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★1月16日 土曜日★
ゆっさ、ゆっさ。
声「起きて、起きてよ」
浩平「う〜」
体が揺れている。
声「時間よぉ、起きなさいよぅ」
浩平「あう?あ、あぁ…」
オレは目を開いた。
真琴がベッドのそばに立っていた。手にはオレの鞄と制服。
真琴「はい、これ」
浩平「あ、あふぁ〜〜〜あぁぁぁ…」
オレは大きなあくびをした。
真琴「返事をするのかあくびをするのかどっちかにしてよ」
浩平「仕方ないだろ、起き抜けなんだから…ふぁぁぁ…」
真琴「とにかく、早く取って」
浩平「へいへい…ふぁぁああ…」
浩平「なぁ真琴」
オレは朝食のパンを食べながら言った。
真琴「ん?」
浩平「唐突で悪いけど、今日の放課後、ちょっと用事があるんだ。だから迎えに
行くのは遅くなるよ」
真琴「…ねぇ、もしかして」
浩平「違う」
真琴「まだ何も言ってない…」
浩平「お前の考えそうなことは分かるって」
真琴「あう…」
浩平「あまり楽しい事じゃないから安心しろ」
真琴「何よそれ」
浩平「言葉通りだ」
真琴「分かんないわよぅ」
2時間目と3時間目の間の休み時間に、オレは美坂に話しかけた。
浩平「美坂」
美坂「何?」
浩平「今日、放課後暇か?」
美坂「そうね、暇だわ」
浩平「ちょっと付き合ってくれないか。話がある」
美坂「もしかして告白?…のはずは無いわね。真琴がいるし」
浩平「……ごめん、軽口に付き合えるような気分じゃないんだ」
美坂はオレの目を見ていたが、やがて目を伏せた。
美坂「…そう」
浩平「場所は…そうだな、中庭でいいか?」
美坂「……中庭はやめて」
やはり中庭は避けるのか。
浩平「そうか、それじゃ屋上はどうだ」
美坂「…人間のいるべき所じゃないわね」
浩平「そうか…。そうなると、他に適当な場所は…」
転校間もないオレに、他に人気の少ない場所など思いつくはずはなかった。
美坂「それじゃ、体育館裏はどう?」
浩平「あ、ああ」
だから、美坂の言う場所で賛成するしかなかった。
放課後、体育館裏にて。
美坂「話ってなに?」
オレの姿を見るなり、美坂は切り出した。
美坂としては早く切り上げてしまいたいのだろう。
それはこのような季節に屋外に長く居たくはない、という気持ちも少なくは無い
のだろうが、それよりも今オレが話そうとしていることを予感しているためなの
かも知れなかった。
浩平「…そうだな…」
しかしオレは迷っていた。
話すべき事は決まっている。だが、どのように話すべきかを決めかねていたのだ。
美坂「……用がないのなら帰るわよ」
えい、ままよ。
オレは思いつくままに話し始めた。
オレが最初に話したのは、妹のみさおのことだった。
みさおの事は、長森にもあまり話した覚えがない。
しかしオレが本当に美坂に伝えたいことを伝える為には、みさおの話は必要不可
欠だと考えたのだ。
オレは話し続けた。
みさおと一緒に過ごした、永遠に続くと思っていた楽しい日々のこと。
そしてみさおの死のこと。
楽しい日々が終わりを告げ、永遠などないことを悟った時のこと。
浩平「だから、永遠のないこの世界を否定し、みさおを感じ続けるために、いつ
も泣いていた」
美坂「…」
浩平「…ここまでは、妹を亡くし悲しみに暮れる兄の話だ。多分、それなりに良
くある話なんだろうな」
美坂「…そうね」
浩平「ところが、この話には続きがある。泣き続けるオレの前に、一人の少女が
現れた」
美坂「…」
浩平「その少女は、オレに永遠があることを教えてくれた。そしてその永遠の中
で、一緒に居続けてくれると約束してくれたんだ。しかし幼い頃の約束だ。
そんな大した意味のあるものじゃないはずだった」
美坂「…」
浩平「しかしその約束…いや盟約は、いつの頃からかオレの中で力を持ち始めた。
永遠の世界を作り上げ、オレをそこに連れ去るほどになった」
美坂「…連れ去る?」
浩平「そう、文字通り、連れ去る。そしてつまりそれは、オレの存在がこの世界
から消え失せることでもあるんだ」
美坂「…馬鹿馬鹿しい。そんなことあり得ないわ」
浩平「そうだよな。普通に考えればこんな事はあり得ない話だ」
オレは美坂の意見に頷き、続けた。
浩平「しかしつい先日、オレは前の学校のクラスメイトに忘れられた。幼なじみ
にも忘れられてしまった。長年付き合ってきた幼なじみにだよ」
美坂「…」
浩平「そして近いうちに美坂達にも忘れられるだろう。お前達と出会って間もな
いから、付き合いも浅いからな。いまだに忘れられていないのがむしろ不
思議だ」
美坂「…仮にその話が、忘れられてゆくっていう話が本当だとしても、あなたが
消え失せるとは限らないじゃないの?」
浩平「確かにそうだな。忘れられたのは事実だが、消え失せるというのは、オレ
がそう感じているだけだからな。ただし、そうなるだろうという確信はあ
る。オレの中で、オレの存在感が徐々に薄れていく感覚があるんだ」
美坂「…」
しばらくの沈黙。
美坂「………話はそれだけ?」
浩平「……いや、まだある」
オレは続けた。
浩平「昨日、この学校の中庭で相沢を見掛けた。女の子と一緒だった。チェック
のストールを羽織った、雪のような肌のショートカットの女の子だった」
美坂「…」
オレは美坂の顔が微かに引きつったのを見逃さなかった。
浩平「あの子、美坂の妹だろ?」
美坂「…あたしに妹なんていないわ」
浩平「そうか、まだそのような事を言うんだな」
美坂「…それってどういう意味?」
浩平「あの子はこの世界から消えようとしている。オレと同じように」
美坂「…」
浩平「だけどオレと違うところがある。あの子はオレのように自分の力でこの世
界から消えようとしているんじゃない。他の誰かの力によって、この世界
から抹消されようとしているんだ」
美坂「…」
浩平「美坂、人の想いの力を甘く見るな。オレのように自分を他の世界に送り込
むことも出来れば、別の誰かを他の世界に送り込むことも出来るんだ。お
前は、妹を否定し、妹など居ないと思い込むことで、妹の存在を消し去ろ
うとしているんだ」
しかし美坂は声を絞り出すようにこう言っただけだった。
美坂「……あたしには…妹など…いないわ…」
だからオレはこう言った。
浩平「…そこまで言うのならオレはもう何も言わない。悪かったな、時間をとら
せて。真琴を待たせてるからこれで失礼するよ」
そう言ってオレは振り返った。
美坂「…待って」
美坂に呼び止められた。
浩平「なんだ?」
美坂「…真琴は、折原君のこと、知ってるの?」
浩平「真琴か?いや、知らないはずだ。そもそも、オレが消えるなどと言う話を
したのは美坂が初めてだ」
美坂「どうして知らせてあげないの?あの子、折原君のこと好きなのに」
そうか、真琴はオレのことが好きなのか…。
浩平「だったらなおさら知らせるわけにはいかないな。あいつに辛い思いをさせ
るだけだから。それにあいつは記憶を取り戻せばオレの所から去っていく。
その時までのことだ。ま、あいつが記憶を取り戻すまでは消えるつもりは
ないけどな」
美坂「そう…」
浩平「…」
美坂「…それともう一つ。どうしてあたしにあんな話をしたの?」
浩平「あんな話?」
美坂「…」
美坂は黙っていた。
浩平「そうだな…一つは、オレのようなヤツを増やしたくないからだな」
美坂「…」
浩平「もう一つは…美坂の中にオレが居たという証を残しておきたいのかもな」
美坂「…証?」
浩平「例えオレという存在は消え、オレについての記憶は消え失せたとしても、
オレが与えた影響は決して消えはしないだろうからな。もっとも」
言葉を切り、オレは美坂の顔を見る。
浩平「残念ながら、望み薄そうだけど」
美坂は、オレの視線から逃れるように顔を逸らした。
浩平「とにかく。悪かったな、付き合わせて」
オレは再び振り返った。
浩平「それじゃ、また、来週」
美坂「…ええ」
来週。
来週もまだ、美坂はオレのことを覚えていてくれるだろうか。
真琴「…遅い」
図書室に行くと、真琴が拗ねていた。
浩平「ごめん、ちょっと手間取った」
しばらく謝ると、真琴は機嫌を直してくれた。
浩平「それじゃ…帰るか」
真琴「なんで帰るのよぅ。商店街行って遊ばないの?」
浩平「あのなお前、その制服は借り物だ、ってのを忘れてないか」
真琴「あ、あぅ…」
浩平「実はオレもついさっき思い出したんだけどな」
真琴「何よそれ…」
浩平「とにかくその制服は借り物なんだから。平日なら仕方がないけど、今日の
ように時間の余裕のある日は一旦家に帰って私服に着替えてから遊びに出
た方がいい、とオレは思うわけだ」
真琴「…分かったわよぅ」
浩平「でもまぁ、昼食くらいは食って帰るか」
真琴「うん♪」
商店街のハンバーガーショップで昼食を済ませた後、オレ達は家に戻り、着替え
た後、再び商店街に来ていた。
しかし何か目的が有って来ているわけじゃない。商店街の中をぶらつくだけだ。
だから一通り商店街の端から端まで歩いて、ゲームセンターのクイズゲームで今
日もまた惨敗して、そしていつもの店で肉まんを買って、食べながら歩く。
浩平「はぁ…」
真琴「何よ、ため息なんかついて」
浩平「オレもう、お前にクイズゲームで勝てる自信無い…」
真琴は既に、大学の科目の解説マンガにまで手を付けていた。だからもう、学校
で習うようなことについてはほとんど太刀打ちできなくなっていた。
真琴「だけど、雑学とか芸能とかだと、浩平には勝ったこと無いわよ」
確かにそうだ。なぜか一般教養と言えそうなことについては実に真琴は疎かった。
まるでずっと山の中で修行でもしてたかのように。
浩平「それでも、総合成績ではお前の方が上なんだよ…」
ぐにゅ。
真琴「あれ?何かな?」
浩平「ん?」
真琴の足元を見てみる。
浩平「お前…子猫踏んでるじゃないか」
真琴「ほんとだ」
浩平「ほんとだ、じゃなくて、足をどけろよ」
真琴「あ、ごめん」
真琴が足をどけると、子猫は「うにゃあ」と鳴いた。あくびをしているようだ。
浩平「よく猫なんか踏めるな…」
真琴「こんなところで寝てるなんて思わなかったのよぅ」
確かにそうだ。妙に度胸のある猫だった。
浩平「さ、こんなところで寝てたらまた踏まれるぞ。あっちに行ったほうがいい」
オレ達は猫を追いやると、また歩き出した。
にゃあ。
真琴「ん?わ、ついてきてる」
見ると、さっきの猫が真琴の足元に頭を擦り付けていた。
オレは猫に話しかけた。
浩平「どうした?さっきの復讐か?」
真琴「なんでそうなるのよう」
浩平「どうかひとつ、これでお許しを」
そう言ってオレは猫に肉まんを差し出した。
真琴「って、それあたしの肉まん!」
浩平「いいじゃないか、一つくらい」
真琴「でも…」
浩平「まぁまぁ。また後で買ってやるから」
真琴「ほんと?」
浩平「ああ」
…よくそんなに肉まんばっかり入るものだ。
真琴「それで、この猫、どうしよう」
浩平「どうしよう、ってお前が連れて行けよ」
真琴「あたしが?何で?」
浩平「お前に懐いてるんだから」
真琴「あぅー、分かったわよぅ」
真琴はそう言うと猫を抱き上げた。
真琴「わあっ、温かい」
浩平「だろ?って何やってんのお前」
真琴「ん?」
真琴は猫を頭の上に乗せていた。
浩平「普通、胸のところで抱くもんだろ…」
真琴「そうなの?そんなの別にいいじゃない。それにこれだと頭が温かいわよ」
猫はまるでそこにいるのが当然であるかのように、真琴の頭に収まっていた。
気持ち良さそうに身体を伸ばしきってまでいる。よほど居心地が良いようだ。
浩平「…ま、いいか」
真琴「いいのいいの。それより、早くあのお店に行こうよ」
浩平「覚えてたのか…」
オレ達はいつもの店で真琴の肉まんを補充すると、歩道橋の上で車を見下ろしな
がら佇んでいた。
真琴は猫を手に持って立っていた。
浩平「オレは1個のつもりで言ったんだけどな」
真琴「何が?」
浩平「肉まんだよ肉まん。なんで1個が3個に増えてるんだ?」
真琴「まぁまぁそんな堅いこと言わないの」
こいつの腹は、肉まんに関しては底なしに近いようだった。
真琴「それじゃ、そろそろキミとはお別れだね」
浩平「お別れってお前、連れて帰らないのか?」
真琴「何で?」
浩平「何で、って…。別にオレは家に猫が居たって構わないし、今は留守だけど
由紀子さんだってダメだとは言わないと思うぞ」
真琴「だって…動物なんて要らなくなったらポイなんでしょ」
真琴の言ったことにオレは少しショックを受けた。
浩平「ポイってなぁ…。そりゃ中にはそういう人もいるかも知れないけど、オレ
はそこまで思わないぞ。」
真琴「んー」
真琴はしばらく考えていた。
真琴「いや、やっぱりこのまま野に返してあげるべきよ。人に飼われて人の温も
りを知ってしまうよりはそっちの方がいいわ」
浩平「野、ってなお前、こいつ飼い猫だぞ」
真琴「そう?」
浩平「ここまで人に懐いてるんだ、野良猫の筈が無いじゃないか」
真琴「…」
浩平「オレも一緒に面倒見るから、な?連れて帰ろう。他に家があるんだったら、
勝手に出ていくだろう」
真琴「…」
真琴がオレの顔をじっと見ている。
すると、真琴の手から猫が居なくなった。
浩平「あ!おいっ!」
即座に手を伸ばすが届かない。
猫はそのままトラックの荷台の上に落ちると、
猫「にゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………!」
甲高い鳴き声を上げながら遠ざかっていった。
真琴「あ…、落としちゃった」
浩平「落としちゃった、じゃないだろ!何やってんだよお前!」
オレはわめきながら真琴に向き直る。
浩平「お前、自分が何をやったか分かってるのか!」
真琴「わ、わざとじゃないもん…」
浩平「わざとじゃなきゃいいってもんじゃない!」
真琴「そ、それに!やっぱりあの子は野に返してあげるべきよっ!」
浩平「そうだとしても他にやり方があるだろ!あのまま路面に叩きつけられたり、
車に轢かれたりしたら余計に可愛そうじゃないか!」
真琴「…いいじゃない、トラックの荷台に乗れたんだから」
浩平「そういう問題じゃないっ!」
真琴「…」
真琴はしばらくオレの顔を睨み据えていたが、ぽつりと声を出した。
真琴「…いいわよぅ」
浩平「何がだよ」
真琴は涙ぐんでいた。
真琴「もう、浩平のことは良く分かったから…」
浩平「何のことだよ」
真琴「もう、浩平と一緒になんかいないっ!」
真琴はそう言うと、オレに体当たりをし、駆けていった。
オレはそのまま尻餅をついてしまい、ようやく立ち上がったときには、真琴の姿
は人混みに隠れて見えなくなってしまった。
浩平「…」
おれは呆然と立ちつくしていた。
しばらくは頭の中は全くの空っぽだった。
そのうち、ある考えに支配されるようになった。
浩平(…そうだ、これでいい、これでいいんだ…)
真琴はオレのところから去っていった。
昨日、美坂には伝えたいことは伝えた。
もう、未練はない。
これでもう、この世界にオレを引き留めておくものは何も無くなった。
あとは静かに消えるのを待つだけだ。
もう、オレには何もない。
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