眠りの中で見るものは何か

煙の向こうに霞む(未来)

月夜に朽ちる思い(幸せ)残骸(欠片)



それとも――










怨嗟:参:



木刀を打ち合わせる音が、意識の底で刀を合わせる音を喚起していく。体の奥から血が燃えて、沸騰寸前の細かな泡が、血の管を叩くような感覚に侵される。
傍から見ればただの打ち合い。だがこれは、没頭するなどといった域を超えていた。意識も感覚も、全て総て相手に向けて、刀を向け、全開にした神経に任せて体を動かし、己の限界を排除するのだ。

この刀を合わせるのは。――目の前にいるのは・・・


「双方、退けッ!!」


突然、意識の襞を割って視界を開いた声に、彼らは自分の目の前にいる人物を認識し、慌てて間合いの外に離れた。今まで木刀を合わせていた人物が友だと知り、この場所が道場なのだと認識する。更に辺りがかなり暗くなっており、肌に触れる空気がもう冷たく、鳥の声が少なくなっていることを知覚する。
二人が現に戻るまでこれほどの作業を要していたが、実際に掛かった時間はほんの瞬きの間であった。


「・・・土方さん?」


二人の意識を無理矢理こじ開けた相手の名前を呼び、総司はぱちくりと目を瞬き、斎早は一息吐いて前髪をかき上げた。バサッと音を立てて、高く結い上げていた長い黒髪が背中に落ちる。


「・・・夕稽古は仕舞いだ。猫のじゃれ合いもその辺にしとけ」


そんな二人に、土方は眉間にしわを寄せ、溜息を付いて呆れた様子で言葉を落したが、二人は事も無げに


「つい、夢中になっちゃいましたv」
「あらやだヤキモチ?大人気ないわねぇ」


などと不機嫌丸出しの男を茶化すように答えるのである。

何だこの他人の情事を覗いてバレた時みたいな気まずさは。しかも言ってる本人たちには全く意味深な雰囲気など無く、青筋を立てる土方を放置して片付けの支度をしている。

先の台詞だけ見たら一緒にヤらない?と誘われているようでもある・・・が、

ヤるの意味が大いに違うんだよ!

常の性格に似合わず、思わず内心のみで突っ込んでしまう土方であった。言うだけ言って放置されたので怒りを返す的すらなくかなり空しいことになっている。

大体、彼らの木刀に宿った二人分の殺気を自分の身に受ける覚悟で、殺り合い寸前の打ち合いを止めたというのに、当の本人達からは感謝の意もなく 揶揄われる(からかわれる)だけとは、なんとも甲斐の無い話である。
この二人の感謝なんぞは、考えるだに気色悪かったが。

普段の空気を取り戻した道場内は、帰り支度を始めた者達のざわめきに満ちていた。二人の間の外で止まっていた時間が再び動き出したように、聴覚も視覚も現実感を取り戻していた。
家路に着く者達の背を見ていると、彼らの挨拶に返事をしていた近藤と目があった。試衛館の師範代は――他人なら滅多に気づかない程度であったが――若干顔色を悪くしており、一瞬戸惑うように眉を寄せ、眉尻を下げて困惑の表情を見せた。
恐らく突然始まった打ち合いに困惑しているのか、一瞬だけ垣間見た両者の殺気に斎早の怪しさを漸く認識したのか、はたまた土方が打ち合いを止めたのを不思議に思ったかのどれかだろう、と見当を付けて小さく頷いて見せ、ふと外へ向かう総司と斎早に視線をやった。







家路に着く彼らに紛れて、彼女はサクサクと木刀片手に道場を後にし、母屋に向かって歩いていた。周囲に人影は無く、賑やかに帰っていく男たちの声が敷地の外辺りから聞こえてくるだけだ。
晩秋の冷たい風が、闇に溶け込む黒髪を緩やかに乱す。その背中は微かな緊張を負っており、足取りはやけに速い。なのに、


「・・・早さん」


その背中に追いつき、三つ丁度呼吸を数えて総司が声を掛けると、彼女はそれまで急ぎ足だったのが打って変わって、ゆっくりとした動作で振り返った。
その表情はいつもとは別人のような無表情であり、呼びかけに対して答える声も無い。酷薄なほどの無関心を瞳の中に刷いていて、一呼吸の後、黒石のそれが意識ごと総司に向くのを感じた。

総司は知っている。土方が彼らの手合わせを止めた本当の訳を。それを、彼女も違う意味で正しく理解しているだろうことも。


「・・・ちゃんと、眠ってますか?」


自分たち以外の誰にも聞こえないように、押し殺した声で問いかける。一歩、近づいて伸ばした指先で触れようとしたのは、薄っすらと黒くなった目の下。しかし彼女はその手をさり気無い動作で避け、なんでもないように微笑んだ。


「眠ってるわよぅ、毎日熟睡☆」


地震が来たって起きないわ♪

可笑しそうに笑い、彼女は「夕飯の用意あるから。後でちゃんと食べに来るのよーv」と手を振って行ってしまった。ぴんと伸びた背中が、速い速度で母屋の方へ消えていく。今から台所で昼間採って来たらしい何かを調理するのだろう。それはとても楽しみである・・・が、


「・・・大丈夫、かな・・・」


ほんの一瞬の交錯。先の手合わせで押し合いになった折に、触れた彼女の手は――酷く、冷たかったのだ。



























視界を塞ぐ闇が酷く濃い夜であった。
じっと天井の木目を眺め、彼女は重く布団に沈む体の奥から、血管を滑りながら這い出てくる寒気を感じていた。

外で唸る風が、強く粗雑な手で木戸を叩き続ける。昨日まではなかった木戸だが、今日の昼、ヨネがもう寒さも厳しくなるから、とつけてくれたのだ。お陰で幾分寒さは和らいだが、代わりに耳と目を塞がれる様な閉塞感に襲われた。
自分の体温でゆっくりと布団が温まっていき、その熱でまた体が布団に沈みこむ。

ああ、やはり木戸など閉めなければ良かった。

好意は嬉しいし、厳しく一般的な目を持つヨネの気性も好きだが、それと彼女の事情とは別問題だった。

時折、意識が途切れる。それは消えかけた灯よりも更に曖昧になって戻ってくるが、その瞬間は確実に遠退いていた。耳と目を塞がれる様に、見えている木目が塗りつぶされていくのだ。

また、沈む。
穴に落ちるより遅く、階段を下りるよりも早く――









ここは、どこだろうか。
夜。どこかの路地だ。江戸ではない、見覚えのない町並み。
誰もいない周囲を見回して、自分が素足で立っていることに気づいた。しかし、足の裏に触れるのは、ざらざらとした土と石塊と――
ぬめりのある、湿った感触で。

指先からは粘りのある冷たい水滴がぱたぱたと落ち、視線を落すと地面は闇よりも尚、色濃く黒ずんでいた。

珍しい夢だ。誰も出てこないなど。

周囲には本当に何もないのかと一歩足を踏み出すと――





外から戸を潜って屋内に入った時のように、がらりと風景が変わり、何処かの廊下に立っていた。
試衛館ではない。何処かの屋敷だ。
ここにも、誰もいない。――何も、ない。
常に共に在る風鳴りですら、鼓膜を打たなかった。
それなのに。

足先から土踏まずに掛けて、粘着質な水が先程よりも生々しく伝っていき、冷たく執拗な感触を貼り付けていく。

僅かに光が入る床板に、じわじわと広がっていくどす黒い赤が、見えた。

そして、認識する。否、慣れている感触、見知った色。それが何なのか、視認する以前に本能で悟っていた。


人は死を恐れる。余程の狂人でない限りは。


彼女は反射的に足を退こうとして――ぎくりと身を強張らせた。

裸足の足首を、何かが掴んで引き止めていたのだ。

足首を掴む冷えた手。白く、血の気が無いのが不自然なほど明瞭に判る。
それは、いつのまにか、足元に広がる水の中から伸びてきて――

彼女の足を、腕を掴み、己が在る元へ飲み込まんと絡みついてきた。何本も何本も――




そして、どす黒い水溜りに映った顔は悲鳴の様に謡うのだ。


死を想え

死を刻め



生ある限り 我らが怨嗟と魂を その身に喰らわせよ


死を呑み続けよ――















唐突に、闇が視界を満たした。
じっと目を凝らしていると、見慣れぬ天井の木目が浮かんで来た。


「ここ、どこ・・・?」


荒い吐息に混じらせて、答える者の無い疑問を思いのままに声に出し――自分が話せることに気づく。

ここは、夢の中ではないのだ。

そうして認識すると、ぼんやりとしていた頭が休息に冴えてきた。
ゆっくりと深く息を吸い、同じ速度で息を吐く。古びた畳の匂いがする。冷たい空気が、汗ばんだ体を容赦なく冷やしていく。
深呼吸を繰り返す。何度も何度も、体中の隅々に渡るまで、冷気で満ちてしまうように。表面的な寒さなど、今はどうでも良かった。

呼吸が整ってくると、風の音が聞こえてきた。障子ではなく、木戸を閉めた時特有の遠い音だ。知っている、苦手な閉塞感が肌を無遠慮に軋ませる。

ここは、試衛館だ。大きな津波が近づく浜で、留まるために選んだ岩場。

遠く遠くと意識して耳を澄ませていると、風と、擦れる草木の音の他に、微かな違和感を感じた。足音は三つだ。足音を殺そうとしているが、草を踏んだり土を擦ったりして殺しきれておらず、徐々にこちらに向かってきているのが解った。

散歩をするにしても時間が遅すぎるし、ただ歩いているだけ、と言う割には息が荒い。何となく覚えのある不穏な気配。
命の危険、というよりこれは――

頼りになる自分の直感の向くままに、枕元を探りむっくりと腹筋を使って起き上がる。後十歩ほどでこの部屋に着くだろう、と予測して起き上がり、障子から一歩半下がって仁王立ちになった。


「・・・冬なんだから、夜は寝てりゃいいのに」


自分の事は高く棚に上げて、手の中の得物(木刀)を軽く一振りする。寝起きだが、小気味よく風を切る音がした。肩慣らしは必要なさそうだ。

近づく足音に耳を澄ます。気が逸っているのだろうか、聞こえてくる音は段々と荒っぽく乱雑になっていった。先程まで閉塞感を与えていた木戸も、外の声を拾うにはなんの妨げにもならない。

後三歩・・・

後二歩・・・

障子に手をかける。障子紙は張り替えるのが面倒なのだ。

木刀を持った手に力を込める。最初の一撃が肝心なのだ。

カタン、と外側の木戸に手が掛けられ、躊躇いがちに木戸が開かれていこうとし――

きらり、僅かに据わった斎早の目が、闇の中で光った。











前項

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