時間回廊






〈後編〉


高層ビルの屋上。遠くの空を、紅いサイレンが夜に不似合いな騒がしさで彩っている。

丁度頭上に輝くのは満月だ。その満月が輝く深夜、工藤優作は執筆の為に篭もる書斎でも優雅にコーヒーを味わうリビングでもなく、春といえどまだまだ冷たい風が吹くビルの屋上に佇んでいた。



「・・・面白いくらいに引っ掛かるものだな・・・」



日本警察の未来が心配、心配。と呟きながら、全くそんな事カケラにも思っていないような愉し気な表情で、頑丈に作られている柵に凭れ掛かった。

ゆっくりと月を見上げる。人々を見下ろし、時には魅入らせ、時には残酷な真実を突き付ける優しく非情な女神は今夜もその姿を見せている。


白の魔術師は、その光に縛られているのを解っていながら、それを承知で危険な空を飛び続ける。



(・・・警察が敵わないのは解ってるんだがね・・・)



問題は違うところにあるのだ。ずっと対立している組織は少しずつ彼自身にその魔手を伸ばしつつあり、いつ「黒羽盗一」のところまで伸びるかも解らない。





――今正に降り立った、この清涼な空気を持つ彼でもそれを回避する術はないだろう。裏で手を回す事くらいしか出来ない自分が苛立たしい。



「・・・今夜も順調のようだね?」



音も立てずに自分の背後に舞い下りた怪盗KIDを振り返り、優作はニヤリと笑ってみせた。



「勿論。しかし、この様なところにまで有名な若手推理小説家殿に来て頂けるとは恐悦至極」



対する彼は、鉄壁の仮面を崩すことなく優雅に礼をしてみせ、ニヤリと不敵に笑ってみせた。



「その口調は止めないか?それより、今回のもやはり・・・」

「ハズレだね」



ひょいっと肩を竦め、彼は問題の物を優作に投げ渡した。手の中にすっぽり収まるサイズのピンクサファイヤだ。



「なんだい、また私に返却させる気なのかい?」

「だって君の方が警察の方々に近いじゃないか」

「まあ、そうだな。・・・仕方ないか」



ふう、と溜め息を吐いて、優作は無造作に投げられたビッグジュエルを、ハンカチで包もうとポケットに手を突っ込み・・・



「そうそう、そう言えば君の所の新一君。なかなか可愛い子だねえ」



怪盗の問題発言に、思わず固まった。



「・・・君、まさか・・・」



じと〜〜っと何故か自分の愛息子の顔を知っているらしい怪盗の顔を睨み付ける。黒羽盗一とも怪盗KIDとも新一は面識が無いはずなのに、なんだってこの怪盗が自分の息子の顔を知っているというのだろう。

そりゃあ、自分の息子ははっきり言って天にも昇るほどの可愛さである。その笑顔は万人を虜にし、あのエンジェルスマイルを見て悪感情を持てるという輩がいたら是非会わせて欲しいものだ。


自分の息子はまだ彼の息子と同い年の三歳だが、すでに自室を持っていて、時折そこで独りで眠るようになっていた。貰ったばかりの部屋が嬉しいのか、嬉々として自分の元を離れて一人で部屋に消えて行く新一の姿に、寂しさを禁じ得ない。


時折寝顔を見に忍び込んだりもするが。もちろん、その寝顔も溶けそうなくらいに可愛い。(親馬鹿)


そして、その部屋周辺のセキリュティは、他の部屋よりも数倍は高度で侵入困難なものとなっているはずなのだ・・・が。




「いやぁ、羽休めにでもと止まったところが君の息子の部屋だったなんてねぇ。しかし随分とぐっすり眠っていたけど、あの広い部屋にたった一人で寝るにはまだ幼すぎないかい?まあ寝顔は物凄く安らかで可愛かったけどね」




・・・・・・・・・どうやら、この怪盗には全く関係ないらしかった。



「・・・君、家宅侵入罪っていうの知ってるかい?」

「もちろんですよ、若手名推理小説家殿」



くくくっと怪盗は物凄く楽しそうに笑いながら茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばしてくる。普通の男がやったら鳥肌モノなのに、怪盗紳士を名乗るこの男がやたらに様になるから皮肉だ。



「・・・わざとかい?私は君の所の快斗君をまだ見せてもらってないのに」



自分のところの新一を見たのだったら、そちらの息子も見せろということだ。何しろ、自分とこの怪盗との接点は現場以外は滅多に無い。あるとしたら、初めて会ったロンドンの気に入りの喫茶店くらいなのだ。

この日本では、はっきりとした接点はこの現場だけで、生まれたと報告された怪盗の息子・・・否、天才マジシャン黒羽盗一の息子を優作はまだ見た事はなかった。

しっかりと要求する優作に、マジシャンの顔になった彼はふむ、と顎に手を当てて考え、




「それでは、有希子さんに今度私の妻を引き合わせましょう。その時お互いの息子を対面させましょうか。・・・未来の探偵と、怪盗を」


「・・・いいや、違うさ」




提案は魅力的だ。しかし、その彼等の未来は彼が言ったようになるとも限らない。・・・むしろ、そうなる事は自分達で阻止するべきなのだ。

確かに、自分の息子である新一は将来探偵になるというだろうし、それを実現させるだろう。もうすでにその才能の片鱗を表しつつあるのだから。


しかし、彼の息子である快斗は、「怪盗」になるのではない。



「未来の探偵と、その友人でありお嫁さんである天才マジシャンだよ」



そう、怪盗ではなく、自分達の息子には光の舞台を与えたい。否、彼等は与えられるまでも無くその道を行くだろう。目の前の怪盗も、心の底ではそう思っているはずだから。

それが難しい事であると解っているけれど。




「おや、うちの快斗がお婿さんなんじゃないのかい?新一君可愛いし」

「あれでも負けん気が強くてね、なかなか男前な性格をしているんだよ、新一は。滅茶苦茶に可愛いのは否定しないがね」

「うちの快斗もそりゃあ可愛いけどね、しかし男の子っぽさで言えば多分快斗の方が強いと思うよ」

「・・・・・・快斗君をうちの婿にくれるんならいいかな」




話は大幅にずれていくが、そんなこと知った事ではない。何しろ自分の息子の将来の話なのだから。




「普通は嫁を出すんじゃないかい?」

「そうと決まったもんじゃないさ」

「・・・・・・・・・・まあ・・・未来の魔術師は自分から姫君に囚われに行くだろうけどね」




怪盗は「探偵が捕まえるのかもしれないがね」と付け足してひょいっと肩を竦める。その言葉に自分の息子の未来を想像して、優作はついつい吹き出して笑った。



「・・・確かに」



考えられる。自分達がこうして出会ったように、彼等も出会うという可能性は限りなく高く、その時はきっと・・・複雑に糸が絡まった邂逅になるという事が予測できた。















遠くからサイレンの音が聞える。漸く警察達はダミーの存在に気づいたらしい。中森警部の怒鳴り声がここまで聞えてきそうだ。


(相変わらず、熱血してるんだな・・・)


と苦笑していると、鉄の仮面を被り直した彼はトンッと身軽にコンクリートを蹴って低い柵に舞い上がった。



「・・・・・・では、私はそろそろ失礼しますよ。冷たい女王様は姿を隠してしまいましたから」



その言葉にふと空を見上げると、先程まで煌々と輝いていた「冷たい女王様」は薄い灰色の雲に覆われて隠れてしまっている。

空を舞うには丁度良い、心地良い風が雲を運び、再び彼女が姿を現し・・・のんびりとネオンの明るい夜の街に目を向けても、そこには紅いサイレンの光が騒ぐだけで、彼の怪盗の姿にはどこにも無かった。


(・・・さて、返しに行くか)


ふっと息を吐いて、優作は眼下に広がる夜の街に背を向け、鉄の扉を潜った。もう少しでここに警官達がやってくるだろうから、警部のポケットにでもKIDのカード付きのジュエルを滑り込ませてさっさと帰ろう。


家では愛する妻も息子も待っているのだから。













深夜の冴えた空気に、時計台の低い金の音が響き渡る。


時を告げる音。時間は刻々と人の背を追い立てるように、めまぐるしい速さで進んでいく。


その中を、自分達はそれよりも早く、先へ先へと走り続けるのだ。


遠く待ち望み、近く避け難い自分達の未来へ。






END


おまけ

BACK



捧物Top