眠りの中で見るものは何か

冷えた夜景か 削れた光の肖像か

それとも――




怨嗟:弐:


夕稽古は主に木刀での打ち合いである。一日稽古して仕事もして、疲れた体で神経を集中すれば、素晴らしい気組みが生まれる・・・らしい。あくまでも近藤と近藤父の説であるが。
その組み合わせは様々で、個人の技量を見て一対一にしたり多数対少数にしたり、団体で乱戦状態にしたりもする。

食客である他流派の永倉・藤堂・原田の三人組や、藤堂と同じ北辰一刀流の山南などは、あくまでも指導として組み込まれることもあるが、この時期は何分日暮れが早く、夕稽古に取られる時間は他の季節に比べて短い。
その上、貧乏な田舎道場にしては訪れる者が多い試衛館の道場は、団体戦を二組も三組も同時に出来るような広さは無いので、全員に時間を割けるわけでもない。
食客も一応身内であるが、通いの者達が優先の中で彼らに分ける空間すらない。つまり、滅多に彼らが門下生達の相手をすることもないのである。

そんな彼らを無視して、昼間話題に上っていた彼女は、多数対少数で打ち合いの席で、少数の側に加わって味方に指示をし、時に助太刀しながら敵側の男共を昼稽古の時と似た調子で打ち据えていっている。


「なぁ・・・あの人本当に疲れてんの?」


生き生きとした動きで多勢の敵をいなしていく彼女を眺めながら、藤堂は斎早の不調を予測した永倉を疑わしい目で見つめた。


「だぁからもっと脇締めろってんだ内臓えぐられても生きてられんのかよテメェは!?」


どう見ても物凄く元気なのだが。

視線の先の彼女は、高速回転する舌でまくし立てながら、派手な音を立てて斎早が容赦なく敵側の人間の脇腹へ一撃を食らわせたのである。


「いっちいち刀向けられる度に目ぇ閉じてんじゃねぇよ首落されたいか、ァア!!?睨み殺すつもりで打ちかかンだよ!」


敵方には打撃と同時の毒礫だが、味方に対する発破を混ぜた毒舌も半端ではない。しかしいつもならば気組みだの姿勢だのについての檄が飛ぶのだが、今日はなんだか発言が一々殺気立っている。彼女自身が今にも殺し合いに突進しそうな気迫であった。


「・・・機嫌、更に悪くなってねぇ?」


昼よりも。昼飯は美味かったけど。

外が暗くなってきて、そろそろ空腹感を感じてきたのか、食欲に原田である。それに対し藤堂は彼女の気迫に中てられた緊張感の芯を折られてガックリと肩を落し、「そういう問題じゃねぇだろ・・・」と溜息と共に呟いた。そして、ふと何かに気づいたらしい永倉が、斎早から目を話し、ぱしぱしと確認するように瞬かせる。


「・・・総司?」
「・・・準備万端だなぁ」


永倉の視線を追った藤堂の言うとおり、彼らが見た総司は万全な戦闘体勢で木刀を持って道場の入口に立っていたのだ。稽古中なのでそれだけならば何もおかしな所はないのだが、永倉が彼に反応したのは、


「稽古ってーより、喧嘩って感じだな」


と原田が率直に直感で言ったように、道場稽古では有り得ないほどの張り詰めた空気を醸し出していたからだ。

総司は、自分が強いということを自覚している。普段見せる穏やかな気性から、その力を本気で現すことも、相手を叩き伏せようとすることも滅多に無い。・・・相手が敵でなければの話だが。
そして、自身が決して戦う相手だとみなした者に対して、手加減できないことを知っているのだ。

今の彼の緊張は、糸を少しずつ束ねていくように強くなり、斎早に向けられている。彼がかなり懐いているはずの斎早に、である。

じわり、背筋に冷や汗が浮かぶのを感じる。原田はと見ると、ギラギラと光る目で無意識の内に大きな手が得物を探しており、藤堂は堅く木刀を握り締めていた。今にも飛出して行きそうな二人に苦笑しながら、永倉は意図的に拳を握りなおす。

総司は剣客として勝負(手合わせ)できるなら是非お願いしたい力の持ち主である。これが殺し合いならば、真っ先にこの場を逃げ出しているだろうが。
獲物を狙う野獣よりも鋭敏になった彼の感覚は、向けられる敵意の糸を決して逃さないのだから。

道場の端でじっと身を潜めていた男が動いたのは、多数対少数の稽古で、斎早が最後の敵方を打ち倒したのと同時であった。

カカァンッ!!

小気味よく木刀の鳴る音と共に、素早く二人が距離を取る。完全な不意打ちの形であったのだが、斎早はなんの躊躇いも無く総司の剣を完璧に捌いた。彼女が道場に来た日、永倉が使ったのと同じ手であったのだが、奇襲自体も、その後の展開の速さも尋常ではなかった。


「珍しく積極的ねぇ、総ちゃん」
「あははー早さんに対して消極的だったコトなんてないですよー?」
「うふふー知ってるv嬉しいわー」


目の前で繰り出されているのは息もつかせぬ激しい剣戟なのに、彼らの会話には可愛らしい桃色の花が舞っている。会話だけ聞いていたらめくるめく愛の世界である。聞いているだけなら眩しくて仕方が無い。

いっそ耳を塞いでしまいたい。だが彼らの打ち合いからは目が離せなかった。全開にした五感で打ち合いの全てを捉えようと、全身が神経の牙を剥くのだ。

双方中段の構えから睨み合い、数呼吸の後同時に動き出す。斎早が総司の懐に入って鳩尾を狙って突き、総司はそれを剣先で跳ね上げて袈裟懸けに振り下ろしたところを、半歩後退して打ち下ろし、更に迫る脇腹への薙ぎ斬りを三度打ち付けて流し、一度距離を取り、一息吐く間もなく首を狙った一撃を総司が払い、そのまま左胸に迫る突きを木刀の背に当てて逸らし、退がる。
息も吐かせず流れるような全ての手が、人体急所を狙った恐ろしいものである。しかし、


「手加減してるな、どっちも」
「いつものことだろ?」
「総司から来るビリビリ感は痛いけどなぁ」


藤堂は鳥肌立つ体を抑えるように腕を擦りながら、じわりと浮いた汗もそのままに苦笑した。総司の放つ緊張感は、感じる者には圧力となって圧し掛かる。物理的な力ではなく、気迫で捩じ伏せようとしている様であった。
対する斎早はといえば、剣の型を崩さずに、その気を上手く流している。傍から見ている限りでは、堪えている様子は無かった。

打ち合いは続く。ほんの一時の息を押し潰す静寂と、瞬く隙も与えぬ打ち合い。今の所殺気は無かったが、寧ろ殺気の無さ故に見る者には畏怖を与えた。


「これ、終わんのかな・・・」


片や体力底なしの旋風、片や試衛館で一、二を争うとされる男。実力は互いに未知数で、しかも片方に関しては本気を出したところを誰も見たことが無い。その上、今も双方本気で打ち合っていないのだ。


「どうなんだろ・・・」


斎早が来てからまだ日も浅い。彼女の力を測り切れていないのは誰もが同じで、こればかりは解らない、と藤堂の呟きに永倉は答えられずに返した。

外は木枯らしも吹こうかという季節であるのに、道場の中は妙に張り詰めた熱気が篭っている。誰もが息を呑み、暗くなった薄闇の中の珍しい打ち合いに見入っていて、家に帰ることも忘れている。既に酉の刻・・・暮れ六ツの鐘が鳴る時刻であった。

目を細め、何一つ逃すことなく捉えようと追っていた永倉は、一瞬の総司の変化にびくりと肩を震わせた。床に手を着いていた原田は拳を握り締め、藤堂は木刀を両手で持って足を押さえつける。三人共に感じたのは、ビリリと肌を衝く痺れの感覚―――


「双方、退けッ!!」


逆らい難い強制的な声が、今にも切れそうなほど張り詰めた場を激震した。

男たちの輪の中で向かい合っていた二人は、男の声に反射するようにして飛び退き、互いの間合いから離れて動きを止め、我に返ったように声の主を見た。


「土方さん?」
「・・・夕稽古は仕舞いだ。猫のじゃれあいもその辺にしとけ」
「つい、夢中になっちゃいましたv」
「あらやだヤキモチ?大人気ないわねぇ」


土方の溜め息交じりの終了合図にの言葉に、総司は照れた仕草で木刀を下げ、斎早は揶揄いの言葉でころころと笑った。二人の間の緊張が、一気にほんわりとほぐれた。先程までの緊張や、重々しく刃に迫られる圧迫感はどこにもない。
肌も裂ける様なあの打ち合いが、もう夢のようである。

唐突に始まり終わった手合わせに、急速に我に返らされた見物者たちも、ほっと肩の力が抜けた様子になったが、内外の暗さにぎょっと驚き、雑談しながらも急ぎ気味で帰り支度をし始めた。
もう夕稽古なので今日の仕事は終わっているが、早く家に帰らないと家の者(特に女房)が寝てしまう。仕事も稽古もして空腹の体で夕餉を食いっぱぐれるのは非常に痛い。


「ヤベェ、かあちゃん寝ちまうよ」
「そういや腹減ったなぁ」
「つかなんで土方さんは止めたんだ?」
「白熱しすぎて面倒になったんじゃねぇの?」


好き勝手に喋りながら、彼らは着々と支度をして、一言近藤に声を掛けてから順々に道場を辞していく。その足取りは皆急ぎ足で、我に返って空腹を思い出したのだろう。

あいつらなんであんなに呑気なんだ。

場の空気に緊張を強いられていた三人は、どっと肩の力を抜いて、目一杯呆れたように大きく腹の底から息を吐き出した。すると、

ぐるるるるるるるるる
ぐきゅ〜〜〜〜〜
ごろろろろろろ

腹の虫の三重奏が鳴り響く。他人のことはとても言えたもんじゃない。

まず緊張で体が硬直した。突如始まった打ち合いに、魂が震えて目が乾くほど見開いた。ほんの刹那、肌に感じた総毛立つような殺気に、昔折れぬと誓った魂が酷く竦んだ。
武士であれと志した時から、一瞬でも何かに怯えるなど、あってはならないことなのに。


「・・・土方さん、お見事な突っ込みだよ。俺もまだまだ、修行が足りないねぇ・・」


あー肩凝った。

掻いてもいない汗を拭うふりをしながら、永倉は気の抜けた軽口を叩いた。それは我に返って凹みまくった自尊心を宥めるためであり、自分の体の緊張を解すためでもある。

「おれちょっと腰抜けそうだぜぇ、ぱっつぁん」
「だぁいじょうぶ、左之が抱えてくれるって」
「や、オレ今そんな力ねぇよ・・・腹減ったぁ・・・」
「結局お前はそれかヨッ!!」
「でもおれもマジで斎早さんの飯食いてぇなぁ・・・何は入っててもいいから」
「平助!?お前胃腸弱いくせにナニ血迷ってんの!?」
「正直この腹減りには勝てないというか・・・」


気を紛らわす会話が、夕餉の話題に本格的に変化してきた。それはそれで問題もあったが。しかもまたもや精神的に。

何はともあれ、傍観役に徹していた彼らは、萎えた気力が戻ったところで、夕餉の席に向かったのであった。








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