浩平「ああ…寒いよな…」
真琴「うん…寒いよね…」
浩平「…」
真琴「…」
浩平「でも、冬ならではの楽しさもあるぞ」
真琴「なに?」
浩平「ほれ」
オレはとある店を指差した。
いつもの店だ。
真琴「あ、肉まん♪」
浩平「おう」

浩平「しっかし、食べても食べても食べ飽きないな、コレ」
真琴「だって美味しいんだもの」
真琴はさも当然とばかりに答えながら、頭の上のぴろに肉まんをちぎって
食べさせていた。
浩平「美味しいのは認めるけど、ここまで食べ飽きないと、何かやばい薬でも入っ
   てるんじゃないか、っていう気になるな」
真琴「えー、そんなことあるはずないわよ」
浩平「例えばの話だ、例えばの」
真琴「そう言ってる浩平だって、この肉まん好きなんでしょ」
浩平「ま、そうなんだけどね」
真琴「じゃ、浩平も肉まん中毒なんだね」
浩平「なんだよ、それ」
遠くを見ているような目で真琴は静かに言った。
真琴「肉まんを毎日食べないと徐々に弱っていく、それはそれは恐ろしい中毒な
   のよ…」
浩平「それはお前だけだ。オレは別に何ともないからな」
真琴「あうーっ、ひどいわね」
浩平「…ところで真琴」
真琴「なに?」
浩平「オレ達って昼食食ったっけ?」
真琴「ううん、食べてないわよ」
浩平「ということは…」
真琴「この肉まんがお昼ご飯、ってことよね」
浩平「ちなみに、何個食った?」
真琴「真琴が1つ、浩平が2つ」
浩平「袋の中は?」
真琴「…1つ」
浩平「足りる?」
真琴「全然」
浩平「仕方ない、引き返すか」
真琴「…そだね」

浩平「…結局、今日の夕食も中華か…」
オレは中華惣菜の入った袋を手に提げてとぼとぼ歩いていた。
真琴「肉まんだけにしておけばいいのに、また餃子と焼売、何個も買うから…」
浩平「いや違う、今日は酢豚と青椒肉絲も買ったぞ」
真琴「でも中華じゃないの」
浩平「仰せの通りです…」
真琴「今日は冷めたからって泣かないのよ」
浩平「あれは悲しくて泣いてたんじゃないやい、悔しかったんだい」
真琴「同じようなものじゃない」
浩平「全くもってその通りです…」

突然真琴が足を止めた。
真琴「ねねね浩平、あれってさ…」
浩平「ん?」
真琴が指差した方を見ると、相沢と女の子が並んで歩いていた。
女の子は、以前相沢が学校の中庭で会っていた子だ。
浩平「あいつら…こんなところで何やってるんだ?」
真琴「デートじゃないの?」
浩平「デート?…うーん」
真琴「でも大丈夫かな、こんな目立つところでデートしてて。前、逢い引きして
   たんだよね」
前にでっち上げた嘘をそのまま信じているようだった。
真琴「それとも隠す必要が無くなったとか」
浩平「それはどうだろうな」
真琴「なんで?」
浩平「だって相沢、あの女の子と付き合ってるって、全然教えてくれないじゃな
   いか」
真琴「恥ずかしがってるんじゃない?」
浩平「相沢がか?あいつはそういうタマじゃないだろ」
真琴「そうかなぁ…」
浩平「だから何か事情があるんだろ。秘密にしてあげた方がいいと思う。相沢に
   も、オレ達がここで見たってことは言わない方がいいだろう」
真琴「どうして?」
浩平「オレ達が原因であいつらの仲がこじれるようなことになったら、嬉しいか?」
真琴「…嬉しくない」
浩平「だろ?だったら、な」
真琴「…仕方ないわねぇ」
何とか納得してくれたようだ。
真琴「…ところでさ浩平」
浩平「なんだ?」
真琴「真琴達はこんなに堂々と一緒に歩いてて大丈夫かな?」
浩平「何が?」
真琴「何が、って鈍いわねぇ…」
浩平「…同居してることはバレてる。一緒に登下校してることも知られてる。こ
   れ以上、知られて困るようなことって有るか?」
すると真琴は赤くなって俯いてしまった。
真琴「……今朝…」
浩平「今朝?」
オレは立ち止まって、今朝何があったかと頭を捻り…。
浩平「…あ」
同じように赤面した。
浩平「あ、あれはお前が無理矢理やったから不可抗力で…!」
真琴「だって浩平がしろって言ったから…!」
気がつくと、オレ達は道のど真ん中で言い争う形になっていた。
誰がどう見たって痴話喧嘩にしか見えない。
むしろ、具体的に何をしたか言っていないから、いかがわしい話をしているよう
に聞こえなくもない。
やはりというか、オレ達の横を、女子学生の二人連れがくすくす笑いながら通り
過ぎていった。
浩平「…とにかく。今朝のことはあいつらには秘密な」
真琴「そうね…」
その後は二人とも黙り込み、気まずい雰囲気のまま、家に帰った。

そしてその後、夕食の間も、夕食の後の時間も、気まずい雰囲気が流れたままだっ
た。

風呂に入った後、部屋に戻ると、ベッドの上に見慣れないものが乗っていた。
浩平「?」
自分の部屋で危険な目に遭うことはないだろうとは思いつつも、それでも念のた
めに警戒しながら近寄って見てみると…。
それはもぞもぞと動き「にゃ」と鳴いた。
ぴろだった。
浩平「お前…何やってるんだよ、こんなところで」
ぴろはあくびをし、そのまま丸くなった。
浩平「こら、こんなところで寝るなって」
オレはぴろが寝入ってしまう前に持ち上げて、ベッドの下に置いた。
しかし、とん、とベッドの上に飛び乗ってしまった。
オレはもう一度ぴろを持ち上げ、
浩平「ほら、真琴の部屋に行けよ」
ぴろを部屋のドアから追い出そうとした。
しかし、ぴろはオレの手をすり抜け、ベッドの上に戻ってしまう。
浩平「…ったく」
どうやらぴろは何が何でもオレのベッドの上で寝るつもりらしい。
いっそのこと完全に追い出して、ドアを閉めきってしまおうかとも考えたが、そ
こまでするのはいくら何でも大人げないと思ってやめた。
浩平「分かったよ。その代わりオレも寝させてくれよな」
オレはぴろを抱きかかえ、部屋の電気を消し、布団に入った。
浩平「…やっぱりお前と一緒だと温かいな…」
そう思いながら、うつら、うつらと…。

とんとん。
真琴「浩平、起きてる?」
ドアの方から声が聞こえる。
浩平「んあ?」
とんとん。
真琴「ねぇ浩平、起きてる?」
浩平「起きてる、っていうか、今、起こされた」
真琴「あ、ごめん…」
浩平「いや、いいって。それよりどうしたんだ?」
オレはベッドから起き、部屋の電気をつけた。
真琴「入るね」
浩平「ああ、いいよ」
かちゃり、とドアを開けて真琴が入ってきた。
真琴「ねぇ、ぴろ見なかった?」
浩平「ぴろか?あいつなら、ほれ、ここだ」
そう言ってベッドの毛布の上で丸くなっているぴろを指差した。
浩平「オレのベッドの占有権を主張しているところだな」
真琴「ああ、こんなところにいたの」
真琴は連れて帰ろうとぴろに近寄った。
浩平「やめとけ。今日はどうもここがお気に入りらしい」
真琴「どうして?」
浩平「何度か追い出そうとしたが、結果は見ての通りだ」
ぴろはやっぱり丸くなっていた。平和なヤツだ。
浩平「今日は諦めて、ひとりで寝てろ」
真琴「あうぅ…。それなら、真琴も一緒に寝る」
浩平「そうか、仕方のないヤツ……えぇえ!」
オレは目を白黒させながら真琴に聞いた。
浩平「い、今、何て言った?」
真琴「ぴろがここで寝るなら、真琴も一緒に寝る」
浩平「一緒に、って、一緒のベッドでか?」
真琴「うん」
浩平「そんなこと出来るかっ!はぁ…それじゃ、オレはコタツで寝る」
そう言ってベッドから立ち上がり、コタツに潜り込む。
ぴろ「にゃっ」
ぴろはベッドから飛び降り、オレの横に座ってコタツに入れてくれとせがんだ。
浩平「…」
真琴「ぴろは浩平と一緒に寝たいみたいね」
浩平「そんなはず無いって。ベッドよりコタツがいいだけなんだろ。…仕方がな
   い、リビングででも寝てくるよ」
オレはそう言ってコタツから出て、毛布を掴み、部屋を出ようとした。
ぴろ「うにゃ」
ぴろがついてきた。
浩平「……」
真琴「やっぱり浩平と一緒に寝たいみたいね」
オレはやれやれとベッドに腰を下ろす。
浩平「…ひとつ聞くけど、ぴろがオレと一緒に寝たら…」
真琴「真琴も一緒に寝るわよ」
真琴は即答した。
オレはその言葉に面食らった。
浩平「一緒に寝るわよ、じゃないって!どういうつもりだお前!」
真琴「だって、ぴろと一緒に寝たいんだもの」
さも当たり前のように答える。
オレは頭がぐらぐらしてきた。
そのうち、唇に今朝の感覚が甦ってきた。
浩平「…お前…今朝何をしたか忘れた訳じゃないだろうな」
真琴「今朝?覚えてるけど」
浩平「あんな事した上で、それでも一緒に寝るって言うのか」
真琴「そうよ」
浩平「…」
オレは頭を抱えた。こいつにはそういった感覚が欠落しているのか?オレひとり
が馬鹿みたいに神経質になっているだけなのか?
そのくせオレが、
浩平「襲うぞ」
と言っても、
真琴「そのつもりならいつだって襲えたでしょ」
と答える。まるっきり欠落しているわけでもないようだ。
だからオレは
浩平「だったら今回は本当に襲う」
とか言ってみる。どうせ「やめてよ」などと言うに違いないと…。
真琴「………いいわよ」
そう、「やめてよ」って…。
……え?
浩平「…今、なんて言った?」
真琴「だから、いいわよ、って」
喉が涸れてきた。唾を飲み込み言葉を絞り出す。
浩平「…お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか」
真琴「それくらい分かってるわよぅ」
浩平「相手はオレだぞ!お前が憎んでいたヤツなんだぞ!」
真琴「だって好きになっちゃったんだもの」
ぐあ、直球…。
浩平「だからって、好きだからいいってもんじゃないだろ!もっと自分を大切に
   しろよ!」
真琴「してるわよ。その上で、いい、って言ってるの。浩平だからいいって言っ
   てるのよ」
浩平「…」
オレは真琴の瞳を見つめる。
目尻が濡れていた。

真琴と深く心を通わせてはいけない。
情を交わしてはいけない。
それは、いずれ訪れる別れの時、真琴の悲しみを深くしないために。
そう心に決めていたはずだ。
だけど…。

オレは真琴の前に立ち、瞳を見つめながら顎に手を添える。
その瞬間、真琴は体をぴくん、と震わせたが、オレが何をしようとしているのか
悟ったのだろう、体の緊張を解き、目を閉じた。
オレも目を閉じ、そっと唇を重ねる。
時間にするならばほんの10秒程度。
しかし触れ合った部分を通じて行き来する想いが、それより遙かに長い時間のよ
うに感じさせてくれた。
そして唇を離すとオレはニヤリと笑った。
浩平「今朝のお返しだ」
そんなオレの言葉に対して真琴が何か言いかけたので、遮るようにその小さな体
を抱き締めた。
真琴もオレの背中に手を回した。
浩平「先越されてカッコ悪いけど、好きだよ、オレも」
真琴「…うん」
浩平「でもごめんな。お前の気持ちを踏みにじるようなことばかり言って。お前
   のためだ、って思ってたけど、単に自己満足を押しつけてただけだった。
   それでお前を悲しませてたんじゃダメだよな」
真琴「ううん、いいの。浩平が真琴のこと、とても大切に思ってくれてるのが良
   く分かったから」
浩平「そうか。そう言ってくれると助かるよ。でも、さっきのあれはほんの冗談
   なんだ。本気じゃなかった」
真琴「…なーんだ」
この言葉を真琴は安心して言ったのか、それとも残念に思って言ったのかは分か
らなかった。
浩平「それに」
オレは真琴から体を離し、ベッドに座った。
そして横にちょこんと座っていたぴろに手を乗せた。
ぴろ「うにゃ」
浩平「こいつが見守っているところでなんか、恥ずかしくて出来ないって」
オレがこう言うと、真琴は微笑んでいった。
真琴「それもそうよね」
オレはベッドに潜り込むと、掛け布団を上げて言った。
浩平「ほら、来いよ」
真琴「うん」
そう言って真琴はオレの隣に潜り込んだ。
浩平「そしてぴろは、っと?」
いつの間にかぴろはオレ達の間に潜り込んでいた。
浩平「はは、特等席にまんまと収まりやがって…」
ぴろを撫でてやる。ぴろは喉を鳴らしながらオレの手に頭を擦り付けた。
オレ達は向かい合うように横になっていた。
オレは窓側に、真琴は内側に。
浩平「狭いベッドだから、転げ落ちるんじゃないぞ」
真琴「分かってるわよぅ。浩平こそ、背中丸出しで寝て風邪引かないようにね」
浩平「それはこっちのセリフだ」

浩平「…なぁ真琴」
真琴「なに?」
浩平「手、繋いでいいか」
真琴「え?うん、いいわよ」
ふたり、ゆっくりと手を近づけ、指に触れる。
そして指を絡ませ、互いに握りあう。
途端、真琴の体温が指を伝って流れ込んできた。
浩平「…ありがとう」
真琴「なによ、手を繋いだくらいで礼なんて言わないでよ」
浩平「いや、是非とも言いたかったんだ」
真琴「…変なの」
この温もりがある限り、オレはこの世界に留まっていられる。そんな気がする。
だからオレは真琴に礼を言わずにはいられなかった。
この世界に繋ぎ止めてくれてありがとう。

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