Calling you.




≪2≫


朝焼けは思ったよりも早くやって来た。
人の動く気配のしない静けさの中、蚊帳の向こうで花弁を綻ばせる朝顔を眺める。頭は眠気で霞がかっているのに、神経は鋭敏になっているのか目が冴えてしまっていた。

昨晩の佐久間との通話を思い出す。バッカだなぁと呆れた声で絞められた会話。でも言葉とは裏腹に、声音は随分と優しかった。


「〜〜〜っ!」


酷い郷愁に駆られる。バカだなぁ、と繰り返したのは自嘲の声だ。なんで東京の‘家’のイメージがあの声に繋がるのか。


「ホント、馬鹿みたいだ…」


哀しみなのか嘆きなのか。胸の奥こびりつく錆めいたものをざらりと撫でて、遠巻きに聞こえる「朝御飯よ〜」という声に合わせてそっと蓋を落とした。深く深く、誰も見えないはずのところまで。











栄の葬儀、もとい‘お誕生会’の次の日は、極々穏やかな日常の様相で時間が過ぎていった。
万里子が家を仕切り女性陣が屋内の片付けと昼御飯の料理をし、万助や万作を始めとする男性陣が限られた時間を活用して崩れた箇所の修繕を行い――健二といえば、手伝おうと踏み入れた台所からとんでもないと追い出されて、真吾や祐平や佳主馬の宿題を見ながら過ごしていた。教科は当然ながら算数・数学である。
そこに甲子園出場を果たして――すっかり放置された夏休みの宿題を抱えた了平が混じってわいわいやっていると、不意に庭からハヤテの吠える声が聞こえてきた。


「ハヤテ、誰か来たの?」

あら、あなた…


珍しく頓狂な声を上げた万里子の言葉に反応して庭を見ると、縁側にいたハヤテが誰かに向かって吠えていて――その先にいたのは、


「うそ……なんで…?」
「おいおい、東京から遥々駆けつけた人間に言う第一声がそれかぁ…?」


ご心配なく、ちゃんとバイト用パスコード取った自前ノート持ってきた。

なんて言っているのは、この三日間モニター・電話口越しにしか会わなかった人物の生の声で。
ふらり、畳の上で正座を組んでいた足を解いて、その場で立ち上がる。
自分に寄りかかっていた真吾が畳に転がって、握っていたボールペンがテーブルから落ちたが、意識の端っこに引っ掛かっただけで反応に至らなかった。

気づいたら駆け出していた。

小石が足の裏に刺さったがそんなことも意識の外だ。


「さくっ……、敬ィッ!」


無我夢中で広げられた腕の中に飛び込んで、その首にしがみつく。「ぉおっ!熱烈大歓迎だなぁ?」なんて茶化すみたいに言う声も、回された腕もやっぱり優しくて。押し込めていた物の蓋が、呆気なく開いた。


「敬、たかしっ。〜〜っふ、っ、うぁあああああっ」


ぎゅうぎゅうと抱きついて、名前を呼んで。溢れ出す物を抑えもできなかった。
時々かき混ぜるように髪を撫でられる感触に気が緩んで、同じ強さで抱き締めてくれる腕に心底安堵して。
訳がわからないうちに全力で泣いた。








































ことん、腕の中の体から力が抜けるのが解って、佐久間は丸い頭を撫でていた手を背中に回す。腰に回していた方は膝裏に回して、相変わらず軽すぎる体を抱き上げた。
ちょぉっとだけふっくらしたか?と本人に言えば殴られかねない――自分としては大歓迎な感触を腕に閉じ込めて、びしばしと突き刺さる視線の元に「布団あります?」なんて尋ねてみた。

突き刺さる視線の一部の凶暴さが増したのは――…気のせいじゃないだろう。







理由もなく、なんとなく携帯を取ってかけた深夜の電話。昼間の夏希の話だけではどうにもピンとこなくて、直に声を聞きたくて―なんて絶対に誰にも言えやしない、恥ずかしすぎる―自分の欲求に従った結果だったのだが、掛けて心底正解だったと思う。

――こいつ、限界じゃね?

回線越しの第一声を聞いた時の印象は、焦燥を孕んだ確信だった。
なんでもないように見せて心が崩れかけてるなんて時限爆弾みたいな精神状態、端から見ても解りっこない。しかも、‘寝てるけど眠れてない’日が続いてそうだ。きっと本人だってちゃんと自覚もしてない。
それでもS.O.S.は出されるもので。


『ねぇ、敬――』


心許ない声音で呼ばれた普段は絶対に健二の口から聞けない下の名前は、隠したつもりの心の弱音そのものだった。
悲しいのも寂しいのも全部呑み込んで、それでも前を見て突っ走るしかなくて――どさくさの内にそういう感情が麻痺してしまったのだろう。

お世話になった家の人間が死んで、まだ泣けてないと痛々しい声で言うのがなによりもの証拠だった。

まぁ、自分のこれからの行動なんて――前後のやり取りがどうだろうが――名前を呼ばれた時点で決まっていたのだが。

通話を切った後、即行で明朝の上越新幹線長野行きの切符を取り、じりじりと朝を待って、パソコンと少しの着替えと必需品だけ持って家を飛び出した。
久々の帰宅だったのに、タッチアンドゴーで出ていく息子に、眠気で緩んだ文句の声が飛んできたが、ドアで遮って完全にスルーした。

可能な限り早い時間に行動を始めたというのに、それでも、なにもできずただ待つしかない数時間は酷く長くて。もどかしくて苛々しながら到着までの時間を潰した。
適当に買った駅弁の味すら覚えてないとかどんだけなんだよ自分、と思わなくもなかったが。
―それでも来て良かったと、自分の直感を自画自賛した。

年齢を問わず、陣内家の面々らしい男子たちに囲まれている姿にむっとするよりも前に、一応取り繕えているらしくても、一目でわかってしまう酷い表情にうわぁとため息を吐きたくなった。
そんなことをしたら自分にまで遠慮してしまうのは経験上解っているので、固まってしまった健二にあくまでも気安く手を振ってやると、予想以上に熱烈な抱擁で迎えられた。
腕の中に飛び込んできた細い体を抱き締め、悲鳴のような泣き声も火傷しそうな熱い涙も余さず受け止めて、半ば役得な気分で髪をすいて時々キスを落としたりしたが、どうせ腕の中の人物は気づいちゃいない。

兎に角三日ぶりの生の感触を堪能しながら―その間も陣内家の面々の視線は“目で殺す”勢いだったが―この三日間で溜め込んだネガティブ思考を吐き出させる方法を考えつつ、健二が泣きつかれて寝落ちするまで抱き締め続けた。

……牽制も必要そうな状況のようだったし。






























武家屋敷らしい込み入った間取りの奥、布団が一組だけひかれた広めの和室に通される。鳥の家紋が入った欄間に、掛軸と花瓶なんかも置かれて、旅館もかくやといった雰囲気のそこに足を踏み入れ、少し奥まった位置にある布団に寝入った健二を降ろし、汚れてしまった足の裏を駅弁についてきたおしぼりで拭ってやってから薄いタオルケットを掛ける。目元に掛かった前髪を軽く払って、そっと枕元に腰を下ろした。


「あの……もしかしてこいつ、夕べはここに?」


縁側からこちらを珍獣のように伺う人達が気にならないと言えば嘘になるが、敢えて頓着せずに先導してくれた恰幅のいい女性―万里子さんと言うらしい―に訊ねると半ば苦笑気味に答えてくれた。


「ええ……あらわしで屋敷が半壊したから部屋が足りなくて。他の男たちは適当なところに詰め込んでおいても良かったけど、健二さんは女の子でしょう?男性部屋と一定の距離があってまともに布団を敷けるところがここしかなかったのよ」
「ああ……それで、」


こんな広い部屋で、独り。
ゆるゆると涙の跡が残る頬を撫でてやると、ころんと細い体がこちらに向かって寝返りを打つ。投げ出された手に触れると今度は握り返されて、ちょっとばかり照れくさい。
おそらく起きた時の健二は何倍も恥ずかしがるのだろうが。
しかし、背中に刺さる視線が痛い。

離れてやる気、ないけどな。

いいよな、うんいいはずだと自問自答する。その時に予想される健二からの抗議も徹底無視の方向で。
まずは、


「あの、今更ですけど、突然お邪魔しちゃってすいません。起きたときに着いててやりたいんで、暫くこのままでいいですか?」


頭上であらあらなんて楽しそうに声を洩らしている人と殺気混じりの野次馬をどうにかしなければ。


「えぇと…佐久間くん、でいいのかしら?」
「基本はそっちで呼ばれてますよ」
「さっきこっちに着いたってことは、出発は朝だったのよね?お昼ご飯はどうしたの?」


うちはこれからお昼なんだけど、よかったら一緒に、となんの前触れもなしに訪れた自分にまず食を勧める素晴らしい気っ風に、思わず頬が緩んだ。本当パネェな陣内家、と心の中でその寛大さに感嘆し、次いでに胃袋が多少疼いたがはっきり首を振る。


「新幹線の中で駅弁2、3個食べてきたんで平気ですよ。こいつ起きたら何か食べさせてもらえます?」


理数系草食男子を自称する自分としては普段よりも多い量だったが、これから数時間は目覚めないだろう存在の事を考えると、その間も頭を回転させるために必要な栄養分だ。

平静を装いながら目だけはニマニマと笑ませた女性が快く頷いてくれたのをいいことに、片手でデイパックを下ろして中のノートパソコンを引っ張り出し、携帯と繋いで早速立ち上げる。
健二の寝顔を眺めるのも楽しい上非常に和むのだが、正直何時間もとなると手持無沙汰なのだ。
障子が閉まっていても明るい昼の和室で、それでも光源になることには変わりないモニターを布団から離して置き、サクサクとOZにログインする。


「んじゃ、俺はこいつで仕事しながら起きるの待つつもりなんで、どうぞお構い無く」


自分の中では比較的年配受けする類いの笑顔を見せると、すっかり心得たような表情で頷いてくれる。更には手の放せない自分の代わりに書斎らしき部屋が覗く障子窓を閉めて、堂々と縁側から出歯亀中の身内を容赦なく追い払って行ってくれた。
全く素晴らしい気遣いだ。
この家の住人は万里子の声には逆らえないらしく、何人かは名残惜しそうに、何人かはちょっと怖い視線を寄越して立ち去っていった。

空いている片手で彼らに手を振り、OZ管理塔の末端の末端――つまりはバイト先のパスコードを入力する。機械とは別の熱源に触れた手は、今や熟睡中の人物の両手に包まれていた。


「まったく…すっかり人気者になっちゃってまぁ…」


――それで、お前は何がそんなに寂しかったんだ?

涙の跡は残っているものの、疲れと安堵が混在する寝顔を見つめ、心の中で問いかけた。

今は、お前の眠りを守ってやるから。













ひとりごと>

東京から遥々健二さんを寝かしつけにやって来ました。佐久間愛しすぎる。



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